「――モデル?」
の申し出に俺は目を見開いた。
「そう。お願い、出来ないかな……?」
Moon shine 1
美術室に通うようになって一ヶ月。
は以前より俺に身構えず話すようになっていた。あいかわらず話す速度は遅いけど、それが気にならない位話していて楽しい。
「何で」
そう水を向けると、珍しいことなんだけどね、と前置きして、おっとりとした口調で話しだす。なんでも顧問から課題を出されたそうで、人物のデッサンを各自来月までに提出しなくてはいけないらしい。
「あの、モデルといっても本格的なのではなくて、鉛筆デッサンなの」
「それは構わないけど、俺でいいワケ?」
「丸井くんが迷惑で、なければ、」
「は?」
俺は彼女の友人でクラスメイトの名前を挙げた。
「ちゃんからは断られちゃって……。それに、ちゃんも提出しなくちゃいけないから」
「あ、そっか。そうだよな」
俺は噛んでいたガムを膨らまして、返す。
「別にいーぜ?」
「本当?」
「おう」
は嬉しそうに微笑んだ。一瞬真田の顔が脳裏に浮かんだけど。
……こういう理由なら仕方ないよな。うん。
勝手にそう納得すると、それを見透かしたようにが口を開く。
「あ、でも真田くんに、怒られちゃうよね……」
「だーいじょうぶだって!」
……たぶん、だけど。
は微かに笑う。
「じゃあ、明日の放課後、いいかなぁ?」
「明日な。分かった」
***
は鉛筆を取り出し用意をしていた。美術室の入り口に凭れ見ていると彼女は顔を上げる。
「丸井くん」
「よ」
「ごめんね。部活大丈夫?」
「おう。ん、ここに座ればいい?」
「うん」
置かれた椅子に座り、用意する仕種を見守っていると、は俯いてしまった。
「あ、の……、丸井くん?」
「ん?」
「こっちを見てなくても、いいよ? 楽にしてて?」
「見てなくていいのかよ?」
「う、うん。それに……」
「それに?」
は顔を上げ困ったように笑う。
「緊張、しちゃうから」
***
は、たまに刺すような視線を俺に向け、さらさらと鉛筆を走らせる。焦げて音を立てそうな視線に、俺は柄にも無く緊張していた。真正面から受ける強い眼差しに晒されて自分が石膏像になったみたいな気分がする。柔らかな笑みを浮かべ話すいつもの彼女からは想像できない厳しい視線。初めて見かけた時に驚かされたそれは、ひどく真摯で何もかも見抜いてしまいそうだった。冷たいものでも浴びせられたかのように、背筋が冷たくなっていく。
それでも、の視界には俺しか居ない。その事実は、俺を嬉しくさせた。
伏せられた目を縁取る長い睫毛。真直ぐに向けられる目は黒目がちで、驚いたみたいに丸く大きい。さっきまで緩やかな弧を描いていた唇は、固く結ばれている。
俺は息を詰めてを見つめ返した。
……緊張する、なんて嘘だろう?
こうして見つめても、の瞳は緩まない。
彼女が、好きな相手を見つめる時もこうなのだろうか。まばたきすら忘れたように熱の籠もった視線を向けるのだろうか。そう思いついて、居るか分からないそいつに俺は嫉妬した。嫉妬した事に気付いて、少し可笑しくなった。
……いい加減、気付けよなあ。
好きでもない相手の頼みなんて引き受けない、って事。
今、は何を考えて描いてるんだろう。白い手の迷いの無い動きに見惚れながら思った。
―――俺の事を少しでも考えてる?
かたん、と俺が立てた音では体を震わせた。目が覚めたかのように瞬きを繰り返す。
「……悪ぃ」
「……ううん、ちょっとびっくりしただけ。退屈だよね、ごめんね?」
「それは、ないけど」
退屈どころか頭の中がこんがらがりそうだ。
は鉛筆を置いて立ち上がった。
「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「とおんなじで」
は俺の言葉にくすぐったそうな笑いを浮かべる。ぎゅ、と胸の間が締め付けられた気がした。気を許した相手に向けられるその笑顔は俺の胸に柔らかく刺さるから。
***
はマグカップを両手で包むように持ち、窓の外を見ている。猫舌の彼女はいつもそうやって冷めるのを待つ。
日焼けしてない幼さの残る頬。その頬に落ちかかる少しくせのある髪。俺はカップに口を付けて、の横顔を窺い見ていた。間に流れるのは時計の秒針の音だけ。と居ると沈黙も心地好い。
「……出来た?」
「え?」
「デッサン」
「もう少し、かなあ」
「そか」
単語だけで交わされた会話は薄く溶けていく。それは何も残らないように見えるけど、ふいに蘇る痛みは俺を捕えて離さない。
「丸井くん」
「ん?」
「飲んだら再開していい?」
「……おう」
***
ことん、と音を立ては鉛筆を置いた。俺は大きく息を吐く。
……見られる事がこんなに精神をすり減らすとは思わなかったな。
「お疲れさまでした」
微笑んだは何時もどおり。降る花びらのような笑顔に俺も笑った。
「出来上がったん?」
「うん。有難う、丸井くん」
「……おう」
……永遠に続けば良かったのに。
と居たかった。の視界を占めていたかった。そうして俺で一杯になればいい。顔を歪めるような、それでも幸せな痛みで一杯になれば。
―――俺と、同じように。
馬鹿馬鹿しい思いつきに笑いが出てきそうだ。
「でも、良かった」
「ん?」
はクロッキー帳を閉じながら言った。そして目線をクロッキー帳に落としたまま、小さな声で続ける。
「……丸井くんを、」
そう言いかけた所で突然ズボンのポケットに入れていた携帯が震えた。音源の無い美術室に、微かな振動音が響く。二つ折れタイプの携帯を開くと新着メールを示すメールマークが表示されていた。送信者名はジャッカル。読まずとも内容が分かって、ぱちん、と音を立てて閉める。
「……メール?」
「……そろそろ部活行かねーとな」
「あ、うん……。本当に、有難うございました」
深々と頭を下げて、顔を上げた彼女は微笑んでいた。つられたように笑って、美術室を後にする。
階段を降り、昇降口に急ぐ。靴を履き替え、爪先を地面に打ちつけていると思い出した。
「あ……」
思わず声が漏れた。『丸井くんを』と言った彼女の言葉の続きを聞くのを忘れていた。おまけにデッサンも見せて貰えてない。
「……ああー!! もう! ジャッカルのヤツめ! 」
思わずそう毒づいた。わしわしと頭をかき、屈みこむ。
……あいつがメールしてこなけりゃ……!
完全な逆恨みだ、って事は分かってるけど、そうでも思わないとやってられなかった。
('04.12.9)
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