大体萩之介ときたら優し過ぎるのだ。いつもおっとりと微笑んでいて、私の我儘にも眉一つ動かさず、がいいならそれでいいよ、なんて言ってのける。クラスの子に対しても男女分け隔て無く優しくて、萩之介が嫌な顔をしているのを見たことが無かった。嫌なら嫌と言えばいいのに、何て頼りない幼馴染みだろう。こんな風であの氷帝男子テニス部でやっていけるのかね、と訝しんでいたら、何時の間にか正レギュラーなんぞに名を連ねていて驚いた。
抱 き し め た い
「、放課後、テニス部見に行かない?」
「何で私が」
「滝くんと幼馴染みなんでしょ?」
「……どういう理屈か分からない」
しかし人付き合いというのは馬鹿に出来ないものなので、仕方無くに引き摺られるようにしてテニスコートに向かった。だが黄色い声援の飛び交うテニスコートを見た瞬間、を恨めしく思ってしまった。ミーハーなところさえ無ければいい子なんだけどなあ。
まあ、私とて偏屈なところや、妙なところで意固地になるきらいがあるのだから、人のことは言えない。
「あれ、?」
「萩之介……」
萩之介は面白そうに笑って言った。
「どういう風の吹き回し?」
私は視線だけでを指す。
「付き添いでね」
「ふうん。珍しいこともあるものだね。明日は雨かな?」
さりげなく毒を吐く萩之介の笑顔はさっきの言葉は錯覚かと思ってしまいそうになるほど、優美なままだった。萩之介はクラスの子に対しては外面がいいけど私の前では素になる。
「……そうかもね」
ため息混じりに呟くと萩之介は微笑を浮かべたまま、じゃあね、とフェンスの向こうに行ってしまった。中で跡部くんと何やら話していた萩之介は背の高い男の子とコートに入る。
「あ、、滝くんだよ!」
「見てれば分かる」
「もー、はクールだなあ。幼馴染みなんでしょ」
だから何だというのか。あの萩之介が正レギュラーだなんて、こうしてコートの上に立つ姿を見ても信じられないというのに。
どうやら試合形式で練習するらしかった。鳳くん(という二年生だとが教えてくれた)とダブルスを組んだ萩之介の試合の相手は忍足くんと向日くん。抜群のコンビネーションを見せる二人に萩之介と鳳くんのペアも負けていなかった。しなやかなフォームでボールを打ち返す萩之介を気付けばこぶしを握り締めて見つめていた。
何時の間にあんな技術を身につけて居たのだろう。コートに居るのは萩之介なのに、知らない人みたいだった。間を隔てるフェンスがこの上なく高く感じる。さっきまで鬱陶しいとすら思っていたコートを囲むギャラリーの声も遠い。認めるのは癪だけど、私は萩之介に見惚れていた。胸の奥がざわざわする。
……何だろう、これ。
萩之介は人見知りの上、気が弱くていつも私の後をついて回っていた。向こう見ず、よく言えば気の強い私は、萩之介は私の弟分くらいにしか思っていなかった。初等部に上がり、萩之介がテニスを始めてからは私の後ろに隠れるようなことは無くなっていたけど、それでも、弟みたいなものだと、思って、いたのに。結局試合は忍足くんと向日くんの勝利で幕を閉じた。
「さすが忍足くんと向日くん! でも滝くん達も凄かったね」
「……そうね」
何がさすがなのかさっぱり分からなかったが、さっきまでの萩之介の姿を振り切るように無理矢理唇の両端を引き上げて見せた。
***
「あ、お早う」
「、大変だよ!」
挨拶もそこそこにはまくしたてる。話を聞いているうちに私は怒りで震えそうになっていた。
……何それ。
宍戸が試合で負けたということは噂で知っていた。そのせいで正レギュラーから外されることになるだろうということも。氷帝男子テニス部には一度でも負けたら正レギュラーから外される、という不文律があるらしい。その宍戸が萩之介と試合して、萩之介の代わりに正レギュラーに返り咲いたというのだ。何故、萩之介が落とされねばならないのか。あんなに頑張っていた萩之介が。その時、朝練を終えたらしい萩之介が教室に入ってきた。
「……萩之介!」
「お早う、」
「呑気に挨拶してんじゃないわよ! どういうこと!?」
「……もう話が回ってるんだね」
萩之介は私の剣幕で察したのか、ぽつりと呟く。その態度に苛々して口を開き掛けた私を制した萩之介は落ち着き払った口振りで言った。
「……、一限サボらせることになるけど屋上行こうか」
*
屋上への扉の鍵はこつさえ知っていれば難無く開けることが出来る。萩之介は慣れた仕草で鍵を開け、私を屋上へ促した。
「授業始まるから声は抑え目でね」
「……分かってるわよ、そんなこと。それより、」
萩之介は私が話そうとしていることを分かっているだろうに、何も言わない。
「どうしてよ、どうして萩之介が外されるのよ……!」
「……宍戸に、負けたからね」
「そんなの! 先に負けたのは宍戸の方でしょ! ……いいわ、私、榊先生に言ってくる!」
「、」
それは、ひどく冷たい響きだった。これほど冷たく名前を呼ばれたことなど無くて、私は体を震わせる。
「余計なこと、しないでよ」
「よっ……!?」
「宍戸は負けたけど、俺に勝った。それが勝負だ。勝利だけが全てなんだ。綺麗事言ってても勝たなきゃ何の意味も無い」
淡々とした口調で萩之介が言うから、私は続きを飲み込んだ。お腹の底に燻る想いはぶつける先を見失って。
「萩之介は……それでいいの」
「……口惜しいよ。でも仕方無い。負けたのは、弱かったのは、俺なんだから」
きっぱりと言い切った萩之介は弱くなんて無かった。萩之介は頼りないから私がついててあげなくちゃ、なんて、どうして思ってたんだろう。
「でもっ、や、やっぱり、……ずるいよっ」
「泣かないでよ」
萩之介は私の頭を撫でながら言った。その優しい手にますます涙が溢れる。泣きたいのは萩之介の方だろうに、萩之介は私の心配をしていた。
……守られていたのは、私の方だったんだ。
萩之介が居ないと駄目なのは、私の方だった。涙を流す私を、萩之介は困ったように私の頭を撫でながら見下ろしている。頭を撫でる手も身長も、気付けば私よりこんなに大きくなっていたのに。私が優位に立っていられたのは萩之介のおかげ。萩之介が弱いからじゃない。萩之介が、負けてくれていたのだ。狭いお城でいい気になっていた世間知らずのお姫様、それが私だった。気付きたくは無かった事実は涙を助長させるばかりで呼吸が苦しい。
「だ、って、」
しゃくりあげながら言葉を紡ごうとしても二酸化炭素を押し出すだけで形にならない。そもそも何を言っていいのかも分からなかった。
「……に泣かれる方が堪えるね」
「え……」
ハンカチで涙を拭ってくれる萩之介を見ると微笑んだ。
「は俺のことでも泣くだろう? だから、を泣かさないように俺は強くなろうと思ったのに」
「な、によ、それ……」
「言葉通りだけど」
さっきまで泣いていたのが嘘みたいに涙が引いた。代わりに顔に熱が集まるのが分かる。
「でもまだ駄目だね、こうしてを泣かすようじゃ」
萎れかけていた心がむくむくと力を取り戻す。
「……これは、萩之介の為に泣いた訳じゃないもん」
萩之介はにっこりと笑う。
「それでもいいよ」
「それでもって何よ、それでもって。違うって言ってるでしょ!」
大声を出す訳にはいかないけど、叫んでしまった。
「うん、分かった」
「……分かってない!」
可愛げが無いと分かっているけど身についたものはそう簡単に変えられない。萩之介は全然堪えていないように言い募る。
「泣かせたくはないけどの可愛い泣き顔見るのも嫌いじゃないし」
「なっ……!」
今度こそ、私は言葉を失った。萩之介は微笑んだまま私を見つめている。
……口惜しい。
口惜しいから、テニスコートに居た萩之介を観た時と同じように胸の鼓動が速くなったなんて、絶対言わないんだから。
('07.2.26)
('07.3.5)
初の滝さんは、ちょっと早いですがエムさんへホワイトディのお返しですv(チョコ、美味しく頂きましたv)
麗美さんの「抱きしめたい」という曲から。
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