どうか揺るぎの無い眠りの底に。
いばらの騎士
小さい頃からしっかりした子ね、と言われて育ってきた。実際、弟妹の世話も苦にはならなかったし、そう言われて嬉しい、誇らしい、気分もあったのだ。
それでもそういう目でしか見られないというのは疲れる。疲れるけど、見得っ張りな性格も手伝って、期待を裏切るような事は怖くて出来なかった。
でも、ジロちゃんの傍に居ると、そういう事は無かった。しっかりしてるように見せているけど、実はうっかり者だし、運動は苦手だし言われるほどしっかりしたお嬢さんではないのだけど、それを分かってくれているから。ぼーっとしてるのに怒ってるみたい、と言われる事が多くてもジロちゃんだけは、何ぼーっとしてんの、と指摘したのでびっくりした。
ジロちゃんは普段はよく眠っていてぼんやりしているけど、洞察力というのだろうか、人一倍鋭くて口調は穏やかだけどはっとさせられる事が何度もあった。
*
「ごめんね、ちゃん。慈郎、まだ寝てるのよ」
「あはは、じゃあ起こしてきますね」
毎朝ジロちゃんを起こしに行くのは私の役目だ。というか、毎朝強引に押し掛けているだけなのだが。
「ジロちゃん、起きて」
「うーん……」
そう言って唸るジロちゃんのふわふわの髪も、寝顔も愛しいという感情を胸に降らす。
初めて会った時、王子様って居るんだな、と思った。外見も、性格も。
強気な性格のせいで男子と衝突する事があってもジロちゃんはやんわりとそれを助けてくれた。ジロちゃんは私にとってヒーローだった。いつも寝てばかりだけど、ここぞと言う時に助けてくれる、優しい、幼馴染。
でも、ジロちゃんに対する感情は、幼馴染の範疇に収まらなくなっていた。
*
「お前も飽きねえな」
「……何それ」
生徒会室で二人きりになった時、唐突に跡部くんは言った。その言葉にパソコンの画面から顔を上げると彼は小さく笑う。
「餌付けのつもりかよ」
「……そうだよ」
誰の事を言っているのか分かったので頷くと、跡部くんは瞠目する。
「ジロちゃんが私から離れられなくなればいいと思ってる。その為だったらどんな手だって使うよ。私以外目に入らないように、傍に居る」
「……お前、たまに怖ぇ事言うよな」
「だって他にどうしていいのか分からない。でも他の人じゃ嫌なの、ジロちゃんがいいの」
「全くお前らはよ……」
呆れたように跡部くんは呟いた。ら、って複数形で言った事が気になったけどそれきり跡部くんは手元の書類に目を落としてしまったので、大人しく自分の仕事に戻る事にする。
……いつかジロちゃんも好きな人が出来たりするのかな。
そう考えると目の前が眩んで、仕事が全く頭に入ってこなくなった。
ジロちゃんはもてる。よく女の子達に話しかけられているし、告白されていた。断ったという事を聞くとひどいとは思うけど、ほっとした。だって、可愛い子達ばかりでとても太刀打ち出来そうに無いから。どう贔屓目に見ても、私は可愛いとは言えないし、身長だってジロちゃんより高いし、幼馴染という特権を使ってしか傍に居ることが出来ない。それでも、傍に居たい。例え、お節介な幼馴染としか思われていなくても。
*
「お、さん」
「あ、忍足くん、部活終わったのね。お疲れ様です」
靴を履き替えてテニス部の部室に向かっていると、忍足くんに会った。ジロちゃんを通じて知り合った彼は、近寄りがたいとか言われることの多い私にも気さくに声をかけてくれる。
「慈郎やったら、部室で寝てるで」
「そうなの? じゃあ待ってようかなあ」
忍足くんは私の言葉にくすりと忍び笑いを漏らした。
「眠っとるのは王子で、お姫さんを待たせるんか」
「ジロちゃんは王子様かもしれないけど、私はお姫様じゃないよ?」
「へえ?」
忍足くんはますます楽しげに笑う。
「どっちかと言うと、いばらを乗り越えてくる騎士の方が合ってる気がするな。……お姫様なんて柄じゃないもの」
「それはどうやろな」
意味深長な科白に忍足くんを見上げると、彼は眼鏡の奥の瞳を緩ませた。
「どういう、意味?」
「そのままの意味」
ますます訳が分からない。跡部くんといい、忍足くんといい、テニス部の人は煙に巻くのがお得意のようだ。くくく、と堪え切れなかったのか笑い声を立てた忍足くんは言う。
「ほな、慈郎の事頼むな。お先に」
「あ、うん」
*
部室のドアを開けるとジロちゃんはソファの上で丸くなっていた。起こさないようにそっと近付き、端に腰を下ろす。座った瞬間ソファが沈み、起こしてしまわないか心配したけど、ジロちゃんは安らかな寝息を立てていた。
……よく寝てるなあ。
唇が自然と弧を描く。私はジロちゃんの寝顔を窺う。
眠り姫のお話を読んだ時不思議で仕方が無かった。どうして起こしてしまったんだろうって。眠る姫を起こさず見守っていようと思えなかったんだろうかって。そりゃあ、起こさなければお話にならないっていうのは分かる。それでも、起こせない、とは思わなかったのかな。そんなにつらそうに眠っていたのかな。
こんなに気持ち良さそうに寝ているジロちゃんを起こす事なんて出来ない。毎朝起こしている私が言うのも何だけど、本当はいつまでも寝かせておきたいと思っていた。ジロちゃんのためでなく、私のために。いくらでも眠り続けていればいい。私はきっと息を殺してその眠りを守るだろう。話せないのは寂しいけど、眠っている限りは何処にも行かないだろうから。そう、閉じ込めておきたい。ジロちゃんをひとり占めしていたい。胸にあるのは醜い感情ばかり。それを悟らせないようにジロちゃんの前では明るく振る舞っていた。触れられるような事があっても、何でも無い事のようにして、濁った感情をうっかり晒してしまわないように。
だから、私はお姫様なんかじゃないのだ。そんな可愛らしいものじゃない。本当は、いばらを乗り越えてくる騎士ですら、ないのかもしれない。
「……ん?」
ジロちゃんが何か呟いた気がして体を震わせた。そうっと窺うと、何度か瞬きを繰り返し、目を開ける。
「……? あれ、おれ寝てた?」
「うん、よく寝てたね」
「ってゆうか、何でここに居んの?」
突然、部室のドアが開く。そこには不機嫌そうな顔をした跡部くんが立っていた。
「……何してやがんだお前らは」
「あー、ごめん、跡部ー。おれ、寝ててさー」
「……、お前が居て、」
「違うよ、は起こそうとしたけどおれが起きなかったんだ」
ジロちゃんは口を開こうとした私を押し止め、そう言った。跡部くんはため息をつく。
「……もう鍵閉めるから、出ろよ」
ジロちゃんは頷いた後、私に笑いかけた。私は必死で笑い返したけど、うまく出来ていただろうか。
……また、助けてもらった。
部室の外に出ると辺りはすっかり暗くなっていた。見透かしたようにジロちゃんは言う。
「ごめんな、。遅くなって」
「そんな、だって、」
ジロちゃんは人差し指で私の唇に触れた。びっくりしているとジロちゃんは声を潜める。
「まだ跡部居るから」
「ジロちゃ、」
「おい、帰るぞ」
跡部くんに声を掛けられたジロちゃんは元気良く返事をして歩き出した。遅れないように、その後を追う。
……ねえ、ジロちゃん。
答えるはずの無い背中にそっと投げかける。
……私、本当はつむを用意した魔女なのかもしれないね。
お姫様でも、いばらの騎士でもなく。
('06.4.24)
「めんない千鳥」ヒロイン編。
時間的には「めんない千鳥」の前くらいです。
以下、蛇足説明。
「めんない千鳥」ではヒロインの心情が全く描けなかったのでヒロイン編。
ジロの前で無邪気な感じだったのは、そう振る舞っていただけというか。そして「めんない千鳥」でジロに受け入れられたから、自分をいばらの騎士と称することが出来るようになった訳です(説明しないと分からないなんて!)。
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