それは、爛れて溶けていくのに蒸発する事無く残って。

足を取られた私は、一歩も進めなくなるのだ。










夜明け前










「ここに居たー」
「……慈郎くん」

屋上の手摺りに凭れてグラウンドを見下ろしていると慈郎くんがやって来た。慈郎くんは私の隣に凭れ、同じように下を見下ろす。

「部活、始まってるんじゃないの?」
「んー、そうだけど、」

慈郎くんのふわふわの髪が揺れる。何だか眩しくてすぐに視線を元に戻した。

が元気無えから、どうしたのかなって」
「……そんなこと、」
「あるだろ?」

言葉を遮って、慈郎くんは私を見据える。逃げられない、と思った。

「何かあった?」
「……何も」
「嘘ばっかり」

慈郎くんは笑った。でも、瞳はちっとも笑ってなくて、私はため息をつく。

「……どうして、分かっちゃうのかなー」
「どうしてだろうねー」

可笑しそうに慈郎くんが言うから、少し、口が軽くなった。

「……本当に、何かあった訳じゃ無いんだよ。ただ何となく……、息苦しいの」

頬に慈郎くんの視線を感じたけど、目を見ると何も言えなくなるような気がして、下を見下ろしたまま続ける。

「何かもう……死にたくなる。ううん、違うな。消えたくなる。自分の存在を無くしてしまいたく、なる」

家庭に問題があるわけでもない。苦手な科目はあるものの、勉強についていけないわけでもない。多くはないけど友達だって居る。でも、消えたくなる。それがどんなに身勝手なことか分かっていても。

大きな悩みがあればまだ良かった。漠然とした、今にも胸を押し潰してしまいそうな不安はじわじわと私を蝕んでいく。人と居ても感じる孤独感、欠落感で穴が穿たれていく。胸に存在する、空虚。そこには何もない筈なのに、確かに思考の広範囲を占める。

「……なーんて。痛いのは嫌だから自分で死ぬのは出来そうに無いけどねー」

冗談めかして言った言葉で、慈郎くんは目を眇める。

「……じゃあさ、」

口を開いた慈郎くんは微笑んでいた。

「おれが、殺してやるよ」
「え?」
「許さねぇよ、勝手に死ぬなんて。もし死にたいと思ってんなら、絶対おれが関わる。おれが殺す」

殺すと言う割に静かで優しい声音。微笑む慈郎くんは私に手を伸ばす。私を抱き寄せる腕は、広い胸は、私をしっかりと捕まえた。捕まえて、くれた。堪えていた涙がするりと頬を辿る。

毎日訪れる、一日の終わり。その度に眠るのが怖くなる。このまま二度と目を覚まさなかったらどうしようと。まだやりたいことがあると、やることがあると足掻く心を抑え目を閉じる。焦る気持ちを宥めながら眠ろうとする。死にたいと思うのと同じくらい切実な祈りは、夜にどろりと溶け残り濃度を増していく。

「……夜明け前が一番暗いんだってさ」
「……え?」
「跡部が、言ってたんだ」
「……跡部くんが?」
「今はつらいかもしれないけど、これから楽しいことがたくさんあるから。無ければおれが作るから、はここに居てよ。おれは、居て欲しいよ」
「……うん」

止め処なく溢れる涙で視界が霞む。嗚咽のせいだけじゃなく胸が詰まって言葉が出ない。それでもしっかりと抱き留めてくれる腕の温もりは呼吸を楽にしていく。

「ありがと……」

まとわりつくような不安が消えた訳じゃない。でも慈郎くんがくれた言葉が闇を払ってくれたから、緩慢にだけど薄れていくような気が、した。


('06.9.20)










「一番暗いのは夜明け前」という言葉から(そんなタイトルのドラマがあったね)。
以下、蛇足。
学生時代というのは何だか力ばかり持て余してて、でもうまく言葉に出来なくて、ひどく苦しかったような気がします。と、大人になってから思うようになりました(笑)。