
ふわりと漂った紅茶の香りに顔を上げると、目の前にカップが置かれた。
「あ、有難う」
「いいえー。大丈夫? 眉間に皺寄ってるわよ?」
生徒会書記のは自分もカップを持って笑う。
「あー……、何か行き詰まっちゃってね」
私は持っていたペンを放り出して、カップを手に取った。
「跡部くんは、今日も部活?」
「そう。でも、この前来た時はこの位の量、一時間で終わらせてたわよ」
「そりゃあ、跡部様だもの」
はくすくす笑って言った。
生徒会長の跡部景吾は、男子テニス部部長でもある。200人も居ると言われている部員を纏め上げ、かつ頂点に君臨している彼は、他校でも名を馳せているらしい。その彼は部活だけでも大変だろうに、学業や生徒会活動も疎かにはしない。たまに生徒会室に訪れる時は溜まった仕事を難無く片付けていた。
私は大きくため息をつく。
「私、副会長はの方が向いてると思うんだけどなあ」
「それはない。私は暗躍するタイプだから」
即答したの言葉に目を剥くと、は悪戯っぽく笑う。
「だから、書記でいいの」
「……自分で暗躍とか言ったら暗躍じゃないでしょ……」
「じゃあ、縁の下の力持ち。表に立って行動するのは向いてない」
「そうかなあ」
はっきりきっぱりした性格と外見は、私なんかより副会長に向いていると思うんだけど。
「そう。私だと人がついて来てくれないと思う」
「そんな事、」
「あるの。それに副って付くくらいだから、いざと言う時会長の代理もする為の人の事でしょ。そんなの無理。跡部くんだって何だかんだ言っての事、気に入ってるしさ」
「……は?」
付け加えられた言葉で眉間に皺が寄った。気に、入ってる?
「……何、それ」
「ん?」
既には自分の席に着き、書類を捲っている。
「気に入ってる、とか」
「気に入られてるでしょ。あの気難しい跡部くんがには優しいもん」
「え、あの、優しいって、その」
その時、ノックの音がした。が立ち上がり、ドアを開ける。
「はい?」
「すみません、バスケ部なんですけど予算の事で」
「あ、はい。何でしょう」
それきり、その話題について話す事は無かった。
***
生徒会室に行くと、珍しい事に一番乗りは跡部くんだった。
「あれ、今日は部活は?」
「急ぎのがあったから、こっちを優先した」
「あ、そうなんだ」
「こんにちはー……って、珍しい、跡部くんが居る」
すぐにやってきたがくすりと笑うと、跡部くんは一瞬だけ眉を寄せる。
「……悪ぃな、いつも」
「いえいえ。今、お茶淹れるね」
に促され、準備室に向かう。カップを用意しながらは呟いた。
「今日は何にする? ダージリン? ヌワラエリヤ? アールグレイも誰か持って来てるみたいだけど」
準備室にある紅茶やコーヒーは生徒会メンバが持ち寄ったものだ。ちょっとしたカフェが開けるくらいには充実している。大方、お中元、お歳暮で貰ったものの、持て余していたものなんだろうけど。私はヌワラエリヤの缶を手に取る。
「アールグレイは苦手だから、ヌワラエリヤでいい?」
「構わないよ。やっぱり匂いが駄目?」
「うん。飲む事が出来ない、までは無いんだけど」
話しながらお茶を淹れていると、は思い出したように言った。
「あ、私、職員室に行かなきゃいけないんだった」
「え、の分も淹れちゃったよ」
「仕方ない、ちょっと行って来る」
「うん」
*
「はい」
「ああ」
彼は頷きカップを手に取った。ノートパソコンから視線を逸らさず口を付けた跡部くんは動きを止める。珍しい動きに、私も席に着こうとしていたけど彼を見つめた。
「……これ、が淹れたんだろ」
「え……、何で、」
「やっぱりか」
跡部くんは小さく笑う。お茶を淹れたのは準備室でだから、淹れる所は見ていない筈なのに。
「ごめん、薄かった?」
「いや、」
カップに口をつけた彼の咽喉が、こくりと音を立てる。
「お前の淹れた茶なら分かる」
「……は?」
驚きのあまり、呆けたような声が出た。そんな私に頓着せず、カップを置いた跡部くんは、またパソコンに向かう。私は馬鹿みたいにそれを見つめたまま、立ち尽くしていた。
……今、何を言ったのこの人。
知らず、顔が熱くなった。じわじわと指先まで熱が伝わっていく。鳴り響く鼓動が喧しい。
「……どうした?」
怪訝そうに跡部くんは顔を上げた。
「な、何でも、ない……」
顔を覆いながら、自分の席に着く。目の前には書類やパソコンやノートが広げられているけど、ちっとも頭に入ってこなかった。明日までに提出の書類もあるというのに。
……さすが、”跡部様”。
女の子達が騒ぐのは、彼の容姿や、派手なパフォーマンスばかりではないのだ。こういったさりげない言葉や態度で虜になってしまうに違いない。
私はため息をついた。気付かないようにしていたのに、ひっそりと育っていた感情に気付いてしまったから。
その時ドアが開いて、が職員室から戻ってきた。
「ただいまー。ー、ここの文章の事なんだけど……、って?」
「えっ?」
私の顔を見たはきょとんとした顔をする。
「顔、真っ赤だよ? どうしたの?」
「あっ、ちょっと、暑いかな、って」
はそう? と眉根を寄せた。熱いままの頬を冷ますように手で扇ぐ。
「……で、何だっけ?」
「これこれ、ここの箇所、おかしいから直してもいい?」
「あ、うん、そうね。任せる」
「おっけー。じゃあ、ここまでやったら私帰るから」
「えっ」
は驚いたように目を見開く。
「何?」
「あの……もう、帰るの?」
「うん、ジロちゃんがそろそろ迎えに来てくれるから」
にっこりとは笑った。普段はクールな印象のは慈郎くんに関することを話す時、柔らかな笑顔を見せる。
「そ、そっか……」
「まだ何か仕事あった? あるなら待って貰うけど」
「ううん、いいよ。大丈夫」
軽快な、のキィボードを叩く音とは裏腹に、私の作業は進まなかった。
「ー」
「ジロちゃん」
ノック無しにドアを開けるのは、生徒会メンバか慈郎くんくらいだ。は帰り支度を整え立ち上がる。
「じゃ、お先に。跡部くんもお疲れ様です」
「ああ」
慈郎くんとが連れ立って出て行ってからまた室内はキィボードを叩く音と、紙を捲る音しかしなくなった。
「なぁ、」
「えっ?」
静寂を破るかのようにかけられた跡部くんの言葉で体が震える。跡部くんは咽喉の奥で笑った。
「何をそんなに緊張してやがんだ?」
「き、緊張してなんか無いよ」
今までだって二人きりで仕事していた事があるのに、何故か今日は平常心を保てない。小さく息を吐いて跡部くんを見ると、笑ってカップを僅かに掲げて見せた。
「もう一杯、頼む」
「……あ、うん」
「お前の淹れた茶が飲みたい」
カップを受け取ろうとした手は、その言葉を聞いて止まってしまう。くつくつとそれでも優しく笑う跡部くんから引っ手繰るようにカップを受け取り、準備室のドアを開け体を滑り込ませた。ドアに凭れ、速くなった心臓を宥めるように深呼吸する。
……どうしよう、嬉しい。
「あー、もう、本当に、困る……」
私はカップを置き、紅茶の缶を手に取りながら独り言ちた。自然と浮かんでくる笑みを必死で噛み殺しながら。
('06.4.7)
元ネタは職場の二歳下の子のセリフから。
以下興味のある方のみどうぞー。
うちは年齢関係なく、手が空いている人が朝と午後にお茶を淹れるのですが、先日、私が淹れた時の事。
二歳下の子(以下、二)「今日、お茶淹れたのって真潮さんですか」
真潮(以下、真)「そうだよ。何ー、薄かったー?」
我が家は日本茶を飲まない為(父が嫌いだから)職場でしかお茶を淹れません。なので、量が未だによく分かっていないのです(<駄目な子)。
二「ううん、大丈夫。薄くないです。丁度いい」
真「あ、本当? よかったー」
二「私、真潮さんの淹れたお茶なら当てる事出来ますよ!」
真「マジで?! やだ、ちょっとときめいたよ!!」
……ネタになる、と思いました(笑)。
で、考えていったら跡部になったという。初跡部。ヒロインはジロドリヒロインのお友達です(また繋がった)。
あと、アールグレイというとよしもとばななさんの「満月」を思い出します。私はホットで飲むの好きなんですけど、苦手な方多いのかな。
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