「きゃあっ」

小さな叫び声の後、暗くなったので目を開けると人が降ってきた。

「うわあっ」

そして感じる重みと柔らかな感触。俺が固まっていると、俺の上の人物は頭を押さえながら顔を上げた。

「く、桑原くん?」

そう俺の名前を呼んだのはだった。










02.そ の キ ス を 残 し て、










「どーしたよ」
「ああ? 何がだよ」

丸井はガムを膨らませる。漂う甘い香りにも(不本意だが)もう慣れた。

「ぼーっとしてんな、と思ってよ」
にやり、と笑って丸井は続ける。
「何かあったのか」
「別に」
「言ってみろぃ。相談に乗ってやんぜ?」
「……要らねえよ」


***


「ぎゃー、ごめん! 大丈夫!?」
「大丈夫だから、どいてくれ……」
「ああっ、うん!」

俺がさっきまで背にしていた壁は、一階の第二理科室のもので、部活動などで使われる教室ではない。だというのに、何故人が降ってきたのか。
目の前に居るは慌てふためいている。

「ご、ごめんね。重かったよね?」
「や、それは無いけどよ……。お前、何処から来たんだ?」

は第二理科室の窓を指差した。

「あの……ね、プリントを置き忘れてたから取りに来たの。そしたら窓が開いててね、風で飛ばされちゃって。入り口まで回るの面倒だなー、って窓から出ようとしたら、足が引っ掛かって、」
「落ちた、って訳か」

俺が嘆息して後を引き継ぐと、は顔を赤くして頷いた。

「まさか、下に人が居るなんて思わなくて」
「そりゃ……、そうだろうな」

ここは特別棟の陰で、人通りも少ない。
……だから、俺も転寝してたんだし。
視線を動かすと、件のプリントが目に入った。中庭の芝生の上にひらりと落ちている。

「あれじゃねえの」
「え?」
「プリント」
「あっ、うん!」

は上履きのまま走って行き、プリントを手に戻ってきた。

「ねえ、本当に怪我とかしてない?」
「大丈夫だって」
「……良かったあ」

はほっとしたように笑う。

「怪我させちゃってたら、どうしようかと」

去年も同じクラスだったは、小さく、大人しそうな外見に反して、明るく活発で、大口を開けて笑うような少女だった。

「あれ、桑原くん、部活は?」

言われて腕時計を確認する。

「今から行く」
「そっか。……もし、後から痛くなったりしたら責任は取るから、言ってね」
「―――は?」

意味深長な台詞に目を丸くするとははっとしたように顔を赤くした。

「ち、ちがっ、あのっ……、とにかく頑張ってね。じゃっ!」

すっくと立ち上がり、彼女は駈けていった。俺はしばらく、放心したように彼女の背中を見送っていたが真田の怒声を思い出し立ち上がる。
窓からではなく玄関から校舎に入り、昇降口で靴を履き替えていると、柳生に声を掛けられた。

「今からですか」
「おう。お前もか」

柳生は笑って頷きかけたが、俺の胸元を見て動きを止める。瞠目したまま沈黙する柳生を不審に思い自分の胸元を見下ろすと、薄紅の花びらのような跡が残っていた。―――いわゆるキスマークというやつが。

「なっ、何だこりゃあ!」
「く、口紅か何かだとお見受けしますが」

柳生は眼鏡を上げながら言う。

「はあ?!」

ふとさっきの事を思い出した。

「……あっ」

だ。
確か、残された色と、同じような唇の色をしていた気がする。俺が思案に耽っていると柳生が動揺を隠すように言った。

「野暮な事は言いたくありませんが……場所は選ばれた方が宜しいかと」
「ちがっ、誤解だ!」
「とりあえず」

俺の叫びを無視し、柳生は深呼吸して続ける。

「仁王くんや丸井くんに見つからないようなさった方がいいでしょうね」
「……だな」

容易にあの二人の反応が目に浮かび俺はため息をついた。


***


「遠慮しねーで言ってみろって」
「してねえよ」

幸い、仁王と丸井はまだ来てなくて、ばれずに着替えを済ませる事が出来た。問題は部活が終わった後だ。その事を考えると今から頭が痛い。

の事は前から、いいな、と思っていた。
笑った顔は可愛いし、外見と中身のギャップがあるところも悪くない。でも恋愛対象として考えた事は無かった。―――さっきまでは。
……だって、あんな事言われると、気になんだろ。

「なーんか、おかしいんだよな」

ガムを膨らませた丸井の呟きに、何時の間に近寄って来ていたのか、仁王が薄く笑った。

「恋煩いじゃろ」
「そ、そんなんじゃねぇよ!」

つい焦って答えると二人は顔を見合わせた後、意地悪く笑う。

「ほー」
「そっか、そっかー。で、誰だよ」
「違うって!」

そう、違うんだ。
俺の都合の良いように考えてるだけかもしれないし、ただ何となく気になるっていうだけで。

「ジャッカルにも春が来たか」
「やっぱりあれか、色白グラマー?」

丸井の言葉にを思い出してしまうのだって、さっきの事があるからで。

「だーかーら、そんなんじゃねぇって言ってるだろ?」

否定しようとすればするほど思考は深くなる。残された跡と笑顔が頭の中を駆け巡る。
……まずい。
気になっていたのは、事実。事実だけど。

「落ちるのは、一瞬なんじゃ」

唐突に仁王が言った言葉に、鳥肌が立った。

「……は?」
「なーんだ、それ。経験談かよ?」

丸井はガムを器用に膨らませ、問う。仁王は、そ、と短く頷き、続けた。

「否定しようとすればするほど、それを肯定しとる事になるんよ」

呆然と仁王を見ていると、にやり、と笑う。

「図星?」

それにため息で答えた。

胸にあったそれは今まで見ないようにしていた覆いをちりちりと焦がし取り去ろうとしている。ぽつんとシャツに残された薄紅が、広がっていくように感じた。この気持ちが、何なのか、まだはっきりとは見極められないけど。
……明日、会ったら。
挨拶くらいしてみようか、と思った。


('05.8.8)






ジャッカルの恋の始まり、みたいな(みたいな、って……)。
と言うか、私が書くのって名前変換ですよね。ドリームじゃなく。
うーん、定義が難しいなあ。本人はドリームのつもりで書いているのですが、そうなってくれない……。
あと、お題からどうしてこんな内容になるのか、いつも不思議でなりません(自分で書いておきながら)。