薄紅色の花吹雪の中見つけた一際鮮やかなオレンジ色。それに一瞬、目を奪われた。持ち主と目が合ったような気がするけど、気のせいだったのかもしれない。今までの生活に無かったものだから、そう思い込んだだけかも、しれない。





夜 に 酔 う










教養が同じクラスのその人は、キヨ、と呼ばれていた。女子からも男子からも気安く声をかけられていて、入学してすぐなのに、と思ったことをおぼえている。後から中学生の頃からテニスで有名だったと聞かされ、納得した。

とにかく目を惹く人ではある。気付くと私は彼を見ていた。でもこの感情は恋とかじゃない。気になる、のだ。明るいし、お調子者と言ったら言い過ぎだけど、軽そうにも見えるのに、目が。目だけは酔わず、冷静を保っているようで、口にする言葉ほどには浮わついて見えなかったから。



彼は覚えているだろうか。大学に入ってすぐの飲み会で、私と言葉を交わしたことを。



新歓コンパの時、その千石くんと初めて言葉を交わした。お手洗いから席に戻ろうとしていると、同様にお手洗いに席を立ったのであろう、彼と行き合った。彼はにこりと笑う。

さんだよね」
「……よく覚えてたね」

会が始まってすぐ自己紹介しただけで、席も近くなかったのに。

「俺、女の子の名前覚えるの得意なの」

女の子大好きだからさ、と千石くんはおどけて言い、笑みを深くする。

「へえ……、私は覚えるの苦手かな」
「じゃ、俺の名前知らない?」
「苗字と、あだ名っていうのかな、キヨって呼ばれてるのは知ってるよ」

あなた目立つから、と言うと、千石くんは苦いものを飲み込んだような表情を浮かべた。いつも楽しそうにしているところしか見たことがなかったから意外で、目を瞠る。今までのイメージとあまりに違っていて。でもそれは一瞬で、千石くんはすぐに笑顔になった。そのことに安堵して、じゃあ、と席に戻ろうとすると、千石くんは私の顔のすぐ横の壁に手をつく。間接照明だけの狭い通路でよろけた訳じゃない証拠に、私を見据えていた。お互い鼻先が触れそうな距離に、ふわりと漂った香水とアルコールの匂いに、目を見開いたまま動けずにいると、千石くんの右手が私の頬を掠める。

「センゴクキヨスミ」
「―――え?」

何処か硬質な響きの声で告げられた、呪文のような単語に目を瞬かせると千石くんは笑っていなかった。真正面から見た整った顔立ちに背中がひやりとする。

「千石、清純、っていうんだよ」
「……あ、うん」

清純、て書いてキヨスミね、と彼は唇の端を上げ、壁から手を離した。さらりと頬に当たる髪の感触に、髪に触れられていたことに今更気付く。

「またね、さん」
「……うん」

けれど、席に戻った後も結局千石くんとは話さないまま、新歓コンパはお開きとなった。







それからしばらくして、飲み会のお誘いが回ってきた。サークルや合コンでない飲み会なんて珍しい、と思っていると、どうやら発案者は千石くんらしい。からそのことについて聞かされていると千石くんが現れた。

「話、聞いてる?」
「珍しいね、こういう面子で集まろうって」

の言に千石くんは笑う。

「折角こうして同じ授業を受けている訳だからさー、一度くらいは集まっても面白いんじゃないかって思ったワケ」

ね、と千石くんは私に笑いかけたけど、目が笑っていなかった。
……よく分からない人だ。
隙があるようで無い彼とはあの飲み会以降も挨拶を交わす位の間柄でしかない。

、どうする?」
「私、バイト始めたから無理かも」
「バイト? 何の?」

千石くんが訊いたので、家教と告げると彼は、んー、と少し考え込む。

「毎日?」
「ううん、週二」
「時間は? 何時まで?」
「六時から八時まで」

矢継ぎ早にされた質問に答えると彼は破顔した。

「じゃあバイトの日だとしても、終わってからでも間に合うようにするよ、それでどう?」
「別に……いいけど」
さんは?」
「面白そうだから参加する」

それは良かった、と千石くんは携帯を取り出す。

「二人のメアド教えて。日にちと店が決まったらメールするから」

促されるままに携帯を出し、メアドの交換をした。彼はにこりと笑う。

「じゃあ、また」

あかるい色の髪と広い背中を見送っていると、が呟いた。

「噂通り、だね」
「噂?」
「女好き、だって。でも決まった相手は居ないみたいだけど」
「ふうん」
「我こそがカノジョって思ってる子が一杯居たりして」

ふふっと面白そうには笑う。

「私は好みじゃないけどは?」
「私? 私も……違うかな」

さっきも思ったけど、よく分からない、というのが正直な感想だった。目が合ったりはするけど話したりしないし、大学から山吹の私は彼の過去も知らない。むしろ私のことが苦手なんじゃないかと思っている位なのにこうして近付いてくる。それをに告げると、ふうん、と唸った。

は千石くんのこと、苦手なの?」
「苦手と言える程知らない」
「知らなくったって苦手というのはあるでしょ」
「ううーん、見える範囲で言えば苦手ではないよ。ただ、」
「ただ?」

千石くんに感じている印象を言葉にするのは難しい。あの時の彼はいつも見せている彼とは違った。でもそれ以降の彼は常に笑顔で、華やかで、男女問わず人に囲まれていて、あの時のことが嘘だったみたいだ。だから分からない。千石くんがどういう人なのか。

「……やっぱり、よく分かんないや」

はまた、ふうん、と唸るような返事をした。







さん、」

振り向くと、階段の下に居たのは千石くんだった。軽快な調子で私が居る段まで昇ってくる。

「今から授業?」
「うん。千石くんは?」
「俺は次のコマ、入ってないんだけど、」

千石くんは唇の両端を上げた。

「キミに会えるなんてラッキーだなあ」

軽薄そうなその物言いに、不思議と腹は立たない。何故だろう、と千石くんの目を見つめて気付いた。彼の瞳が、揺らいでいなかったからだ。私は視線を足許に落とす。

「……そう。じゃあ私、行くね」
さん、」

顔を上げると千石くんの顔の上から笑みが消えていた。

「メール見た?」

先日、飲み会の予定が送られてきた。私が頷くと千石くんはさっきの無表情が嘘みたいに唇を引き上げる。

「飲み会、楽しみにしてる」
「……うん」

私は、ただ頷いた。考えても、答が導き出せなかったから。







「―――さん!」

携帯から顔を上げると、目指していた店の前に千石くんが立っていた。思いもよらない出迎えに目を瞬かす。

「え、千石くん、何で、」
さんからメール来たって聞いたんだ」

にはバイトが終わってすぐメールを送っていた。

「迷ったらいけないと思って……お迎えにあがりました」

恭しく頭を下げた千石くんは、顔を上げるとにこりと笑う。

「会費は飲んだ分だけで大丈夫だからね」
「有難う、あの、」
「さあ、どうぞー」

そして店の扉を開け、中へ促した。

「あっ、〜」

アルコールが入ってご機嫌なが私を見つけて手を振っている。千石くんは背後で低く囁く。

「―――後で」
「えっ」

慌てて振り向いたけど彼はもう私を見ていなかった。

こっちこっち〜。飲み物ウーロン茶でいいんだっけ?」
「あ、うん、有難う」

バッグを肩から下ろしの隣に座る。は、うふふ、と意味深長に笑った。

「なに、酔ってるの?」
「……千石くん、店の前で待ってた?」
「えっ」
「まだかなまだかな、って、ずっと気にしてたから、メール来たこと教えたの。そしたら直ぐに店出てって、」

綺麗な桃色のお酒を一口飲んでは続ける。

「……のこと気になるのかなあ」

面白がるような口調に、私は何も答えられなかった。







飲み会がお開きになって直ぐ、携帯がメール着信を告げる。何となく予感がして携帯を見ると千石くんからだった。
―――さっきの店の二軒隣の公園に来てくれたら嬉しいな。
携帯の画面を見つめたまま、しばらく思案する。分からないことを分からないままにしておいても、多分変わらない。むしろその方が面倒なことに関わらなくて済む。普段の私はそんな風に考えている。でも足は公園へと踏み出していた。

「……さん」

千石くんは私の姿を見つけると困ったように笑う。

「……ラッキー」
「え?」
「来てくれないかもって思ってたから」

彼もまた、賭けていたのかもしれない。文面が、来て、では無かったから。

ベンチに座っていた彼は立ち上がり、どうぞ、と今まで座っていたベンチに私を促した。ベンチに腰を下ろすと、少し汗をかいたミルクティのペットボトルを差し出す。

「あ、有難う」
「こちらこそ。……来てくれて、有難う」

そう言って、私から視線を逸らし千石くんは黙ってしまう。私はただ彼を見上げた。沈黙が落ち着かなくて深呼吸して口を開く。

「……千石くん、あの……っ?」
「……初めて会った時のこと、覚えてる?」

千石くんは私を見つめたまま言う。彼は両腕を、私を閉じ込めるようにベンチの背についていて、私は逃げることが出来なかった。

「新歓コンパのこと? だったら、」
「―――違う」

彼は苛々したように私の言葉を遮る。

「入学式だよ」



直ぐに、あの光景が脳裏に甦った。入学式の日は、とても天気が良くて、でも風が強くて、慣れないスーツとパンプスに、ぎこちなく帰途を辿っていると強い風に髪を攫われた。入学した喜びと安堵と、不安に胸を膨らませながら、顔を上げた私の目に飛び込んできた色彩は、薄紅色の桜吹雪と、鮮やかなオレンジ色の髪。それは千石くんの物だった。



小さく頷くと千石くんは微かに笑う。

「……目が合ったんだよ」
「え?」
「キミは眩しそうに俺を見て、笑った」
「そう……だった?」

そう、俺視力いいんだ、と彼は続けた。

「あの瞬間から、キミのことが頭から離れない」

とくん、と鼓動が速くなる。苦笑いを浮かべる千石くんは、自嘲するように言葉を吐いた。

「俺はね、女の子大好きだけど、誰かと付き合うのは無理だなって思ってたんだ」

唇を歪めて笑う彼は、本当はそんなこと曝け出したりしたくないのだろうと思う。

「そりゃ何人かとは付き合ったこともあるよ。だけど、世の中にはこんなにたくさん可愛い子が居るのに、一人に絞るなんて勿体無いな、って。みんなで楽しくやってればいいじゃん、って。だけど、さん……キミに会った」

あの時みたいに彼の右手が私の頬を掠めた。掠めただけじゃなく、手は私の頬に辿り着く。

「途端にキミしか目に入らなくなった。キミのことしか、考えられなくなった」

輪郭を確認するように頬に触れるから麻痺したみたいに動けなかった。さっきから自分の心臓が喧しくて千石くんの声が遠くに聞こえる。抱えたペットボトルの中身は温くなっている筈なのに、それすらつめたく感じた。

「キミが好きだよ、さん。俺と、付き合って」
「わ、私、」

ようやく出せた声は擦れていた。

「私に、そんな風に言って貰えるようなところがあるとは思えない……」

千石くんのことが分からなかったけど、私に好きだと告げる彼はもっと分からなかった。容姿も、性格も、悪くはないと思いたいけど突出したところがある訳じゃない自分が、千石くんの目に留まった理由が分からない。

「ほとんど話したことも無い私に何故そんなことを言うの?」
「……だからだよ」
「え?」
「だから、キミと付き合いたい。話して、キミを知りたい」
「話すだけなら付き合わなくても、」

千石くんは不満そうに口を尖らせる。

「―――嫌だ」
「えっ?」
「みんなとなんて嫌だ。キミを独り占めしたい。俺以外の誰かと、キミが付き合うなんて耐えられない」

駄々っ子みたいに言い募る千石くんに困り果てる。

「……がっかりするかもしれないよ?」
「どうして」
「誰かと付き合ったこともないし、千石くんのことを好きかも分からないんだよ?」

言いながら何だか情けなくなった。消極的な考えと自分の臆病さ加減に。

「俺のことが嫌い?」
「嫌いじゃないけど、」
「それでいいよ」

いいんだ、と独り言のように千石くんは繰り返す。

「俺、頑張るから」
「頑張るって、」
「俺を好きになって貰えるように」

困って見上げると千石くんは目を細めた。

「キミを困らせたい訳じゃないんだけど、」

そっと私の頬を撫でる。

「困った顔も可愛いね」

火が点いたみたいに頬が熱くなった。お酒なんて一滴も口にしていないのに頭がくらくらする。男の人からそんな風に可愛い、なんて言われたことが無かった。

「……私で、良ければ」
「ホントに?!」

千石くんは満面の笑みを浮かべた。困惑しながらも私は頷く。断ることを考えられなかった自分が不思議で仕方がなかった。

「……酔ってるのかも」
「え?」

夜の空気に、千石くんの眼差しに、酔っているのかもしれない。触れられても、全然嫌じゃなかった。好きだと告げられて、驚きはしたけど何処か嬉しかった。

「とりあえず帰ろうか。ここに居たら冷えちゃうよ」
「……うん」

立ち上がろうとすると、ごく自然に千石くんは手を差し出した。差し伸べられた手に、躊躇いながら手を重ねると千石くんは私の手をそっと握って立たせてくれる。彼はそのまま手を離してくれなかった。繋がれたままの手にどう反応したらいいか分からない。

「……ちゃん、」
「は、はい?」
「……って呼んでもいい?」

あ、嫌ならいいんだ、でも、と口籠る千石くんの姿を見て、ふ、と笑みが漏れた。

「うん……」

いつか酔いから醒める日が来るのかもしれない。今この瞬間も自分の気持ちが分からないままだし、分かる前に、千石くんの気持ちこそ覚めてしまうのかもしれないのだから。収まらない鼓動で胸が壊れそう。でも少し冷たい大きな手に包まれているのは心地よくて、離して欲しいとは思えなくて、知りたい、と言ってくれた彼を知りたいと思った。


('11.9.2)






Perfumeの「Kiss And Music」という歌を聴いた瞬間、「これ、千石だ……」と思い、ずっと考え続けてて、ようやく形になりました。しかし千石とか書いたことなかったので(お礼テキスト除く)、これでいいのかと悩みっぱなし。途中三枝さんに相談しつつも(有難うございましたー!<私信)ラストまで漕ぎ着けたのですが。
これ、千石視点あるわ……と気付いてしまったので(これだけだと足りない……)、書く予定です。のんびりと待って頂けたら幸いですー。