俺が手を差し出すと彼女は決まって一瞬手を止めた。ほんの少しためらってから俺の手を取る彼女をそうさせているのは、やはり俺なんだろうか。





一 瞬 で 落 ち る










入学式の帰り、満開の桜に囲まれた道を歩きながら俺は浮き立つ心を抑えきれずにいた。外部入学生の女の子達も可愛い子が多く、こりゃ大学生活も愉しそうだ、と頬が緩むのを止められない。結局にやけた顔のまま帰途を辿っていると視界の端にその女の子が引っ掛かった。

おとなしい感じの子だった。地味な色のスーツに黒のパンプスといった、何処にでも居るような入学式帰りの格好で一人、佇んでいる。降るように舞う花びらを目で追っていた彼女の視線は、俺の許で止まった。途端に彼女は眩しそうに目を細め笑顔を咲かせる。俺を見て微笑んだ訳じゃない、とすぐに否定したけど、そうとしか思えなかった。やわらかく細められた目と綻ばせた唇の綺麗な薄紅色に、体が動かない。瞬きすら、出来なかった。夢と現実のあわいのような時間はすぐに終わり、彼女は顔を逸らし、再び歩き出す。放たれた笑顔は俺を捕らえ、平穏だった胸の水面にさざ波を立てた。

彼女―――ちゃんのことを思うと胸に嵐が吹き荒れる。変わらなかった今までの日常だって鮮やかに色付いていた。だが、そこに彼女の笑顔が加わった瞬間から一変した。陽炎のように立ち昇る記憶は俺から安寧を奪い、落ち着かなくさせた。

俺は女の子が好きだけど付き合いたい訳じゃなかった。話したり一緒に遊んだりするのは嫌いじゃない。年頃だし、興味が無い訳じゃないから、カラダの面でも仲良くしたい。でも、ただ仲良く出来ればそれで良かった。もの扱いみたいだけど、遠巻きに眺めるだけでもいいとすら思っていた。綺麗な花はそこに在るだけで心を和ませ、微笑みを誘う。そんな風に彼女達を愛でるような気持ち、それがちゃんに会ってから吹き飛んだ。







「そういや南の何処が好きなの?」
「……また唐突だねえ」

南と付き合っている彼女は、ぽかんと俺を見つめた後、笑った。

高一の頃から南と付き合っている彼女とは、南に紹介されてすぐに打ち解けた。生真面目な南の彼女にしてはノリも良く、かと言って不真面目な訳でもない。南も彼女も、見る目があるなあ、と思わせる二人だった。南は少し警戒してたみたいだけど友達の彼女に手を出す程不自由してはいない。

「いやあ訊いたこと無かったって思ってさ」

何しろ中学から同じだから、彼女のことは知っているけど、馴れ初めなんかを改めて聞いたことは無かった。

「……結局、理由って後付けなんだよね」
「え?」

彼女は呟くように言う。

「優しいところとか融通が利かない几帳面なところ、仕方ないなあって困ったように笑うところ、って今ではいくらでも好きなところは挙げられるけど、」

言いさして仄かに笑った。

「だから好きになった、っていうのは、違う気がする。健太郎くんを見てて、ふとした瞬間、好きかも、って気付いた」

首を傾げると、彼女は笑顔のまま続ける。

「落ちるのは本当に一瞬なんだよね。それから気になっていって、好きな理由を見つけていった気がするの」
「……一瞬?」
「そう。理由とか条件とかそんなもの取っ払って、本能的に。まるで攫われるみたいに」

ふうん、と相槌を打ちながら、そんなのは御免だな、と思った。南の彼女のことは恋愛感情じゃなく好きだし、話すのも楽しいけど、彼女の意見に同意したくない。そんな風に心を掻き乱されるのは嫌だった。ゆらゆら漂うみたいに楽しいこと、心躍ることだけに身を委ねていたい。激しい感情に、囚われたくない。

今なら分かる。分かってしまった。多分俺は怖かったんだ。俺という軸が揺さぶられるのが。心を奪われるのが。眺めてるだけでいい、なんて傷付きたくないから出る言い訳だ。でも気付くのはそれが起こってからなんだ。気付いた時にはもう遅いんだ。







ちゃん、こっちこっち!」

学食の真ん中で、ぶんぶんと音が出そうなほど手を振りながら叫ぶと、ちゃんは目を丸くした後、微笑んだ。
……うわ、やばいなあ。
どれだけ胸を持ってけば気が済むんだろう。人波をすり抜けて駆け寄ってくるちゃんを見つめながら、俺はこっそりため息をついた。

「ごめんね、急に呼び出したりして。誰かと約束してたりしなかった?」
「ううん。大丈夫」
「そっか。あ、何にする? 俺はトンカツ定食にしたんだけど」

ちゃんは唇の両端を上げる。

「今日のラッキーフード?」
「それが豚の生姜焼きだったんだよね〜。でも今日は無かったから、せめて豚繋がりにしてみました」

ちゃんは、あはは、と声を立てて笑った。

誘うのは俺からばかりで、ちゃんから誘われたことは一度も無い。押し切るような形で付き合い始めたから仕方ないのかもしれない。それでもどうしても付き合いたかった。彼女は俺のだよ、って、手を出しても無駄ですよ、って示したかった。

「そう言えば、朝から、西館の辺りで見かけたよ」

綺麗な箸使いでごはんを食べるちゃんは言う。こういう時、悲しいとか憤りとかじゃなく、胸がすうと冷えた。それは、寂しい、に近い感情かもしれない。

「……声、かけてくれれば良かったのに」

ちゃんは、南や東方といった友達と居ると微笑をくれた後、身を退いてしまう。女の子の友達でもそれは変わらず、ヤキモチさえ焼いてもらえない、と落ち込んだりした。

「……邪魔しちゃ悪いと思って」

ばつが悪そうに口にする彼女に、無理矢理笑顔を作って見せる。

「気にしないで声かけてよ。ね?」

うん、と頷くちゃんにほっとした。寂しげな笑みしか見たことない気がして焦る。俺のことで困って欲しいけど、悲しい顔をさせたい訳じゃ無いんだ。

付き合い始めることは不安でもあった。見ていただけで話しかけたり出来なかったから、幻滅して、嫌になって、やっぱり付き合わなくてもいいや、って気分になるんじゃないかって。でも二人で話している時に見せる柔らかな笑顔や、食事に行った時に、例えば箸を取ってくれたりする心遣い、横柄でもなく、かと言ってへりくだり過ぎない店員さんへの対応に、ちゃんが好きだなあ、と再確認してしまった。

だからこそ、つらい。ちゃんが、俺を好きか分からないのが。俺はもう手を離せないのに、ちゃんが俺の手を取るのをためらうのが。







ちゃん!」
「え……清純くん?」

教室から出てきたちゃんは俺の姿を認めると、驚いた顔をした。その後ろから続々と学生が出てくる。数分前、終業のチャイムが鳴ったばかりだった。俺は授業が入ってなかったのでちゃんを待っていたのだ。口を開こうとすると声をかけられる。

「あー、キヨじゃん!」
「ね、今からカラオケ行くんだけど、どう?」
「行こうぜ千石、面白い店見つけたんだ」

幾人かの男女混じった友人達の、屈託の無い誘いに俺はへらりと笑った。

「ごめんねー、また誘ってくれる?」

声をかけてきた友人達はちゃんと一緒のところを見ると、そっか、と笑う。

「デートじゃ仕方ないか」
「でもキヨにはびっくりしたよー」
「そうだよ。いつの間にかカノジョ作ってんだもんな」
さん、だっけ。キヨをよろしくねー」

友人達が帰って行くのを見送っていると、ちゃんは所在無さげに俺を見上げた。

「……良かったの?」
「え?」

ちゃんはふいと、友人達の去って行った方を見遣る。

「折角、誘われてたのに」
「だってちゃんと帰ろうと思って待ってたから、」
「……私だったら、良かったのに」

その声は、すっかり人気の無くなった廊下に響いた。途端に無力感が俺を襲う。

「……断ったの、見てたでしょ」
「でも、」
「……ちゃん、」

ちゃんは肩を微かに震わせた。俺を見上げる目には戸惑いの色が滲んでいる。

「まだ、俺の言うこと、信じられない?」
「……信じるよ」

信じてる、とはちゃんは言わなかった。やっぱり、と心の何処かが納得する。

「……ねえ、どうすれば信じてくれる?」

これ以上キミを好きな気持ちを表す術を、心細そうな顔をするキミの不安を取り除く方法を、俺は知らない。途方に暮れながら問うとちゃんは眉を下げたまま唇を引き結ぶ。今にも泣き出しそうな表情に胸の奥が痛んだ。

「……どうしたら、信じられるの?」

ちゃんの返事に虚を衝かれる。質問してるのは俺なのに、なんて思う間も無かった。

「……違うの! 清純くんのせいじゃないの。私の……せいなの」

ちゃんの目尻から涙が一粒零れる。その後を追いかけるようにはらはらと雫が頬を伝っていく。

「信じたいのに信じられない、私が悪いの! そんな自分が嫌で、でも信じようとすればするほど……怖くてっ、」
「……怖いって、俺が?」

弱々しく、ちゃんは首を横に振った。

「違、う……離れていかれたら、要らないって言われたらどうしよう、って考え始めると苦しくて……っ」

ちゃんは声を詰まらせながら言葉を紡いでいく。

「それって……」

……俺のこと好きだから、ってことだよね?
俺はちゃんを抱き締めた。ちゃんは体を強張らせていたけど、そっと俺の胸に耳を当てるようにして力を抜く。逸るように速くなる鼓動に深呼吸した。

「清純く、」
「……無理しなくていいよ」
「でもっ、」

ひく、と嗚咽を漏らしながらちゃんはかぶりを振る。

「いいよ。信じられないならそれでもいい。……信じたい、って思ってくれてるんだよね?」

ちゃんは腕の中で頷いた。

「……それでも、嬉しいんだ」

一方通行じゃない、って分かっただけでもいい。例え信じられていなくても、信じたい、と心を砕いてくれるのなら、それは俺を好きなあかしになる気がした。

「ずっと、永遠に、なんて嘘臭いから言わないけど……、俺はちゃんが好きだよ」
「私……私も清純くんが好き」

好きなの、と小さく繰り返された呟きに背中がぞくぞくする。抱き潰したい程の衝動を、大きく息を吐いて堪えた。しばらくそうしていただろうか、温もりが名残り惜しかったけど腕をほどく。

「……帰ろうか、ちゃん」

いつも通り手を伸ばすと、ちゃんは頷いて手を伸ばしてきた。その手に迷いは無くて、幸福感が体に広がる。空いた手で目を擦っていたちゃんは俺の視線に気付くと首を傾げた。

「何?」
「ううん、可愛いなあって」

ちゃんは目だけでなく頬も赤くする。俺の手を握る力が少し強くなって、俺は唇の端が弛むのを止められなかった。


('11.11.25 Happy Birthday to Kiyosumi SENGOKU!!)






という訳で、千石視点です。ついでにお誕生日おめでとう(<まさか千石を祝うとは思いもよらなかった)。
今回は、Tさんが「これ、キヨだと思う!」とおっしゃっていた、Charaの「ラブラドール」がイメージ。この歌も千石っぽいんですよね〜。