ファジィな痛み・3
「……あ、起きた?」
「……うん。……あー、よく寝た」
結局昨夜はよく眠れなくて今日の授業中はほとんど寝て過ごした。自分で言うのも何だけど、優等生台無しだ。
「、さっきのノート見せてくれる?」
「それはいいけど……」
「テスト前だって言うのにねー」
茶化して笑ったのに、は笑ってくれなかった。そうして口を開く。
「……お節介だって分かってるんだけど、もう一度、ちゃんと仁王くんと話した方がいいと思う」
は私を真っ直ぐ見据えてそう言った。
「ど……、して……」
「昨日は腹が立って考えられなかったんだけど、あんなにを大事にしてた仁王くんが、あんなこと言うなんて信じられなくて、」
「……え」
「比呂士くんも、そう言ってて。何か理由があったんじゃないかと思ったの」
仁王くんが誤解されていなくて嬉しかった。だけど。
「でも、もう……遅いよ……」
口にしたら弱弱しい声しか出なくて、泣きそうになった。
「……のそういう風な姿、初めて見るかも」
微かには笑う。そうかもしれない。つらい事があっても、弱音を吐く事は無い。強いからじゃなくて、弱いところを見せたくない、という妙なプライドのせいで、打ち明けられないのだ。
「、本当に仁王くんのこと好きなんだね」
は、私の大好きだった笑顔で笑った。
そう、過去形だ。彼女の事が大好きだった。自然と、過去形で思う事が出来た。そう思った瞬間、仁王くんに会いたくなった。仁王くんに、会いたい。会って、このことを伝えたい。
「私……会いに行ってもいいのかな。迷惑じゃないのかな……」
「の気の済むようにした方がいいと思うよ! それにね、」
可笑しそうには笑った。
「仁王くんが迷惑がるかなんてどうでもいいの。そんなの知った事じゃない。私はが良ければいいの。がしたいように、して欲しいの」
「……有難う」
は満足そうに笑う。私は急いで帰り支度をして、教室を飛び出した。
***
いつも私は、待ってばかりだった。優しい仁王くんに甘えて、自分ばかり傷付いている気で居た。自分が傷付けているとも、知らずに。
足がもつれて転びそうになりながらもテニスコートに走る。急に走ったから、咽喉の奥が痛い。うまく呼吸が出来ない。すぐに息があがって苦しかったけど、立ち止まる事が出来なかった。止まるつもりも、無かった。
一刻も早く、仁王くんに会いたくて。
コートの中に居た仁王くんは私に気付くと驚いたように目を丸くする。でもそれも一瞬の事、ふいと視線を逸らし何処かへ行ってしまった。どうしよう、と途方に暮れそうになっていると、柳生くんが私に気付き近寄ってくる。
「どうしましたさん」
「にっ、仁王くんに、」
話があるの、とは息が切れて続かなかった。肩で息をしていた私に、柳生くんは、こくり、と頷いて見せる。
「多分、部室です。私が話を通しますから、行ってください」
「え、でも、」
「いいんです。今日の仁王くんは精彩を欠いていて、本当は帰って貰った方が有り難いくらいなので」
柳生くんの言い様に目を丸くしていると柳生くんは笑った。
「そう、伝えて頂けませんか」
「……うん!」
***
部室のドアをノックすると、しばらくしてドアが開けられた。
「何じゃ、柳生……、え、」
仁王くんは私の姿を認めると、目を丸くする。
「仁王、くん、あの、」
仁王くんは一つため息をついて、入りんしゃい、と中に促した。部室に入るのは初めてで、きょろきょろと辺りを見回していると、仁王くんは何処からか、パイプ椅子を持ち出してきた。
「座れば」
「あのね、仁王くん、」
「なん?」
仁王くんは私から少し離れたところに座る。用意してくれた椅子に座らず仁王くんに近付くと、僅かに身を引いた。
「昨日の、覚えとるよな? ……それ以上近付くと、俺、容赦せんけど」
「しなくていいよ」
距離を詰めて、座っている仁王くんの首に腕を回すと仁王くんは体を強張らせる。
「……?」
「私、の事、好きだった」
声が震えそうだった。それでも、伝えたかった。
「好きだった、って思えるようになったの。仁王くんの、おかげ」
「……そうか」
仁王くんの首に回した腕に力を籠める。耳に触れる仁王くんの髪、鼻先に漂う、仁王くんの香り、もっと、傍に近付きたかった。
「でもそれとは関係なく私、仁王くんの傍に、居たい。傍に、居て欲しい」
仁王くんはそろそろと私の腰に腕を回す。まるで壊れ物を扱うかのように。
「……それは、この前の返事と思っていいと?」
「……うん」
ひどく曖昧な感情は名前をつけてあげると形になった。仁王くんが好き、と。
認めてしまえばとても簡単なのに、どうして遠回りしちゃったんだろう。でも必要だった。遠回りしたからこそ、分かる真実もあると知った。
「、顔見せて」
「いま、むり……」
「見たいんじゃけど」
「で、でも、無理なの……」
顔が熱い。何を言ったの。何をしてるの。今更ながら恥ずかしくて、仁王くんの顔を見る事が出来ない。それなのに腰から体温が消えたと思うと、腕を掴まれ解かれた。目の前には、仁王くんの笑顔。
「」
名前を呼ばれてますます体温が上がる。
「……顔、真っ赤」
仁王くんは咽喉の奥で笑った。
「は、離して、」
「それは無理」
「え、」
腕を引かれて倒れるかと思ったら、仁王くんに抱き締められていた。首筋に微かに触れた唇に体を震わせると、仁王くんは低く笑う。
「……もう、離さんよ」
「……うん」
その時部室のドアがノックされた。慌てて体を離そうとしたのだけど、仁王くんは離してくれない。
「に、仁王くん、誰か来たよ」
「もうちょっと」
「でも、」
仁王くんは仕方無さそうにため息をついて、離してくれた。それと同時にドアが開く。そこに居たのは柳生くんだった。
「何じゃ、柳生」
「お邪魔して申し訳ありませんが、そろそろ部活に戻ってください」
「こういう時くらい見逃さんね……」
「そうしてさしあげたいのは山々なんですが、真田くんが探してまして」
「げ……」
柳生くんは忍び笑いを漏らす。その笑い方は少しだけ、に似ていた。
「……少しは、ましな顔になりましたね」
「ましって……失礼やな」
はあ、と大きく息を吐いて仁王くんは立ち上がった。立てかけていたラケットを手に取り、外に出ようとした彼は振り向く。
「、」
「え?」
「出らんの?」
「あ、で、出ます」
差し伸べられた手を取ると、仁王くんは微かに笑った。
「部活終わるの、待っとって」
「……うん」
触れた手から伝わってくる仁王くんの温もり。それは胸を柔らかく刺す。
刺されたところから溢れていくその感情の名前を、私はもう、知っている。
('06.6.12)
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「きれいな感情」からお付き合い頂き、有難うございました。
タイトルはPSY・Sの曲から。ファジィ、とは曖昧な、という意味です。
以下、蛇足。
仁王救済のつもりで書いたお話でした(救済って!)。「きれいな感情」ラストで、くっつけることも考えたんですが、都合のいい展開にはしたくなかったのです。前の恋がちゃんと昇華されて、今の気持ちに気付いて、という話にしたくて、「ファジィな痛み」は出来上がりました。
……気付けば一年以上経っていた訳ですが(あわわ)。
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