という人物の名前だけは、以前から知っていた。










 光の軌跡―陥り眩む音の底―










 氷帝テニス部部長跡部景吾の従兄弟、という彼女は、こう言ったら何だがごく普通の女生徒だった。休み時間は友達と喋るか、本を読んでるかのどちらかで、容姿通り大人しい。そんな彼女と初めて話したのは高等部に上がって、同じクラスになった事がきっかけだった。

 頼りなげな雰囲気なのに芯は強い、そんな彼女と話すのは楽しかった。ちゃんと話が出来る事も理由の一つだ。当たり前のようだが、他人の話を聞いて的確な受け答えをするのは意外と難しい。
 親しくなって改めてを見ると、贔屓目もあるのだろうが彼女は可愛い顔立ちをしていた。殊更目立つような容姿では無いが、ふわりと笑みを浮かべる様は可愛らしい。
 かと言って恋愛対象として気に入っているかと訊かれるならば否、と答える。妹など居ないが、妹のようにしか思えなかった。だからそんな彼女が、彼氏が出来たと言った時、密かに感心していた。
 見る目がある奴は居るものだ、と。

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 珍しく試合を観に来ていたは、その翌日から塞いだようにしていた。何時も通り振る舞っているつもりなのかもしれないが、その企みは失敗していた。明らかに笑顔を浮かべる回数が減っていたのだから。あの時、ふと口にした立海の仁王に何かされたのだろうか。それとも。
 ……いや、違うだろう。
 は、中庸を愛する人間だ。本人自身もそう言っていた事がある。

「いいの、私は跡部くんみたいに実力がある訳でも無いんだから。分相応、てものがあるでしょ? 平凡が一番よ」

 何の疑いも無くは、冒険心と言うとおかしいが、道を踏み外したり、安定を望まないということが無いと思っていた。普通で居ることにつまらなく思ったりする事は無いだろう。今居る自分を、立場を、捨てたり疎んじるような愚かさは彼女に似合わない。
 に言うと、買い被りすぎだよ、と笑われそうだが間違ってはいない気がしていた。

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「……って、跡部の従兄弟だよな」
「ああ。……何や、お前も幼稚舎から通っとるんやから、知っとったやろ」

 宍戸の言葉に返すと、宍戸は頷いて言葉を濁す。そして躊躇いがちに口を開いた。

「……俺、見たんだよ、あいつ」
「あいつ、てを? そりゃ学校同じなんやから、」
「違う……駅で」

 宍戸の口にした駅は、聞き覚えの無い駅名だった。何度かと帰りが一緒になった事があるが、その時が下車した駅では無い。

「買い物か何かやないの。女の子は好きやからねえ、雑貨屋めぐりとか、そんなん」

 宍戸は首を横に振り、言った。

「男と、居たんだ」
「……男?」

 宍戸がこういう言い方をするという事は、の付き合っている相手ではないという事だ。次の言葉を促すと、言い難そうに続けた。

「立海の、仁王に見えたんだけどよ」
「……何やて」



 そんな話を聞いた翌日の放課後、彼女が別れを告げていたのを聞いてしまった。まさに青天の霹靂。そこに居たのは、抑えきれない恋情に身を焦がす、一人の女だった。しかも相手は立海の仁王だという。いい噂を聞かない相手にお節介だと分かりながら苦言を呈した。

「あいつ、ええ噂聞かんで」
「……それでも、いいの」
「でも、」
「どんな人かも、どうなるのかも分からないけど、好きで仕方が無くて、どうしようもないの……」

 見た事のない彼女の表情に目を瞠った。こんな激しい一面も持っていたのかと。ふわふわと穏やかに笑っていた面影は全く無かった。荒れ狂う波のような色を瞳に宿し、口調こそ変わりは無いがほとばしる激情を漏らす。
 どうしようもない、感情。そういうものがある事も知っていた。そんなものと無縁だと思っていた彼女にも、それが訪れた、というだけ。
 だけど、せつなかった。知らずにふわふわと生きて欲しかった。苦しんで欲しくなかった。

 だがそれは、俺のエゴだ。
 それに、苦しいばかりじゃない、ということも、苦しくても、避けようが無いことも、知っていた。

「……前、、言うてたやろ」
「え、何を?」
「自分が跡部の従兄弟だから気にかけてくれるんでしょ、て」
「……そんな事、言ったっけ」

 は、困ったような顔をして呟いた。

「そう、言うたんよ。けど、ちゃうからな」
「え?」
「そういうんが全く無いとは言わんよ。知っとるもんは、しゃあないからな。でもそれとは関係無く、俺はを気に入っとる」
「……忍足くん」
「あ、レンアイとかそういうのとはちゃうで。何やろ、友情、とか、そういう感じ……やから、」

 俺は彼女を見据え、続けた。

「心配は、する。騙されとるんやないかって。でも、余計なお世話みたいやんな」
「そんな事、」
「分かっとるんよ、そういう感情があるって事も」

 は、強張ってはいたけれど、笑みを浮かべる。

「……さすが経験豊富なだけあるね」
「茶化す余裕があるんなら大丈夫やな」

 言うと彼女は涙を拭いて笑った。

*
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*

 別れたことが噂になってもは何時も通りだった。囁かれる様々な憶測にも平気な顔をしていた。いや、平気なふりを必死でして居たのだろう。背筋を伸ばし、俯く事無く。
 それでも、彼女の本質が変わった訳では無い。ただ底に秘めていた光が表に現れたというだけ。跡部は今の彼女は悪くない、と言う。今までの流されるままだった彼女より、興味深いと。俺もそう思う。深みを増した、と言うのだろうか。輝きは確固たる艶を持ち、溢れているようだった。



 窓から下を見下ろすとは校門に向かって歩いていた。姿勢の良い後ろ姿に笑みが漏れる。仁王に会いに行く、とさっき漏れ聞こえた会話を思い出す。幸せそうに微笑んだ笑顔と共に。

 心配は消えない。でも、彼女が選んだ道だ。
 今はただ、大切な友人であるの、光の軌跡をゆっくり見守ろうと思う。


('05.12.29)







「陥り眩む音の底」忍足視点編。
忍足が友達ってのもいいと思います。