……あ、仁王……と、サン。
紡がれる時間の糸
読書感想文の為に借りていた本を返して館内をうろついていた時の事だ。
書架の間で立ち働くさんを見守るように仁王が居た。踏み台に登ろうとした彼女の肩をやんわり押さえ、止める。訝るように見上げたさんの手から本を取り、書架に戻した。彼女は頬を染め、嬉しそうに礼を言う。その笑顔を見下ろす仁王の眼差しは柔らかかった。優しい、というか、慈しむ、というか。
……これが詐欺師と呼ばれた奴だろうか。
酷薄そうな笑みを浮かべ、相手を翻弄し叩きのめしてきた、あの。
声を掛ける事も出来ず立ち尽くしていると仁王が俺に気付く。僅かに目を丸くした後、仁王は人差し指を唇の前で立て、笑った。喋りかけるな、と、邪魔してくれるな、とでもいうように。密やかな逢瀬を邪魔出来る筈もなく、俺はその場を離れた。
館内はエアコンが効いている筈なのに、掌に汗をかいていた。
二人は寄り添うように並んでいただけで、少しも触れ合っていなかったのに、間に漂う空気は濃密で思い出すだけでどきどきした。二人が言葉を交わすところは眩しくて、見てはいけないものを見た気がした。
恋は人を変える、とはよく言うけど間近で見ると理解できる。
仁王は、変わった。
人当たりは悪くないのに踏み込ませないのは相変わらずだったけど。
……めろめろになる、ってああいう事を言うんだろうな。
彼女に関する時だけは、優しく笑うようになった。テニス以外どうでも良さそうにしていたのに。
……さんは、どっからどう見ても普通の人なんだけど。
俺は図書館の扉を開けながら思った。ドア一枚隔てた世界の、うだるような熱気に眉を顰め歩き出す。
仁王のカノジョのさんは、何処にでも居るような感じの人だと思う。別に際立って目立つ人でもないし。
……あ、でも作文とかでの受賞の常連って柳が言ってたな。
俺はガムを取り出し口に放り込んだ。
それでも、仁王にとっては違うのだろう。仁王にしか分からない何かがあるのだろう。
あんなに柔らかな視線を送るのだから。その視線を受けて、さんは嬉しそうに微笑むのだから。
それに、あの、仁王と付き合う人だ。何か……底知れない魅力があるのかもしれない。これは勿論口に出せないけど。
……後が怖ぇからな。
でも単純に、二人を見ていると、いいなあ、と思う。
殊更言葉を交わしている訳でもないのに、紡がれる柔らかな時間。思い返して、羨ましく思う事はあっても、妬ましいとか、不愉快な気持ちは湧いてこない。
……それにしても。
驚いたように目を丸くした仁王を見たのなんて、初めてかもしれない。この先、そんな仁王を見ることが増えるのだろう。それはちょっと……、いや、かなり面白い。俺は意地悪い笑みが浮かびそうになるのを堪えながら、部室へと急いだ。
('05.4.12)
ブン太視点で。
柳生視点の「ゆるやかな憧憬」とかぶるかなあと思ったのですが、しー、と唇の前で指を立てる仁王を思いついてしまったので(見たい……!)。
|