「いい……」

思わず呟くと、は、またか、という顔をした。










背 中 の 記 憶










男の子の、何処に目が行くかって訊かれたら断然背中だと答える。直線で構成された肩幅も、厚みも、見飽きる事が無い。女の子の背中は、ほっそりとして柔らかい線を持っていて、それもまたいいと思うんだけど。
……というような事をのんびりと話すと、は大きなため息をついた。

「あのね、あんたのそれは一歩間違うと犯罪だからね」
「見てるだけだからいいじゃん。観察するのが楽しいんだもん」
「……たまーに、あんたと友達でいいのかって思う時がある」
「えへ」
「褒めてないから」



色んな人の背中をこっそりと観察していたが、そのうち、好みの背中を持つ人を見つけた。
同じクラスの仁王雅治くんの、背中。
銀色のしっぽがゆらゆら揺れる背中は見つけ易い。筋肉の付き方とか少し猫背なところも良くて、彼の背中を見つけると、何時も目が離せなくなる。
……今まで、こんな事無かったのにな。
一人の人の背中を、ずっと見ているなんて。見ていたいなんて。



その日も、広い背中を見つめているとふいに彼が振り返った。

「……なん?」
「え」

仁王くんは、顔立ちも整っている。すっと通った鼻筋も、薄い唇もその口元のほくろも、素敵だなあと思わせる。でも、私が興味があるのは彼の背中なのだ。だって同じクラスではあるけれど、ほとんど話したことも無いし、彼の背中しか見ていないし。

「何でもないよ?」

私が首を横に振ると、仁王くんは口元に笑みを浮かべ、そう、とだけ言った。


* * *


何だか女の子達がそわそわしているな、と思ったら今日は仁王くんの誕生日なのだそうだ。入れ代わり立ち代わり仁王くんの許を訪れる女の子の群れを眺めながらは呟く。

「毎年の事だけど、壮観ね……」
「ね。あれだけ、仁王くんの事を好きな人が居るんだねえ……」

そう言うと、は奇妙なものを見るような表情を浮かべた。

「……は、何もあげないの」
「私? どうして?」

唐突な問いに目を瞠る。何で私に訊くの?

「好きなんでしょ」
「うん?」

頷きながらも語尾を上げると、は小さく笑う。

「自覚が無いのが一番厄介だよねえ」
「え? 自覚?」

意味が分からなくて訊き返すと、は私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「いいの、気付いてないなら」


* * *


窓の外は夕焼け空。
十二月になって更に日が暮れるのが早くなった気がする。グラウンドから部活をしている人達の声が聞こえるけど、校内には驚くほど人気が無かった。

「失礼しました」

一礼して職員室のドアを閉めると、途端に足元から冷気が上がってくる。職員室と廊下の温度差に体を震わせながら、教室への帰路を急いだ。

さん」

ようやく辿り着き、ドアに手を掛けようとすると名前を呼ばれた。

「はい?」

声の方に顔を向けると、柳生くんが立っていた。
以前、同じクラスになった事はあるものの、そう親しくはなかった彼に声を掛けられて訝しく思いながらも彼を見つめていると、彼は微笑を浮かべる。

「すみませんが、仁王くんは居ますか」
「え、ちょっと待ってね」

違うクラスには入りにくいものだ。例え、仲が良い人が居ても。そう思って教室の中を窺うと、仁王くんはもう居ないようだった。

「帰ったのかな? 居ないみたい」
「では、これを仁王くんの席に置いていて貰えませんか」
「あ、うん。分かりました」
「お願いします」

辞書を受け取り、昇降口に向かう柳生くんの背中を見送っていると違和感を感じた。ほんの僅かな違和感は、じわじわと染みを広げる。まさか、でも。

「……仁王くん?」

思わず漏らした呟きに、彼は立ち止まった。自分がおかしな事を口走ったのは分かっている。でも、その背中は仁王くんのものだった。背筋は伸ばされているけど銀色のしっぽは無いけれど確かに。

「……さすが、と言わんといけんねえ」

振り向いた彼の唇から零れ落ちた口調は、仁王くんのものだった。私が呆気に取られていると彼は、く、と咽喉の奥で笑う。

「なに、してるの……?」

仁王くんはそれに答えず眼鏡を取って胸ポケットに仕舞う。

「あー、くらくらした」
「え……うわ!」

悪戯っぽく笑った彼は、何時の間にか間近に迫っていた。慌てて身を退こうとすると腕を掴まれる。

「……まあまあ」
「な、何がまあまあなの」
「何じゃろね?」

しっかりと掴まれた腕の力は痛くは無いけど強くて逃げる事は敵わなかった。彼を見上げると、口の両端を上げて言う。

「俺、今日、誕生日なんよ」
「あ……うん、たくさんプレゼント貰ってたね」

私の答えに小さく笑った。

「……サンは、いーっつも、俺の背中見よるね」
「え」

……気付かれてたんだ。
肩を僅かに震わせた私に、仁王くんは笑みを深くした気がした。

「俺の背中に、穴開ける気やろ」
「そ、そんなこと、」
「どーも背中がじりじりして仕方ないんよ。責任取ってくれん?」
「……は?」

―――せきにん? せきにんってどういういみ?
すぐに、脳内で変換できずに居ると、仁王くんは続けた。

「背中に穴を開けられとうは無いからのう」
「責任って、どうやって」
「そうじゃねえ……、まず後ろに立たんこと」
「えー……」

……それじゃ背中を見られない。
思わず不満の声を上げると、低く笑って続ける。

「それから、隣に立つこと」
「……え?」

ぽかんと馬鹿みたいに口を開けていると、仁王くんは整えた髪を崩しながら口にした。

「……気付いとらんの?」
「何を?」
「……何で俺の背中を見るのか、考えた事無いんか?」
「何でって……、好みの、背中だからで……」

そう言うと、仁王くんは何度か目を瞬かせた。そして肩を落とし大きく息を吐く。

「何や、それ……」
「ええと、」

言いよどむと、仁王くんはつまらなさそうに呟いた。

「……変な女」
「はあ……、よく言われます」

俯いていた仁王くんは、顔を上げ私を見つめた。真剣な眼差しに鼓動が速くなる。私の腕を掴む力を僅かに強め、彼は言った。

「やっぱり、責任取って貰わんといけん」
「は、」

両胸の間が音を立てる。何だろう、これ。落ち着かない気分になったけど、仁王くんから目を逸らす事が出来ない。柔らかく歪む双眸が、私を捉えて離さないから。

「お前さんが、あんな目で俺を見るから気になって仕方ない」
「……え……?」

仁王くんは腕を解き、私の手を取った。

「な……っ」

大きな手が私の手を包む感触に、顔が熱くなる。心臓の鼓動が速過ぎて、繋いだ手から伝わりそうで混乱した。

「分かるまでは、離さんよ」
「え、あの、」
「もう用事は済んだじゃろ。帰るぞ」
「いや、あの、」
「なん? 何か文句あると?」
「……文句は、無いですけど、」
「けど?」

まさか訊き返されるとは思っていなかった。繋がった手に、降って来る声にくらくらしながら言葉を搾り出す。

「……お誕生日、おめでとう」

仁王くんは、驚いたように目を見開いた。そうして笑い出す。

「お前、ホント、変」
「え、何で。だ、だって誕生日だ、し、」

彼は、私を見つめて言った。

「……ありがとな」

その視線にまた胸の奥が音を立てる。きゅう、と締め付けられるように痛んだ胸を空いた手で押さえながら、ただ頷いた。


('05.12.4 Happy Birthday to Masaharu Nioh!)