「生」
「じゃ、私も」

渡されたおしぼりで手を拭いながら向かいに座る男に倣った。温かいおしぼりで手を拭うと手が溶けていくようだ。

「えーと、唐揚げと、揚げだし豆腐と、えのきのベーコン巻きと、豆腐サラダと……あと串焼き六種盛り合わせ。たれで」

勝手知ったる調子でお品書きを見ながら頼んでいると、生ビールの入ったジョッキが二つ、運ばれてきた。

「とりあえず、それだけお願いします」

店員さんが去るとすぐジョッキを手に取って、かちん、と音を立てて合わせる。

「お疲れ」
「お疲れさまー、あと……久しぶり」

向かいに座る男―――仁王雅治はジョッキに口をつけ、にやりと笑った。





きょうはきのうのつづき










暖房の効いた店内だと冬でも冷たい生ビールが美味しく頂ける。三分の一くらい空けて思い出した。

「あ、そうだ。ついでみたいで悪いんだけど、誕生日おめでとう」

仁王は一瞬目を見開いた後、唇の両端を上げる。

「……覚えとったんか」
「うん。何も用意して無いけど」
「じゃあ、ここはの奢りってことで」

仁王はジョッキを掲げて見せた。

「えっ! ……まあ、いいか」
「いいんかい」
「ボーナス近いしね。てゆっか仁王こそいいの?」

突き出しの、きんぴらの入った小鉢をつつきながら言うと、何でもないような顔をしてジョッキを空けた仁王は首を傾げる。

「折角の誕生日を彼女と過ごさなくて」

ああ、と納得したように仁王は頷いた。

「今は居らんからのう」
「あ、そうなの。珍しいね」
「珍しいって何じゃ。そう言うお前さんこそどうなんよ」
「私も居ないよ」
「……ふーん?」

仁王はお品書きから顔を上げ、再びにやりと笑う。回数は減ったものの胡散臭い笑顔は学生の頃と変わりは無かった。以前のような派手な銀髪では無くなったし、大人っぽく精悍な顔つきになったというのに、そこだけは変わっていない。

多くの立海生がそうであるように、中学から大学まで一緒の友人というのは多い。しかし社会人になってからも付き合いがあるのはその中のごく僅かだ。仁王とは、何度か同じクラスになったことがある、位の接点だったのに、何故か続いている。部活も友人達も違ったのに、ふと思い出した頃に連絡を取り合って一緒に飲んでいた。お互いの歴代の彼氏彼女も、今思い出すと恥ずかしい過去も知られているし、知っているので、今更格好をつける必要が無い、気を遣わずに済む貴重な相手だ。

「何よその笑みは」
「別に。すみません、芋焼酎、ロックで」

平日だと言うのに店内は程よく混んでいて、お互い黙ってもざわざわとしていた。仁王とだと沈黙で間がもたない、ということや、気まずいということが無い。肉や野菜の焼ける音、グラスや瓶の立てる音、笑い声、そんなものを耳にしながらえのきのベーコン巻きを食べていると仁王はからからとグラスの氷を揺らしながら口を開いた。

「真田、結婚するんて」
「えぇ?!」
「高校の時から付き合っとった年上の彼女と」
「あの真田くんが……」

仁王以外のテニス部メンバーとは話したことがある程度だったけど、仁王から話を聞いていたので他人事のような気がしない。いや、他人事なんだけど。

「この前集まった時に言い出してな。丸井と赤也が大騒ぎじゃった」
「うわぁ、目に浮かぶよー」

笑いながらジョッキを空けておかわりを頼む。私も焼酎にしようかと思ったけど明日も仕事なのでこのままビールにしておいた。

「で、はどうなんよ」
「あ、どうも……え、どうって、何が?」

交換するように空いたジョッキを渡し、運ばれてきたジョッキを受け取る。

「気になるやつとか、居らんの」
「……何、急に」
「好奇心、ちゅうやつかね」
「好奇心、ね……うーん、出会いが無いんだよね」

レバーを串から箸で外しながら返すと、仁王は咽喉の奥で小さく笑った。

「おお、常套句」

串を串入れに投げ入れながらそれに返す。

「いや本当に。みんな何処で出会ってるの、って感じ」
「合コンとか?」

揚げだし豆腐を口に運びながら仁王は適当に例を挙げた。

「あー……なるほどね。合コンは気が向かないなあ」
「そういう出会いは本物じゃない、って?」
「そうじゃなくて。うーん、」

そこで言葉を切ってレバーを口に入れる。よく噛んで飲み込んで、口を開いた。

「そこまでして出会いを求めなくてもいいかなってこと。それに……わざわざ気を遣う飲み会に行きたくない」
「出会いの場でも酒の心配か」
「大事なことでしょ」

くつくつと笑った仁王は煙草を取り出す。吸ってもいいか、目で問われたので頷いた。こういうところで変に律儀な仁王は、煙草を吸おうとする度、私に伺いを立てる。だからこそ、こうして付き合いが続いているのかもしれない。

仁王はその長い指で箱から煙草を取り出し、火を点け一口吸い込んで美味しそうに煙を吐いた。仁王が煙草を吸う一連の仕種は、何度も見ている筈なのに、何度見ても初めて見たように見惚れてしまう。だが、それを素直に本人に言うのは何だか癪なので黙っていた。

「じゃあ運命の出会いを待っとるとか?」
「言うと思う?」
「思わんね。お前さんは待っとるより掴みに行く方が似合っとうよ」

……理解して貰っていて有難いような、有難く無いような。
妙に背中がむずむずして、照れ隠しのように呟く。

「……運命の出会いなんて何処に掴みに行けばいいのよ」
「俺に言われても」
「まあね。でも、そうそう劇的なことって起こらないよ。今日は昨日の続きで、明日は今日の続きなんだから」
「……今日は昨日の続き?」

仁王は二杯目のロックに口をつけながら訊いてきた。最初に生ビールを飲んだから、実質、三杯目の筈なのに仁王は顔色一つ変えてない。

「そう。それだけ見ると点に見えるかもしれないけど、本当は連続した線になっているんだと思うな、日常とか物事って」

物事は深く静かに進行していく。何らかの芽があって、じわじわと育っていったそれが形を為すのを、急に起こったように感じる時、劇的と呼ぶのかもしれない。勿論例外もあるだろうが、大抵のことには原因があって、結果があるんじゃないだろうか。片方が知らないだけで。仁王は可笑しそうに肩を揺らした。

「……あいかわらず、お前さんは面白いのう」
「それ、けなしてる?」
「褒めとる、褒めとる」

二回続けて言うとうそ臭い。軽く睨んで続けた。

「ハタチになる時思ったけど、ハタチになったからって急に大人になる訳じゃないもんね。体はそれより前に大人になってるし、意識だって突然変化する訳でも無いしさ」
「まあ、誕生日もそうじゃね。一つ歳を取ったからって何か変化が起こる訳でも無くて、書類に年齢書く時、あ、一つ増えた、って思うくらいのもんやしな」
「でしょ? そんなに劇的なことなんて無いよねえ」

仁王は一瞬目を細め、煙草を灰皿に押し付けて消す。

「……じゃあ、俺と付き合うか」
「はっ?!」

ごと、とジョッキが手から滑り落ち鈍い音を立てた。そんなに持ち上げてなくて良かった。危なく、割ってしまうところだった。ジョッキを置き直して仁王を見ると、会った時と変わらない顔でグラスに口を付けているし、店内はあいかわらずの喧騒に包まれている。さっき聞こえたのは幻聴かと思ってしまうくらい、何も変わってない。

「……劇的がどうのって話をしたからって、そんな冗談は要らないんだけど」
「冗談て何のことじゃ?」
「付き合うとか、そんな、」
「……お前さんは本当に鈍いのー」

仁王は大仰にため息をついた。むっとして仁王を見ると真正面から見据えられる。

「今日誘ったのだって誕生日を好きな女と過ごしたいからに決まっとうやろ」
「えぇ?!」

混乱してきて思わずジョッキの残りを飲み干した。頭の中がぐるぐるする。今ビールを口にしたはずなのに妙に咽喉が渇いてきて、通りがかった店員さんを呼び止めた。

「米焼酎の水割り、お願いします」
「俺も、おかわり」

明日も仕事だからビールだけにしておこう、なんていう気分はすっかり吹っ飛んでしまっていた。飲まずにやってられるか、という気分で仁王に視線を遣ると、新たに煙草に火を点けようとしていた仁王は微笑む。さっきの発言で動揺しているのは私ばかりで仁王は平静なままだった。

「……いつから?」
「いつからって?」
「その……さっきの、」
「告白のこと?」
「そ、そうです」

頬が熱いのはアルコールのせいだけじゃない。そうだ、告白されたのだ。言葉にされるとますます顔が熱くなるような気がする。

「いつから、ていう明確な日付は覚えとらんけど、とだったら一緒に居ても楽しかろうなーとは思っとった」

私にしてみれば突然の告白も、仁王にしてみれば昨日の続き、なんだろうか。私の思考を見透かしたように仁王は続ける。

「やけん、思いつきとか冗談で言うた訳じゃ無かよ」
「は、はあ……」
「それと、」

にやり、と仁王は面白そうに唇を引き上げた。

「劇的なことなんて起こらんとお前さんが言ったんで、それならプレゼントしちゃろうかと」
「そんなプレゼント要らないー! ていうか、プレゼント貰う立場にあるのは仁王で、私じゃないでしょ!」

私が叫ぶと、仁王は嬉しそうに微笑む。

「まさか誕生日を覚えとってくれたとは、思うとらんやったのう」

その微笑に両胸の間がぎゅっと押されたようになった。脈だってさっきから乱れっぱなしで。
……これはまずい。まず過ぎる。

「出るか」
「え……出るって、もう?」

仁王は勘定書を手に立ち上がる。慌てて残っていた水割りを飲み干して後を追うと、堪えきれない、というように仁王が笑っていた。

「何よ?」
「残せばいいとに。こういう時でもお前さんは変わらんね」
「だって、勿体無いでしょ」
「そういうところも気に入っとうよ」
「え……」

立ち尽くす私を尻目に、仁王はさっさと勘定を済ませる。

「ちょっと、私が、」
「良かよ」
「でも誕生日だから奢るって言ったじゃない」
「……他に貰うつもりやけぇね」
「何を!?」

仁王はそれに答えず、学生の頃と変わらない、企んでいるような笑みを浮かべた。

「さっきの返事も聞いとらんし、もう一軒行くぞ」
「や、明日も仕事だし!」
「そんなヤワじゃ無かろう」
「そうじゃなくて、」

言い募ろうとした私に、仁王は先に立ちドアを開けてくれる。店内と外の温度差に思わず身を竦めると仁王が、手、と一言呟いた。訳が分からなくて首を傾げると、ごく自然に私の手を取る。

「ちょ、仁王?!」
「さーて、何処行くか」

しっかりと私の手を握った仁王は私が騒ぐのも意に介さないように鼻歌交じりにすたすたと歩いて行く。引き摺られるようにしてついて行っていると息が上がってきた。吐く息は白いけど、手だけは温かい。

今日は昨日の続きだと思ってた。いつもみたいに飲んだくれて帰宅して、また時間が出来たら仁王と飲んだくれるんだろうなって。ずっと変わらないんだろうなって。でも今胸の奥がそわそわして、落ち着かない。これは覚えがある感覚だ。それが嫌な訳じゃない。決して嫌じゃないけど。
……困った。

「ね、仁王ってば!」

突然仁王は立ち止まり、その腕に顔をぶつけてしまった。これ以上鼻が低くなったらどうしてくれる。空いた手で鼻をさすっていると、仁王が口を開く。

「なあ
「いきなり名前呼びですか!」
「……もう帰りたいと?」

……その訊き方はずるいんじゃないでしょうか。
飲んでも滅多に顔に出ない私の頬に朱が差したのを見た仁王は咽喉の奥で笑った。

「顔、赤いぜよ」
「……っ、この詐欺師!」

悔し紛れに叫ぶと、仁王の唇の片端が上がる。

「おー、懐かしいのう」
「いや懐かしいじゃなくて!」
「……嫌なら帰りんしゃい」

仁王は繋いだ手に力を籠めた。

「逃げられるもんならな」

絶句した私に仁王はにっこりと笑いかける。身構える間も無くそれは心臓を直撃して。

「……逃がすつもり、無いんじゃない」

楽しげに声を立てて笑う仁王に手を引かれながらため息をついた。本当に嫌なら、手を振り解けばいい。ここで帰ってしまえばいい。それと分かっていてそうしないのは、繋がれた手の温かさに甘んじているのは。
……逃げるつもりが、無いからだ。
自覚すると同時にまた頬が熱くなってきて俯いた。視界をよぎる、私の手を握る骨ばった長い指は見慣れたものである筈なのに胸の鼓動を速くする。
……どうしよう。
自分で言ったことだけど、今日の続きが明日なら、明日には仁王を”恋人”と呼んでいるのかも知れない。窺うように顔を上げると、だるそうに先を歩く猫背が目に入って、また胸の奥が跳ねた。


('07.12.4 I'm so glad there you,Masaharu Nioh!)







仁王お誕生日おめでとう!!
こうしてお祝いするのも三度目だと思うと感慨深いものがあります。
以下、蛇足。
今日は昨日の続き、明日は今日の続き、というフレーズと(どこかで読んだのかな……→『西の魔女が死んだ』でした@'10.11.5)、誕生日に仁王と飲む、というのが浮かんできたのがきっかけです。
社会人設定な上、飲んでるので学生さん向けじゃないかもしれないのですが、飲んでも顔色を変えない仁王を書きたかったのでした。仁王は強そうだよね! 好みで焼酎飲みにしちゃいましたけど、何でもいけそうです……。