待ち合わせの駅の改札を出ると、録音されたものだろうけどお囃子が聞こえた。駅前の広場にはぐるりと提灯が張られ、中央には赤と白に色付けされた柱でやぐらが組まれている。ライトアップされた広場には人が溢れていた。
……お祭り、かな?
そちらに目を遣りながらも、待ち人の姿を探す。携帯を確認すると、もう少しで着く、というメールが届いていた。冷房の効いていた電車から出た体は簡単に外の気温に溶かされていく。薄い膜みたいに体に貼り付いてくる熱気。気温は夜になっても大して下がらず、滲んでくる汗をハンカチで押さえた。
「……お待たせ」
いつの間に近付かれていたのだろう。改札だけに集中していた訳では無かったので、大袈裟なくらいびくりと肩が震えた。
「そがん驚かんでも」
待ち人―――仁王雅治は小さく笑った。
あしたはきょうのつづき
「いや……いつの間に来たの」
昔から気配を消して忍び寄るような人ではあったけど、久々にそれに遭遇するとびっくりする。
「さっき。……何じゃ、祭りか何かか?」
喧騒に顔を向けた雅治は呟いた。
「そうみたい。店、空いてるかな」
どうじゃろね、と返す雅治と並んで歩を進める。屋台から漂う匂い、頭上のスピーカーから流れる音楽、重なって聞こえる歓声、そんなもので満たされた広場を突っ切ろうと歩いていると人の波に流されそうになった。
「、」
差し出された手に素直に手を伸ばす。手でも繋いでないと、はぐれてしまいそうだ。
「人多いね」
「ん。こりゃ待ち合わせ場所失敗したかのう」
ただでさえ暑いのに、これではまた汗をかいてしまう。職場を出る前にした化粧直しも台無しだ。最も、今更そんなことを気にする仲でも無いのだが。でも、こういう雰囲気は嫌いじゃない。夏の風物詩って感じで、わくわくしてしまう。何も無いってもう分かってるけど、何かありそうな気がする。くい、と繋いだ雅治の手を引いた。
「……折角だし、ちょっと屋台見てみない?」
「……構わんけど」
人混みが苦手な雅治は、ほんの一瞬眉根を寄せたけど、頷いてくれた。
仁王雅治と『恋人』として付き合うようになって半年以上経つ。去年の雅治の誕生日に色々あって付き合うようになったのだけど、何しろ中学生の頃からの長い付き合いなので、楽、と言ったらあんまりだが、そう緊張することも無く穏やかに続いていた。
「あっ、ビールがある!」
そう言って雅治をちらりと見ると呆れたように私を見下ろす。
「飲みたいと?」
「うん!」
「……今から飲みに行くとに?」
「それはそれ。いいよ、私だけ飲むから」
いそいそと肩に掛けたバッグから財布を取り出そうとすると、それを制された。
「こんぐらい奢る」
「ええ? でも、」
雅治は、二つ、と言ってお金を払う。紙コップに入った生ビールを受け取りながら笑ってしまった。
「何よー、やっぱ飲むんじゃん!」
「そりゃな」
暑い中飲む生ビールって何でこんなに美味しいんだろう。チープな紙コップ入りの生ビールがやたらと美味しく感じるのは、野外といういつもと違うシチュエーションのせいか。まあ、私と雅治は、夏に限ったことでは無いのだけど。紙コップに口をつけながら人の流れに乗るように歩く。屋台の焼き鳥の焦げたタレの匂いに、くう、とお腹が反応した。
「うわぁ、美味しそうー」
「食う?」
「うーん、食べるのは我慢する」
気付くとやぐらの周りには人が集まっていて盆踊りが始まっていた。楽しそうに踊る老若男女を見ているとこっちまで笑顔になる。
「……浴衣、だいぶ着てないなあ」
「じゃあ今度着てきんしゃい」
呟きを拾った雅治はさらりと返す。
「え、いつ」
「今度花火大会あるじゃろ。そん時」
「……見たい?」
「ん」
からかうつもりで言ったのに、真顔で返されて照れてしまった。友達付き合いの延長のお付き合いは、思い出したように鼓動を速くさせるから慌ててしまう。気温のせいだけじゃなく熱気を感じて生ビールを呷った。空腹で口にしたせいか、頭の芯がふわふわとする。これ位で、と空を見上げると暗い空に提灯の灯りがぼんやりと霞んで見えた。ぬるい夜風が火照った頬を撫でていく。繋がれた体温に、これからの予定に、思いを馳せると口元が弛んだ。
「……どうしよう、今すごく幸せ」
「何じゃそれ」
残っていたビールを飲み干し大きく息を吐く。
「だってさあ、仕事終わったし、今から飲みに行くし、生ビール美味しいし、何か賑やかだし、ライトアップ綺麗だし、」
雅治を見上げて続けた。
「雅治と居るしね」
高揚する気持ちを抑えきれずへらりと笑って言うと、雅治は無表情になる。そのまま口を開いた。
「結婚せん?」
「……は?」
……え、なにいったの、このひと。
「口開いとるよ」
「だ、って、」
気付くと手にしていた紙コップを思い切り握り潰していた。空になっていた紙コップは無惨な姿にひしゃげている。雅治の方は、と見ると、紙コップの端をがじがじとかじっていた。お行儀の悪いその仕種も、雅治がしていると様になる気がするのは『恋人』としての欲目か。
「雅治、あの……うあっ、」
「お、っと」
つまづいて転びかけた私を雅治が抱き留める。
「大丈夫か」
「あ、うん、あのね、」
支えるように、腰に手を添えた雅治は、く、と咽喉の奥で笑った。
「まさか、あれ位で酔うたとか言わんよな」
「言ってみたいねえ……じゃなくて!」
雅治の腕を掴むと、不思議そうに首を傾げる。
「さっき、さっきのあれ……」
雅治は微かに笑った。
「……お前さんのがうつってしもたんかの」
「え?」
「浮かれて、思っとったことをつい口にしてしもうた」
何処となくはにかんだように告げた雅治に、胸の奥がぎゅっと押さえられたみたいになる。とくとくと駆け足で鼓動を刻む心臓を落ち着かせようと深呼吸した。
「……雅治でも浮かれることあるんだ?」
「お前さんは俺を何じゃと思うとるんじゃ」
面白くなさそうに呟いた雅治は私の手の中の紙コップを取りごみ箱に捨てる。
友達として付き合っていた頃も、大事にされてる、って思ってた。淡白で素っ気無いように見えるけど、細かいところで気を遣う人なのだ。今も、それは変わらないままだった。格好悪い所も意地っ張りな所も大雑把な所も朝弱い所も知られてる。不機嫌だと無言になる所や集中すると煙草を喫い過ぎる所、からかい癖のある所、実は食べ物の好き嫌いが多かったりする雅治を知っている。それが嫌だと思わないし、嫌だと思ったら言いたい。言える距離に居たい。傍に居たい。大事にしてくれるように、私も大事にしたい。
雅治は手首にはめた腕時計に視線を落とす。
「どうする、まだここに居るか」
その問いかけに首を横に振った。雅治の腕を掴んだまま、真っ直ぐに雅治の目を見る。
「……うん、する」
雅治は呆気にとられたように何度か瞬きを繰り返した。そして、ゆっくりと唇の両端を引き上げ、ため息をつく。
「……スルーされるかと思った」
「私、そんなに器用じゃないんだから、スルー出来ないようしてよ」
「まあスルーさせんけぇ安心しぃよ」
「て言うかさあ……こんなところで言う?」
くくく、と今の状況を思い出して笑ってしまった。辺りは相変わらずの喧騒に満ちていて、ソースや揚げ物の匂いが漂っている。
「ビール飲みながら、っていうんが俺達らしかろ」
「ほら、お洒落なレストランで夜景を観ながら、とか」
「ご希望なら仕切り直しちゃるよ」
可笑しそうに雅治も零した。
「いや結構。確実にドン引く自信がある」
腕を掴んでいた手はさりげなく外され、雅治は指を絡めるようにして手を繋ぐ。暑い、と文句を言いそうになったけど押し止まった。だって私も手を繋いでいたかったから。さっき感じた幸福感が静かに私を満たしていく。体の隅々まで行き渡るように。信号待ちで雅治を見上げると、なに、と雅治は首を傾げた。薄い唇、口元のほくろ、通った鼻筋、ガラス玉みたいに色素の薄い瞳、と目で辿る。目が合った雅治は瞳を甘く弛ませ、唇の両端を上げた。視線を合わせるのは未だに照れてしまうのだけど、間近で見られるようになってから初めて知ったその瞬間が、たまらなく好きだった。
「、」
「ん?」
「行くぞ―――青じゃ」
促すように雅治は私の手を軽く引く。
「うん」
雅治に歩調を合わせ、私も足を踏み出した。
('10.12.10 I'm so glad there you,Masaharu Nioh!)
にお、お誕生日おめでとうございました!
……なのに夏のお話ですみません。しかも続き物ですみません。てゆかまさかプロポーズするとは(限りなく嘘くさい仁王ですみません)。……謝ってばっかやな。
以下蛇足。
数年前の夏、みゅ後に友達と下りた駅前でお祭りがやってて屋台で生ビールを飲んだのです。その時の幸せな感じを書いておきたくて(tmgさんと冬みゅ後にお好み焼き食べて生ビール飲んだ時も幸せでしたが)。心はみゅで満たされてお腹も満たされて暑かった(寒かった)けど幸せいっぱいだったのです。こういう記憶があるから生きていける……。