日直日誌に俺の名前を書いたは小さく笑った。

「何じゃ、失礼やの。人の名前書いて笑うて」
「ああ、ごめんごめん。そうじゃなくて、」

癖だろうか、シャーペンのノックする部分をあごに当てながらは続ける。

「音だけだと柔らかいのに、文字で書くと割と硬いイメージだなって」
「……はあ?」










桃の香は、










「何しとんの、
「―――ああ、仁王くん」

放課後、教室に戻ってみるとが一人で残っていた。その手元にはアンケート用紙の束。視線に気付いたのか、は笑う。

「この前の校内美化アンケートの集計をちょっとね〜。仁王くんは?」
「グリップテープ忘れたけん、取りに来た」

ロッカーの中からグリップテープを探り出しポケットに入れた。は鼻歌を歌いながら集計を進めている。の隣の席に腰を下ろすと、はきょとんとした顔で俺を見た。

「どうしたの?」
「……飴食う?」

グリップテープを入れたポケットと反対側のポケットに手を入れ中身を取り出すと、はちゃっかり両手を広げて差し出す。

「食べる。けど、どうしたの?」
「丸井に貰った」
「……ガムだけじゃないんだね」
「そ」
「うーん、柔らかいだけじゃなくて、丸井くんって甘いイメージもあるなあ」

は袋を破って飴を口に入れながら笑った。



*



はクラスメイトだ。
美人だとか、成績上位者だとか、部活で何らかの評価を得ているとかいう訳では無く、クラスが同じにならなければ話すことも無いまま過ごしていただろう、と思うような女子。生徒数の多い立海では、同じクラスにでもならなければ知り合うことも無いまま卒業、というのが珍しくないよう思える。実際、同じクラスになるまでのことなど知りもしなかった。

クラスで浮くのも面倒なのでクラスメイトとはそれなりに上手くやっていた。が、一言で言うなら適当な付き合い方しかしていない。クラスに一人でもテニス部の奴らが居ればまた違ったのだろうが、今年は居ないので自然とそうなってしまった。ちゃんと向き合う人間は多くなくていい。打ち解ければそういう人間がクラスでも見つかるのかもしれないが、それに時間を割く必要性を感じなかった。それよりやりたいことがあるし、すべきことは幾らでもある。何より、面倒臭い。つるまないとトイレにも行けない女子のような関係を持たずに済む男で良かったと心から思う。

そんな風に考えているのに、にはどうして自分から話しかけるのか。それは単純に一緒に日直になったことがきっかけだった。サボり防止か、うちのクラスの日直日誌は男女の日直が揃ってクラス担任に提出しに行かなければならない。俺は欠伸を噛み殺しながら日直の相方であるが日誌を埋めて行くのを見ていた。

「……名前の漢字が分からない」
「あ?」

シャーペンを動かす手を止め、は日誌から顔を上げる。

「仁王くん、まさはるってどう書くの」
「……雅に、明治の治」
「はいはい、」

日直日誌に俺の名前を書いたは小さく笑った。

「何じゃ、失礼やの。人の名前書いて笑うて」
「ああ、ごめんごめん。そうじゃなくて、」

癖だろうか、シャーペンのノックする部分をあごに当てながらは続ける。

「音だけだと柔らかいのに、文字で書くと割と硬いイメージだなって」
「……はあ?」
「におう、って口にすると軟らかい感じがしない?」
「……そうか?」
「うん。でも漢字は直線ばかりで硬い感じがする」

眉を寄せる俺に気付くことも無く、は今日の時間割や、欠席者の欄を薄い筆圧の文字で綴っていく。何だか胸の奥の方がそわそわした。

「……じゃあ、柳生は?」
「え、何が?」
「その、イメージとやら。柳生は比呂士いうんやけど」
「名前は知ってたけど……漢字だとどんな字?」

からシャーペンを受け取り日誌の端に書いて見せると、彼女は少し考えた後、口を開く。

「音でも文字でも、苗字は軟らかいけど、名前はちょっと硬いよね。几帳面な感じがする」

俺は唇の端が上がるのを止められなかった。
……何だ、こんな面白い人間が居たのか。
全身に広がっていく感情は、感動と言っていいかもしれないくらい、俺を高揚させた。こいつのことが知りたい、と思った。俺は日誌の自分の名前の横に並んだの下の名前を確認する。。そう言えば、は俺に対して変に身構えたり、緊張したりもしなかった。それはとても珍しいことで。

「……興味深い」

え、何が? とは、何を言われたのか分からないような顔をしたので微笑んで見せた。



*



ふと鼻先に桃の香りが漂ったことで自分が思考に入り込んでいたことに気付いた。を見ると、頬が飴の分だけぷくりと膨らんでいる。

「……そっち、桃?」
「ん。白桃、って書いてる。え、仁王くんのは違ったの」
「こっちは林檎」
「林檎か……。林檎はきっぱりとしているよね」

思わず飴を噴き出しそうになった。
……あいかわらず。
口元が緩みそうなのを抑え、まだ手の中に残る、丸井から貰った飴を見せる。

「オレンジは」
「鮮やか」
「苺」
「甘酸っぱい」
「桃」

つい、との頬を指して言うと、今まで即答していたは口を噤んだ。

「何じゃ急に黙って」
「うーんと、桃はねえ…………官能的だよね」

今度こそ飴を吐き出してしまうかと思った。噎せた俺を見ては心配そうに眉を寄せる。

「大丈夫?」
「……何で、」

こちらを覗きこんでくるを制し、ようやく口を開いた。

「何が?」
「何で、桃は官能的なん?」

口の中で飴を転がしながらはうーんと唸る。

「イメージだからなあ。熟した時の感じ?」
「……何かエロい」
「なっ! 失礼な!」

飴のせいでなくは頬を膨らませた。分かり易い表情と仕種。だがその奥にまだまだ引き出しを多く隠し持っていそうな気がしてならない。
……ああ、これはきっと。
音を立てて口の中の飴を噛み砕き飲み込むと、はそれを目を丸くして見つめていた。

「すごい音」
「……のせいじゃ、」
「はあ?! どういうい、」

立ち上がり、怒ったように言いかけたの手首を掴んだ。その細さと柔らかさに目が細まる。それを引き寄せの唇に口づけると、は動きを止めた。抵抗しないのをいいことに、調子に乗っての口内の飴を舌で攫う。口の中に広がる桃の味は、微かに残っていた林檎の味と混じり。
……甘。

「……なるほど、これが官能的な味」
「……なっ、どっ、ええっ、何、何で!? 何今のっ!?」

口元を両手で覆いながらは呟き、涙目で俺をきっと睨んだ。屈んで視線を合わせると、怯えたように後ろに身を退く。

が、悪いんよ」
「な、何でっ、」
「官能的とか言うけん」

俺の言葉に眉を吊り上げたはぐい、と手の甲で唇を拭った。その仕種にちょっと傷ついてしまう。

「だからって、ひどい……! 返してよ、私のファーストキス!」
「……へえ」

自然と唇の端が上がるのが分かる。に手を伸ばすと不審そうに眉を寄せた。警戒するように身を退こうとしたの手を取り引き寄せる。

「何す……んっ、」

支えを失って倒れ掛かって来たの体を抱きしめ、再び口付けた。じたばたと暴れるを無視して柔らかい唇を味わっていると、の体から次第に力が抜けていくのが分かる。俺の胸を押し返そうとしていた手は、いつの間にか、ユニの胸元を掴んでいた―――そう、縋りつくように。
……やばい、止まらん。
その時、廊下を歩いてくる足音が聞こえた。は何度か目を瞬かせ、俺の胸を強く押す。そのまま力が抜けたように床に座り込み、何か言いたげに唇をわななかせたに呟いた。

「……返せ、って言うたから返した」
「そう……じゃなくてっ、ど、どうして、こういうことす、」
が、好きなんじゃ」

ようやく言葉を紡いだを遮って言うと、床に座り込んだままは目を見開く。そうしてる内に足音はドアの前で止まり、勢い良くドアが開けられた。

「仁王ー、お前何やってんだよ……って……邪魔しちまったか?」

俺だけではなくの姿も認めたジャッカルは眉をひそめる。

「何じゃ、ジャッカル」
「いや……遅過ぎるから連れ戻して来い、って……幸村が」
「あー……」

氷点下の微笑が自然と浮かび、一瞬背中が寒くなった。

、」

は俺の声にびくりと体を震わせる。両手を取って立ち上がらせ椅子に座らせた。

「待っとって」
「ど、どうして、」

その唇に人差し指を当てると、驚いたように口を閉じる。微笑んで告げた。

「後で」



***




「あー、何やらされるんじゃろ」

靴を履き替えながら呟くと、ジャッカルは困ったようにため息をつく。

「自業自得だろ」
「冷たいのー」

それより、とジャッカルは一瞬躊躇った後に口を開いた。

「……邪魔して、悪かったな」
「いや、構わんよ……むしろ助かった?」
「はあ?」

……さすがにあれ以上はまずかろうし。
ジャッカルの後に続きながら、教室に残してきたのことを思い出す。は待ってくれるだろうか。性格的に待ってくれるだろうと踏んだのだが。
……まあ、待っとらんでも……逃がさんけど。
そう思った瞬間、鼻先に桃の香りが蘇る。

「……官能的、ね」

氷点下の微笑を思うと憂鬱になるが、その後のことを考えると唇が緩んでしまうのを止められなかった。


('08.1.8)
('08.2.10)






魂の姉(勝手に言ってる)つむぎさんからのリク仁王。遅くなってすみませんでした!(お誕生日からかなり経ってしまった……)タイトルは某小説の章タイトルからです。