
「ルーシーのL、なんじゃない?」
は怪訝そうに眉をひそめる。
がみがみ屋で自信家なルーシー。Lと呼ばれていると聞いた時思いついたのはその名前だった。そしてその響きの愛らしさは彼女によく似合うと。
*
移動教室でのクラスの横の廊下を歩いていると、クラスメイトと笑い合っているを見かけた。あまりお目にかかれない笑顔はとても可愛らしくて何時も笑っていればいいのに、と思う。
テニスコートに居る時のは仏頂面がデフォルトだ。こと、テニスに関すると途端に意固地になってしまう彼女は、何時も何かに立ち向かうように唇を引き結んでいる。
「どうした精市」
「うーん、別に」
「……か」
蓮二は俺の視線の先を簡単に言い当てた。に構うことを隠そうともしていないので自明の理という奴なのだが。
「随分とご執心だな」
「そうだね」
テニス部に入った頃からのことは気になっていた。特に目立つ容姿をしている訳でも、突出して強い訳でも無い彼女の何処に惹かれるのだろう、そう思っていたのだが残って練習しているところを見つけた瞬間分かった。ひたすらに上を目指すその姿が、強い眼差しが、今までに感じたことが無いほど心を揺らしていたのだと。気付けば俺はすっかり彼女に参ってしまっていて、その内はレギュラーになった。コートでは見せない笑顔に気付いたのもそれからだ。レギュラーになった時声をかけたのが災いしたのか、俺を見ると頬を紅潮させ怒ったような顔をするから、こっそりとしか見ることが出来ないのだけど。
***
何時ものように俺の言葉にが怒って立ち去った後、振り向かずに声をかけた。
「……立ち聞きは良くないな」
「不可抗力というやつだよ、精市。それにしても、構い過ぎじゃないのか」
しれっと言ってのけながら現れた蓮二に、にやりと笑って見せる。
「があんまりにも可愛いから、ついちょっかいかけたくなるんだよ」
「お前のそれは小学生のやることだぞ」
「ついこの間まで小学生だったものでね」
俺の言葉に蓮二はため息をついた。
「……も気の毒に」
「適度なガス抜きは必要だろう? 俺に対して癇癪起こす内はまだ大丈夫」
そんな杞憂は必要ないと思いながらも、そうせずには居られなかった。あんなに肩肘張って生きなくてもいいのに。俺達はそれがまだ許される年齢だ。いや、だからこそ意地を張ってしまうのか。彼女は良くも悪くも真っ直ぐ過ぎるのだろう。水が清過ぎると魚も棲めないように多少は濁りを持ち適当にやるものだが、は自分を曲げない。その正しさや、揺るぎの無さは尊いと思うけど、他人とすり合わせて行かなければ衝突は避けられない。そんなが愛しく、心配だった。いつか容易く崩れ落ちてしまうのではないかと。
「ま、あんまり突つかないようにするよ。……の周りがうるさいから」
本人にも聞こえるように囁かれる陰口は全くくだらないものだった。そんな渾名をつけて溜飲を下げる人間の気持ちが分からない。分からない自分で良かったと思うが。
「そうしろ。弱みは少ない方がいい」
蓮二の言葉に、深く頷いた筈だったのに。
*
が女子に囲まれていたと蓮二に聞いて駆けつけると、手洗い場では肩を震わせていた。俺の声に彼女はぴくりと反応し虚勢を張ろうとしたけど全くと言っていいほど声に覇気が無かった。
「……言っておくけど、俺はそこまで優しく無いよ」
は俺を振り返った。その瞳は濡れていて、胸が痛む。
「人に言われたからに喋りかけてた訳じゃない。大体人に言われたぐらいで、俺がそうすると思う?」
押し黙ったの頬をジャージの袖で拭ってあげると、驚いたように目を見開いた。俺は笑ってスポーツ飲料の缶を差し出す。
「水分補給、したら」
「……何それ」
くすり、と小さく笑ったは缶を受け取り口をつける。そして気が抜けたように座り込んだ。何時もの姿が嘘みたいに小さく見えてまた胸が痛む。
「……したたか、っていうのは悪いことじゃないと思うんだ」
はゆっくりと顔を上げる。お節介だと分かっていながらも口を噤むことが出来なかった。
「知ってる? したたかって、強いっていう字を使うんだよ。どうせなら、うまく立ち回らなきゃ。この前、理科の授業でやっただろ、電気抵抗。強過ぎる抵抗は電流を通りにくくするんだ。それと一緒。今のままだと損するばかりだよ。抵抗が少ない方が楽だと思わないか」
は唇を噛んで涙を堪えていた。一つ深呼吸してようやく口を開く。
「……私に、媚びろっていうの」
「そうじゃない」
首を横に振って続けた。
「あからさまに拒絶するんじゃなくて、受け流せばいいんだ。試しに笑って返事してみなよ? 相手の反応がだいぶ違ってくると思うよ。は可愛いんだからそれを生かさないなんて勿体無い。あるものは何でも使わなきゃ」
は僅かに頬を染める。怒ったみたいな何時もの表情を浮かべ悔し紛れのように呟いた。
「……前から思ってたけど、幸村って腹黒いよね」
……良かった、何時ものだ。
俺は笑いながら返した。
「世渡り上手と言って欲しいな」
「……ありがと」
ぽつりと洩らす姿が可愛くて、思わず頭に手を伸ばし撫でる。
「ん、その調子」
は、一瞬体を強張らせながらも逃げようとはしなかった。
*
一緒に帰ることを不承不承ながら承諾するようになってしばらく経ったある日、は言った。
「ピーナッツ、読んでみた」
はぼそぼそと告げる。何時もは尊大とも取れる態度を見せるは俺と二人きりになると途端に居場所を見失った子どもみたいになった。それでも俺と帰ることを止めない彼女に、ささやかな喜びを感じながら微笑む。
「どうだった?」
「……私、あんなに口悪い?」
「うーん、割と」
はため息をつく。
「そこで嘘つかないところが幸村だよね」
「嘘って苦手なんだよ」
「えー……」
「黙ってることはあるけどね」
訝るような視線ににこりと笑って見せるとは慌てたように視線を逸らした。これだけ明確な意思表示をしているのに、はなかなか陥落してくれない。まあ、そうだろうとは予想していたけど、簡単に諦める神経も、残念ながら持ち合わせていない。
「……いい加減、観念してくれてもいいと思うんだけどなあ」
「何のことよ?」
「シュローダーのSは、精市のSでどう?」
は珍しく悲しそうな顔をした。おや、と思って見つめているとぽつりと呟く。
「……シュローダーなんだ?」
「え?」
「シュローダーって、ルーシーからの好意、迷惑そうにしてるよね」
には俺が余裕そうにしているように見えているのかもしれない。でもそんな訳は無い。ころころ変わる表情に、いちいち心を揺らしているというのに。
「俺は迷惑じゃないけど?」
「……だからどうしてそう……」
頬を染めたは言葉を濁し、顔を上げる。
「幸村のSはサディストのSでしょ」
「ああ、それも当たってるかもね」
俺の言葉に一喜一憂するが可愛くて、ついいじめたくなるから。笑う俺を横目で睨んだはため息をついて言う。
「……それでもいいけど」
「え、何が」
さっきよりも顔を赤くしたは、怒ったように続けた。
「……シュローダーのSでもいいって言ったのっ」
「え」
呆気に取られてしまった俺を置いては早足で歩いて行く。しばらくその背中を見送っていたが、じわじわと喜びが湧いてきた。
……それって。
一本取られた、そう思いながら緩みそうな口元を押さえを追いかけた。
('07.5.16)
という訳で「ルーシーのL」幸村視点でした。以下蛇足。
シュローダーと幸村のイニシャルが一緒ということに気付いたのでこのタイトルです(まさにセレンディピティ=偶然の発見)。
……でも精市のSはいじめっこのSだと思います。
ちなみにこのお話は、「ついこの間まで小学生だったものでね」というセリフが降りてきたので書いたものです。幸村はそういうのを逆手にとりそうだなあと。……嫌だなこんな中学生(笑)。
そうそう「ルーシーのL」で書くのを忘れていたのですが電気抵抗。
中二の時に再テストを受けまくって分かるようになったので、これは中二の時習ったな、というのを覚えていたのです(こういう記憶力はある)。それを思い出しつつ、書いてみました。
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