舞い落ちる、ひとひらの。
空 か ら の 手 紙
……疲れた。
口に出すと疲れが倍増しそうで、思い浮かべるだけに止めた。寒さに身を凝めながらマフラーを口元まで引き上げる。
遅くなった仕事帰り、家までの道のりを早足で歩いている時に横目で見ただけだが、駅前はイルミネーションに彩られ眩しいほどだった。住宅街に入るとその喧騒が嘘のようにひっそりとしている。それでも綺麗な光景は目に焼き付いていて、思い出しながら口元を綻ばせていると空から白いものが降ってきた。
……雪。
胸の奥に押しやった感情がふわりと浮かんできそうな予感に、思わず首を横に振る。もう居ない人のことを考えたって仕方が無い。明日も仕事だし他の予定も詰まっている。思い出す余力も無い程、考えなきゃいけないことはたくさんあるのだ。そんな思考にはお構い無しに思い出は私を襲う。
「あ、雪……」
「ほんまや。寒いと思てたら」
「ね。でも何か嬉しい」
「……空からの手紙、て言うんやて」
「え?」
瞬きを繰り返した私に彼は微笑んだ。
「やから、雪のこと。あと六花とかな」
「……さすがラブロマ好き」
「悪いか」
拗ねたように言う彼が可笑しくて私も笑う。
「悪くない。そっか、空からの手紙かー。何を運んできたんだろうね」
あの時、はしゃぐ私を優しく見つめていた君と約束したことを、君は覚えているだろうか。
君の居ない隣にはらはらと雪が舞い落ちる。手のひらで溶ける雪みたいにこの気持ちが溶けてしまえばいい、と出来ないと分かっているのに願う。二人で歩いた、雪で濡れて行く道を今もはっきりと思い出せるのに君だけが居ない。あの時した約束と一緒に溶けてしまったように。幼いながらも一生懸命だった恋心だけが溶け残り、私を苦しめる。もう傍には居ないのに、まぶたを閉じさえすれば鮮明に君の姿を思い描くことが出来た。
何時になったら私は君から卒業出来るのかな。囚われて居たい気持ちがあるから卒業出来ないのかな。つらい思い出ばかりじゃないから、今でも悲しく私は満たされている。
音も無く降る白雪は徐々に大きさを増していく。これは積もるかもしれない。だとしたら明日の朝は早めに出なくては。そんなことを考えながらアパートの近くまで来たとき、アパートの前に誰か立っているのが見えた。
……え?
人影は私に気付くと近寄ってくる。街灯に照らされ浮かび上がったのはさっき思い出していた人物で、思わず叫びそうになった。
「ゆ、」
「お前遅いわ、何しとんねん」
「侑士こそ、何、してるの……」
「お前待っとったに決まっとるやろ」
「そうじゃなくて、」
どうして、ここに、居るの?
そこには高校卒業を前に別れた、忍足侑士が立っていた。
侑士は氷帝の大学部には進まず、地元の大学の医学部に進むことになっていた。それは氷帝に来る前から決まっていたことだった、らしい。遠距離は無理、と言った私に侑士は、せやったら別れなしゃあないな、と言った。喧嘩別れした訳じゃないけど喧嘩腰だった。あっさり言ってのけた侑士が腹立たしくて、私も気付けば頷いていた。
何度後悔しただろう。何度訂正しようと、取り消そうと思っただろう。でも意地を張ったまま時は流れ、結局卒業式を境に侑士の姿を見ることは、叶わなくなった。
「、お前いっつもこんな遅いんか」
「最近は忙しくて……ってそうじゃないでしょ!」
「何がやねん」
「あー、もう、とりあえず上がって!」
昔みたいに外で騒いでいる訳にはいかない。肩に掛けていたバッグから鍵を取り出す手が僅かに震えた。鍵を開け中に促すと、躊躇しつつも侑士はお邪魔しますと靴を脱ぐ。マフラーを外しながら私も靴を脱ごうとしていると上がり框に突っ立っていた侑士に抱き締められた。
「ちょ、侑士?!」
「あー、ぬくい」
侑士の体はすっかり冷えていて、この寒空の下、どのくらい私を待っていたのかと胸の奥がぎゅっと痛む。
「何、してるの……」
「約束したやん」
「約束って」
「また一緒に雪を見ようって」
……覚えていて、くれた。
嬉しいのに心とは裏腹な言葉がするすると滑り落ちる。
「何時の話よ……あれから何年経ったと思ってるの! 何度雪が降ったと思ってるの!」
「……良かった」
「……え?」
「約束、忘れてへんかってんな」
あの時のように優しく私を見下ろす眼差しに胸が熱くなる。
「忘れたことなんて無い、雪が降る度思い出してた。侑士こそ、忘れてしまったと思ってた……」
また一緒に雪を見ようね、と告げた私に侑士は笑って頷いてくれた。頬がぴりぴりしそうに寒かったけど胸は温かくて、照れたのを隠すように早足で歩いたことすらも昨日のことのように思い出せる。
別れた寂しさを埋めるように、大学に入ってすぐ別の人と付き合った。それでも侑士とした約束は頭の片隅に常にあって、侑士のことを忘れられなかった。そんな感情は相手にすぐ伝わって呆気無く終わりを迎えた。それ以来、誰とも付き合ったことは無い。
「……俺も忘れられへんかった」
侑士の胸を通して響く、甘い声。
「やっぱり、やないとあかん。離れたら忘れられる思うたけど、忘れられるどころか俺も、雪が降る度に思い出しとった」
温かな腕の感触に、侑士の香りに、胸が一杯になって何も言えなくなる。
「もう、遅いか? や、遅いのは分かってんねん。分かってんけど、もし今誰とも付き合ってへんかってんなら、俺と、」
「好きだよ、侑士」
続きを遮って告げた言葉に侑士は一瞬目を瞠り、笑う。そしてどちらからとも無くキスを交わした。私に触れた唇は冷たかったけど、あの時の約束のように胸を温めた。
「……遠距離決定かあ」
唇を離して呟くと侑士は困ったように眉を寄せる。卒業して就職した私と違い、彼は未だ学生の筈だった。
「……すまん」
「無理だって思ってたんだけど、」
侑士の頬に触れながら続けた。
「こんなに離れてても忘れられなかったんだから……頑張るよ」
私の言葉に侑士は微笑んだ。
***
「そう言えば、よく私の家分かったね」
差し出したカップを受け取りながら侑士は呟く。
「……岳人から、」
「向日くん?」
、岳人と同じ学部やったやろ、という言葉に頷いた。向日くんとはゼミは違ったけど、大学部で過ごした四年間仲が良かったし、卒業してからもたまに連絡を取っている。
「……あっちに行ってからもずっと、のこと聴いててん」
「えっ!」
「明後日久々に、テニス部の奴等と集まることになって、その電話した時にが就職してから一人暮らししてるて聴いて、」
ぼそぼそと言い訳するかのように言葉を紡ぐ侑士の姿に唇は弧を描いていく。
「……笑うなや」
「だって、可笑しいんだもん」
気にしてくれていた、なんて嬉しくて笑ってしまうに決まってるじゃない。
「ん? 集まるのって明後日なんだよね? 明後日までどうするの?」
「あー、岳人の家に泊めてもらうつもりやったんやけど、」
腕時計を見て時間を確認した侑士はため息をつく。
「……今日はもう、遅いな。あいつまだ自宅やし、ホテルとるわ」
「じゃあ……うちに泊まる?」
「え」
侑士はカップを口に運ぼうとして固まった。
「大したお構いも出来ませんが」
「あ、いや、それは構わんけど、ちゅうかむしろ助かるんやけど、」
「明日、私は仕事で早く出掛けるけど、ゆっくり寝ててくれていいし」
「や、そうやのうて……」
テーブルの上に置いていた手に侑士の手が重なる。
「俺、何もせん自信が無いんやけど?」
今度は私が固まる番だった。じわじわと顔が熱くなるのが分かる。
「泊まりたい、ちゅうか、離れたないのが本音やねんけど、好きな女とおって何もせんでおられる程、俺は我慢強く無いで」
「……いいけど」
「え」
「但し、明日も仕事なので手加減して貰えると助かります」
重ねられた手を握り返して言うと、侑士は呆気に取られた顔をした後、笑った。
「……善処します」
('07.1.19)
雪の事を「空からの手紙」とも言う、と新聞で読んで、いつかタイトルに使いたいなあと思っていました(タイトル付けるの苦手なので)。
そこから考えていって出来た話です。途中の展開とかドリームっぽい!(と思うのですがどうでしょう……)
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