仄かな輪郭を残す。
















目が合うと、彼は優しく唇の両端を上げる。そして直ぐに逸らす。とても自然に、目が合ったのは夢かのように。

それは、放課後の教室で言葉を交わしてから続いている。あの時、抱き締められてからというもの、すっかり彼――忍足くんのことが頭から離れなくなってしまった。何故あんなことをしたの、そう一言訊けば済むことだけど、私はそれが出来ないでいる。何のこと、ととぼけられたら、がっかりするだろうし、それ以外の理由を述べられたら私はどうしていいか分からないからだ。自意識過剰だということは分かっているけれど。







「……あァ、まだ残っとった」

低く、教室に沈む声に体が震えた。眼鏡を外している私の視界は輪郭がぼやけていて声の主の姿は認知出来ない。でも声の主は分かった。

「忍足、くん……」
「また眼鏡外しとんの?」

窓際に居た、私の傍まで歩いてきた彼は笑みを含んだ声で問う。

「う、ん」
「おー、今日も綺麗な夕焼けやんな」

私は外していた眼鏡をかけた。それに気付いた忍足くんは眉を下げる。

「……ひょっとして邪魔してしもた?」
「そうじゃなくて、その……よく、見えないから」
「それを楽しんどるんちゃうの?」

訝しむような視線を真正面から向けられた。慌てて首を横に振る。

「風景じゃなくて……忍足くんが」

忍足くんは目を丸くした後、笑った。やわらかい微笑に胸の奥が跳ねる。

「意味シンやね」
「そ! そんなこと、無いけど」

忍足くんは窓を背にして私と向かい合った。そうされると、薄暗い教室の中では眼鏡をかけていても表情が見えない。

「なーんや、違うんか。残念」

忍足くんはそう言って手を伸ばしてきた。驚いて身を強張らせると私の眼鏡を取り上げる。声を、出す間も無かった。取り上げた眼鏡は机の上に置かれる。

「最近、よう目ぇ合うなぁ?」
「……え?」

緊張しているせいか、声がかすれた。それに、くく、と小さく笑い声を立てる。暗い影の塊になった忍足くんを確認出来るのはその声だけ。

「俺のこと、気になる?」
「ご……ごめん、迷惑だよね、」
「そんなん訊いてへん。質問に答えてぇな」

私の答を遮るように言った忍足くんは再び私に手を伸ばしてきた。今度こそ身を退こうとしたけれど、そうするより早く両肩を掴まれる。

「逃がさへんよ」

何処か愉快そうに滲む声は私の耳に届いた。

「……どっ、どうして、あんなこと、したの?」
「あんなこと?」
「だから気になって、そしたら忍足くんがこっち見ててっ、でも直ぐ目を逸らされて分からなくなって、」

感情的過ぎる、と自覚はあるけど止められない。そんな私の言葉を忍足くんは黙って聞いている。

「訊きたいのは私の方だよ、どうしてあんなこと、したの」
「あんなことて……こういうこと?」
「忍足、く、」

頬に当たる、ブレザーのざらりとした感触に息が止まりそうだった。あの時のように私を抱き締める力強い両腕に心拍数が上がる。そして気付いた。また、こうして欲しかったんだと。

「……は、甘い匂いがするなあ」
「さ、さっき飴食べたから、」
「そんなんとちゃうねん。ここ、」

首にかかる髪をかき分け、うなじを撫でる手は熱かった。びく、と思わず体を揺らす。鼻先を近付けたのか、吐息がかかったから。

「特にいい匂いする。何でやろ」
「わか、分かんないよ、そんなの」
「……なあ」

忍足くんは頭の後ろで笑う。

「逃げへんの?」
「……忍足くんが、離してくれたら」
「あー、それはあかんな。離す気、無いねん」
「ど、して……」

背中に回されていた腕が緩み、両腕を掴まれた。私の顔を覗き込む忍足くんの唇は愉しそうに弧を描いている。

「知りたい?」
「うん……」

頷くと忍足くんは顔を近付けてきた。上げかけた叫びは忍足くんの唇に飲み込まれる。呆然としている私に忍足くんは言った。

「好きなんや、が」
「……え」

もしかしたら、なんて思ったことはあった。でもそれは調子に乗っているとしか思えない想像だった。からかっているだけかもしれないのに、馬鹿を見るかもしれないのに思い上がりもいいところだと。

「……揶揄ってるの?」
「……この前も言うたけどなあ、揶揄うつもりやったら、」

忍足くんは私の頭を抱え込み胸に付ける。

「こんな、緊張せえへん」

彼の胸の鼓動は速かった。顔を上げると忍足くんは微笑む。

「分かった?」
「分かっ、た」

忍足くんは私を抱き締め、額に目蓋に鼻先に唇を落とす。体を捩ろうにも忍足くんの両腕がそれを阻み、叶わなかった。

「こんだけ近付いとったら俺の顔見えるやろ」
「……ううん」
「え、」
「だって忍足くん、眼鏡かけてるじゃない」

レンズ越しの目が見開かれた。直ぐに口許を綻ばせた忍足くんは、外して、と呟く。眼鏡に手を伸ばすと、彼は私の腰の辺りに手を回し、目を閉じた。人の眼鏡を外してあげるなんて初めてで、手が震える。そっと眼鏡を外すと忍足くんは目を細めた。

「……これでええか?」
「うん……」

忍足くんの瞳に私が映っている。これまでだって恰好いいと思ってたけど、眼鏡越しではない整った顔立ちには見惚れるしか出来なかった。まじまじと見つめていると目を伏せる。

「あんま見んといて。何か照れる」
「……もっと照れるところがあると思うんですけど」

腰に回した手とか、いきなりキスしたこととか。
……そうだ、キス、されちゃった。
今更ながら顔を赤くすると、忍足くんは私の肩に顎を乗せて笑う。

「遅い」
「……だって」
、」

名前で呼ばれたことに驚いて顔を上げると、隙間も無いくらい抱き締められた。

「返事は?」

夜の帳が下りてくる。輪郭どころか互いの姿さえも眩ましていく薄闇の中でも忍足くんの体温があるから、私は忍足くんを見失わずに済む。眼鏡をかけていなくても、きっと、この目を閉じてしまっても。


('08.6.1)








「輪郭の無い世界」続き。思いついたので。

以下蛇足。
何が書きたかったって忍足の眼鏡を外すところです。……外したい(本音)。それにしてもこの忍足変態くさいですね……(書いたの自分ですが)。