――せやったらうちで花見せえへん?
「え?」

笑いを含んだ声で告げられた言葉は、既視感を覚えるものだった。





桂 花 爛 漫










日付が変わってすぐ電話した侑士の誕生日、授業が終わってからごはんを食べに行かないかと提案した私に返ってきたのはそんな言葉で目を瞬かせる。

「花見って、」
――ちょっと早いけど夕飯は鍋しようや、鍋。待っとるから。
「あ、うん、分かった。でもね、」
――明日、あ、もう今日か。早いんやろ? ちゃんと寝なあかんで。ほな、おやすみ。
「ちょ、侑士?」

面白がるような口調は直ぐに無機質な音に取って替わられる。私はため息をついて通話終了のボタンを押した。

「……あ、」

思わず声が出て口を押さえる。部屋には私以外誰も居ないのだから聞かれることは無いのだけど。
……あの時のことだ。
つい唇の端が上がるのを止められなかった。



泰山木を侑士の家の窓から観たのは梅雨の晴れ間の六月のことだ。その時、金木犀の時期になったらまた花見しよな、と侑士は笑った。
……覚えててくれたんだあ。
ふわふわと全身に広がる喜びで、何だか眠れそうにないかも、と思いながらベッドに向かう。もう回線は切れているのにまだそこに在るような気がして、枕元に携帯を置いて目を閉じた。







今日最後の講義が終わってすぐ、教室を出た。一度帰宅して侑士の家に向かうので急がなければいけない。プレゼント持って、泊まりの準備して、と頭の中で予定を描きながら早足で門までの道を歩いていると風に乗って甘い香りが運ばれてきた。構内の金木犀も満開だ。
……いい香り。
小さなオレンジ色の花は秋の訪れを知らせる。そして侑士の誕生日も。侑士の誕生日が近づくにつれ咲く花は私にとって特別だった。足を止めていたことに気付き、再び歩き出す。門から出ても、まだ香りがついてきているような気がした。







「こんばんは」
「おー、お疲れ」
「とりあえず、これ……」

持ってきたプレゼントと、箱を差し出すと侑士はにやりと笑う。

「……ケーキ焼いてくれたんか」
「唯一の取り柄ですから」

そんなことあらへんやろ、と侑士は笑った。

「改めて、……お誕生日おめでとう、侑士」
「有難うな」

はにかんだ侑士は部屋の中に促す。開け放たれた窓からは金木犀の甘い香りがしていた。

「うわー、いい香り」
「芳香剤要らずや」
「……ムード無いなあ」
「……そう言うて、手に持っとるモンは何や?」

来る前にコンビニで買ったものを指され、えへへ、と笑って見せる。侑士に手渡すと、やはり、といった顔をした。

「桂花陳酒か……」
「金木犀といったらこれでしょ」
「そこで桂花茶に行かへんとこがやな」
「桂花茶も好きだよ?」

テーブルには既にカセットコンロや取り皿といった準備が整えられている。コンロではくつくつと鍋が音を立てていた。

「……誕生日なのに、ごめんね」

これではいつものデートと変わらない気がする。

「何で? ケーキ焼いてきてくれたやん」
「そうだけど」
「ええねんて。と居られるだけで」

その言葉に頬が熱くなった。付き合ってもうだいぶ経つのに未だに慣れることが出来ない。どうして侑士は普通の顔をしていられるんだろう。私が黙っていると侑士は笑って顔を覗き込んできた。

「どうしたん?」
「……ううん、何でもない。何か手伝うことある?」
「後は野菜入れるだけやから、これ持ってってくれるか」
「うん」

手を洗って、切られた野菜の入ったお皿を受け取る。テーブルにつくと侑士が鍋を運んできた。

「涼しくなってきたから鍋?」
「ま、それもあるけど、さすがに一人鍋は寂しいもんがあるしな」

誕生日だと言うのに侑士は甲斐甲斐しく取り分けてくれる。侑士は箸使いも綺麗だな、とじっと見ていると侑士は首を傾げた。

「ん、白菜嫌いやったか?」
「ううん、好き」
「そか。まだあるからな」

侑士は以前私に、美味そうに食うなあ、と言ったけど、侑士だってそうだ。美味しそうにどんどん平らげて行くから、つられて食べてしまう。多分侑士と一緒なのも、美味しく食べる要因なんだと思う。侑士は二缶目のビールのプルタブを開けた。

は?」
「後で桂花陳酒飲むからもういい」
「了解。にしても、」
「うん?」

豆腐を口に入れながら侑士を見ると、くくく、と咽喉の奥で笑う。

「何時もながらの食いっぷりはエエなあ」
「む……」

咀嚼していたので、侑士もでしょ、と言い返せなかった。

「この後ケーキもあるんやで?」
「……甘いものは別腹なんだよ」
「ま、医学的にもそれは証明されとるけど。……思い出すわ」
「え?」

侑士はビールの入ったグラスに口をつける。

「学食でが幸せそうにプリン食ってたとこ」
「プリン……?」
「そう。その後も見かける度に美味そうにメシ食ってて、エエなあ、て思たんや」

くすくす笑って告げる侑士に、顔が熱くなった。



侑士と付き合い始めたのは高等部の二年になってからのことだった。氷帝男子テニス部は跡部くんを始め中等部の時から有名だったし、友達の付き添いで練習を観に行ったこともあるから侑士の存在は知っていた。だけど同じクラスになったことも無かったし、噂などでしか知らなかった侑士とは話したことも無かった。むしろ雲の上の人のようだと感じていたのに、高等部に上がった頃、突然侑士に図書館で話し掛けられた。

――なあ、自分名前何て言うん?
――……ですけど
――サン、な。よう図書館来るん?
――はい……?

それから、図書館だけでなく、会う度に話すようになって、告白されて付き合うようになったのだけど。



「……初耳なんですが」
「そうやろな。今初めて言うたし」
「じゃあ何、たくさん食べるところを見られてたってこと?」
「たくさんか? そうでもないと思うで」
「そこじゃないー」
「何処やねん」

恥ずかしくなってきて顔を覆うと、侑士は不思議そうな顔をする。上目遣いで侑士を見上げた。

「つまり……、食べっぷりが気に入ったってこと……?」
「最初はな。きっかけはそれやけど、話しても、何や感じ良かったし。でもメシ食う時て人柄出るやろ」
「そう?」

そう、と侑士は空になったお皿に取り分けてくれる。有難う、と受け取ると自分のお皿にも取り分けながら続けた。

「たまに居るやろ、ダイエットやーとか、あれは嫌い、これも嫌いとかメシ食うてて言うの」
「うん」
「あれ聞くとメシ不味なる気ぃするわ。はあんまり好き嫌いも無いし、一緒にメシ食うてても美味しい、て気持ち良く食べるし」
「はあ……」
「食べな生きていかれへんのやから、食事する時の相性は大切や思うで」

侑士は二缶目も顔色を変えず空ける。どうせなら義務でなく美味しく食べたい、というのは分かる気がする、と思った。

「……侑士も美味しそうに食べるからだと思うけど」
「そうか?」
「うん」

なら相性抜群やな、と侑士は笑う。その暢気な口調に私も唇の両端を上げた。







「ちゃんと髪乾かしたか?」
「うん……って、もー、すぐ子ども扱いするー」

口を尖らせると侑士は声を上げて笑った。

夕飯の後片付けとお風呂を済ませてグラスを用意する。あの後、しっかりケーキも食べたからお腹は満たされていた。外はすっかり暗くなって、窓からは少し冷たい風が入ってきている。

「氷入れるか?」
「うん」
「寒ない?」
「……でも入れないと、この前みたいに目を回しちゃう」

思い出したように侑士は小さく笑む。桂花陳酒を注いだグラスを持ってベランダに出た。

「暗いから、よう見えへんな」

月明かりに照らされても薄ぼんやりとしか見えない。星形のオレンジ色の花は小さいから尚更だ。

「でも香りはしてるから、分かるよ」

そう言って桂花陳酒に口をつけた。口当たりは甘いけど何処か咽喉につかえるようなところがジュースとは違う。頭の芯をぼやけさせる。移された香りだけでなく花の香りも楽しもうと頭を軽く振った。

「……うう、桂花陳酒と香りが混じっちゃってる」
「そらなあ」

侑士は面白そうに笑う。

「大学の構内の金木犀も満開なんだよ」
は金木犀好きやね」
「うん」

姿を見つけるより前に香る花は薄暗い道でも存在が分かる。ひっそりと在る、目に見えないけど確かに胸に息づく想いみたいに。疑ったり、疑われたり、つまらない嫉妬をしてみたり、一緒に居るのは穏やかなことばかりじゃないけど、それでも侑士と居たいと思う。

「……やっぱりいいなあ、金木犀。家にも有ればいいのに」

影響されてるのかな、なんて思いながら、自分の思いつきに照れたのを誤魔化すように呟くと、ふうん? と侑士は唸るように返す。

「なら家建てたら植えよか」
「えっ」

買い物にでも行くみたいにさらりと言うから訊き返してしまった。グラスを空けた侑士は手摺に凭れたまま続ける。

「金木犀のある家か。なかなかええな。後は何植える?」
「……そんな、プロポーズみたいなこと言って」
「みたい、や無くて、そうやけど?」

にやりと侑士は唇の端を上げた。

「……そんな、」
「まあまだ先のことやから、予約っちゅうことで」
「予約って……」
「プロポーズの。俺もまだ学生やし」

何だか急に咽喉が渇いて、グラスに半分程残っていた桂花陳酒を呷る。

「お、エエ飲みっぷり」
「うう……」
「もう少し飲むか?」

頷くと、侑士は桂花陳酒の瓶とストールを持ってきてくれた。ストールを肩にかけてくれて、桂花陳酒をグラスに注いでくれる。至れり尽くせり、だ。

「お誕生日なのに相変わらず役立たずですみません……」
「はは、何やそれ」

からころとグラスの中の氷を揺らして深呼吸した。身体中に甘い香りを染み込ませて、侑士に触れる。

「ん?」
「侑士、お誕生日おめでとう。生まれてきてくれて、嬉しい」

私はさっきの思いつきを口にした。だって気持ちは伝えないと伝わらない。言わなくても分かるでしょ、なんて、甘えたくはなかった。侑士は私にちゃんと伝えてくれるのだから。

「……有難うな」

侑士は、照れたように笑った。



('11.11.15)



砂糖吐きそうな程忍足が甘くて、私、疲れてんのかな……と思いました(笑)。

食べて飲んでばっかりな二人の話です……。本当はこの話も誕生日にアップしたかったのですが、間に合わなかったので、前哨戦(?)とも言える、「前途洋々」だけ先に更新したのでした。一ヶ月経ってしまいましたが、合わせて楽しんで頂ければ幸いです。
ちなみに金木犀の花言葉は「謙遜」(<香りに対して花自体は地味だから)や「変わらぬ魅力」らしいです。書いてしまって調べたのですが、意外と内容には合ってるかもしれません。プリンのくだりとか、書き始める頃は考えてなかったことなので。