ふと意識が浮かび上がる感覚に目を開けた。まだ暗い部屋の中、だんだんと目が慣れてくると隣から聞こえてくる寝息に気付く。首を微かに回すと、こちらを向いて眠るの姿がそこには在った。体ごと俺に寄り添うように傾け、すうすうと安らかな寝息を立てている。しばらく見つめていると、突然は幸せそうに笑った。目は閉じているけど、起きている時のような笑顔に思わず口許が緩む。その寝顔を見ていると、初めてを見かけた時のことを思い出した。
回 想 卵 菓
「、またそれ?」
「だって学食のプリン、美味しいんだもん」
初めて耳にしたのはそんな会話だった。特に興味を覚えた訳でも無く声の方向に目を向けると、一人の女生徒が愉しげにプリンの蓋を剥がしている。スプーンで掬って口に入れた彼女は、それはそれは幸せそうに笑った。
「ハマってるね?」
笑い声と共に放たれた言葉に、彼女は大きく頷く。
「色々試したけど最近のイチオシは学食のプリン」
「色々試したの?!」
また賑やかな笑い声が上がった。プリンをまた一口食べた彼女はうんうんと頷いている。
……なんちゅうか、……幸せそうやなあ。
揶揄などではなく、感嘆のような単純な感想が浮かぶ。プリンを食べている彼女は、心底幸せそうで、つい唇の端が上がった。
「侑士お待たせ……って、どした?」
「ん?」
ランチのトレイを持った岳人は首を傾げた。
「楽しそうじゃん」
「そうか?」
「おう。女子見てにやにやしてたんだろ」
「……人聞き悪いわ〜」
図星を指され、決まりが悪い。仕方なく、誤魔化すように笑って見せた。
◇
それからも、学食に行く度に彼女の姿を見つけた。プリンを食べていた彼女はという隣の隣のクラスの女子で、探すことをせずとも、彼女の姿が自然と目に入ったのだ。ごく普通の容姿で、部活や模試などで目立った成績を残している訳でもない。実際、それまで名前も知らなかった。だが、彼女が食事をする姿はいつも美味そうで、見つけてしまうことを訝ることは無かった。プリンを食べている姿を見ることが多かったが、よく何人かの友達と楽しそうに弁当を広げていた。彼女の食事風景を見ると、つい笑ってしまう。自分でも若干気持ちが悪いなと思ったのだが、湧いてくる笑みは堪えられなかった。
◇
昼休みの図書館はカウンターから離れると、しんとしている。声を潜め、彼女の背中に声をかけた。
「なあ自分名前何て言うん?」
「……ですけど」
振り返り、俺を目にしたさんは怪訝そうに眉を寄せる。情けないことに、話しかける理由を思い付かず、とっくに知っている名前を訊いたのだった。彼女はお菓子の本に伸ばしかけていた手を下ろし、俺に向き直る。
「サン、な。よう図書館来るん?」
「……はい?」
「あ、俺、忍足いうんやけど」
さんは呆れたように俺を見た。
「そんなの知ってる。忍足くん、有名だもん」
「知っとってくれたんや。光栄やなあ」
ますます眉を寄せ、さんは首を傾げる。
「で?」
「で?」
訊き返すとさんは困ったように口をへの字にした。
「や……何か用があるのかなって」
「用が無かったら、話しかけたらアカン?」
「そういう訳じゃないけど……」
視線を落とし、もごもごと返す彼女に、つい笑ってしまう。女子に話しかけると結構な割合で、相手は身構えたり緊張したりするのだが、さんは普通だった。
「じゃあ、またな」
「え……また?」
「そう、……また」
ひらりと手を振って背を向ける。もう少し話したい気もしたけど、それは、また。
◇
「さん、今日は何を見とるん?」
「今日はパウンドケーキです」
お菓子作りが趣味だという彼女は、よく料理の本が収められた書架の前に居る。
あの日から図書館でさんと話すようになった。趣味も、そんな風に話すようになって聞いたことだ。
「パウンドケーキ」
「そう。今度、家庭科の調理実習で焼くの。中味は自由だから何にしようかなと」
バナナも美味しいけど紅茶もいいなー、と呟きながら彼女はページを捲る。
相変わらず、さんを学食で見かける時は幸せそうにものを食べていた。それを見ると、プリンを買ってあげたいなあ、と感じる。目の前で、あの幸せそうな笑顔を見たいと。妹など居ないが、こういう気分かと思う。
「……ふーん、ええなあ。じゃあお裾分け期待しとるわ」
「……私なんかに言わなくても、忍足くんならたくさん貰えるでしょ」
「まあそれは否定せんけど、」
「おお、さすが!」
「さんが焼いたやつが、食べたいなあ」
「……うわあ、さすが」
引き気味に呟いたさんは、すぐ思い出したようにくすくすと笑った。
「忍足くんて、やっぱりもてるだけのことはあるね」
「何やねん、それ」
「女の子がきゅんとするセリフをさらっと言っちゃうんだもん。そんなの言われたらきゅんとしちゃうよー」
あはは、と快活にさんは笑った。楽しそうな笑顔は、こちらまで笑顔にする。
「……きゅんてしてくれるんや」
「まあ一応女子ですから」
「ん?」
「何かの本で読んだんだけど、女子は男子に比べて7倍感受性が強いらしいよ」
「7倍て、また妙に中途半端な数字やな」
「科学的な根拠までは知らないけど……、だから女子は小さいことでも大きく感じちゃうのかもしれないって思った」
俺を見上げて笑うさんを見て、好きだ、と思った。矢のように降ってきた感情はそれまでの好意を鮮やかに染める。妹なんかじゃない。話したい。傍に居たい。笑顔にしたい。彼女に触れたい。今すぐぎゅっとしたい。
「……実習ていつなん?」
「来週の水曜日だよ」
「ふーん……、俺やっぱり、さんが焼いたの食べたいなあ」
「……え?」
さんはぱちぱちと目を瞬かせる。
「じゃあ来週の水曜日の放課後、図書館で」
「え、いつの間にそういう話に」
「あかん?」
「や、いいけど……」
「楽しみにしとる」
困惑顔のさんに、にっこり笑って背を向けた。
◇
「さん、こっちこっち」
「あ、忍足くん」
いつも居る書架の前だと人が来ることもあるので奥の人目につかないスペースに彼女を促した。さんはランチトートを手についてくる。
「何か密会みたいだね」
彼女はくすりと悪戯っぽく笑う。密会という甘い響きにくらくらする。
「……ある意味そうやな」
「ある意味?」
「そんなことより、来てくれて有難うな」
これ以上追及されたくなくて焦って礼を言うと、さんは首を振った。
「約束したし。はい」
そう言って、さんはランチトートからパウンドケーキの包みを取り出す。ひと切れずつ綺麗にラッピングされているそれを俺に差し出した。
「……わざわざ包んでくれたん?」
「友達にもあげるから」
「なるほど」
ほんの少しがっかりしつつもそれを受け取る。
「こっちが紅茶で、こっちはマーブル」
紅茶と指された方の包みを開けると、さんは小さく、あっ、と呟いた。一口かじると、ふわりとアールグレイの香りが漂う。
「……図書館は飲食禁止ですよ、忍足くん」
さんは呆れたように囁いた。咀嚼し飲み込んでから口を開く。
「せやって、我慢出来へんかったし」
「もー……司書の先生に怒られちゃうよー」
彼女は眉を寄せ、口を尖らせた。
「うん、甘さ控えめでうまいなあ」
「え、本当? 良かったあ」
さっきまでの不機嫌そうな顔が嘘みたいにさんは唇の端を上げる。
……ああ、アカンなあ。
好きで触れたくてどうしようもなくて。胸の奥がそわそわと落ち着かない。
「……また作ってくれへん?」
「こんなもので良ければ、いいよー」
「ちゅうか、出来ればこれからも」
「え?」
さんはきょとんとして俺を見上げた。そして首を傾げる。
「でも忍足くん、他からもいっぱい貰うでしょ?」
「そうやのうて、さんが焼いたのがええねん」
「これ、みんなで焼いたやつだよ?」
……あかん、伝わらへん。
不思議そうに俺を見つめるさんに、大きく深呼吸して告げる。
「俺、さんのことが好きなんや」
「……は?」
さんは一瞬眉を寄せた後、目を見開いた。
「……っ、え、何っ」
さんは、じわじわと頬を紅く染め、後退る。逃がすまいとその腕を掴んだ。顔を覗き込むと掴まれていない手で顔を隠しながら背けようとする。
「これからも、俺にケーキ焼いてくれへん?」
言ってしまってからプロポーズのようだなと思った。さんはふるふると首を力なく振る。拒絶にじわりと胸が痛んだ。
「……あかん?」
「ちっ、違うの、そうじゃなくてっ、何で? 何で私?」
「何で言われてもなあ」
この曖昧で、微妙な動きをする感情を言葉にするのは難しい。
「わっ、私……、ちょ、待って。突然過ぎて分かんない。どうして私、」
混乱したように言葉を紡ぐさんに、つい笑みが漏れた。
……可愛ええなあ。
唇の端を上げたのを見た彼女は眉を下げる。
「……からかってるの?」
「全然。もうめっちゃ緊張して心臓ばくばくしてんで、ほら」
掴んでいたさんの手を胸に当てた。やわらかい手はびくりと震えた後確かめるように指を伸ばす。彼女に触れられているという事実に、更に駆け足で躍る心臓。咽喉が詰まりそうになりながら口を開いた。
「……な?」
こくん、と小さく頷いたさんは俺を見上げる。緊張か、混乱のためか、顔を真っ赤にし目を潤ませていた。ひとつひとつの仕種が胸をあまく締め付ける。
「突然やと思うけど、考えて貰えんやろか」
戸惑うように視線を彷徨わせたさんは、こくん、とまた頷いた。安堵のため息が出る。
「良かった……」
「……忍足くん、あの、」
「ん?」
「て、手を離して……」
気付けば彼女の手を掴んだままだった。名残惜しかったけど、そっと離す。
「じゃ、じゃあ、」
「ちょ、待って」
「……何?」
「携帯のメアド教えて、あと番号も。あっ、良かったら今日一緒に帰らへん?」
矢継ぎ早にそれだけ言って携帯を取り出すとさんはぽかんとしたように俺を見上げた。ふ、と唇が弧を描いたかと思うと、くすくすと笑い出す。
「……そんなに、慌てなくても」
「あー……何かカッコ悪くてすまんな……」
ううん、とさんは首を横に振った。そして何度か深呼吸して口を開く。
「有難う」
「え?」
「好きって言ってくれて。その……付き合ったりとかしたことないからよく分からないんだけど……、よろしくお願いします」
まだ頬を染めたままのさんはそれだけ言って微笑む。抱きしめたい、というよこしまな感情を俺は抑えるのに必死だった。
◆
「んんん……」
小さく漏れた声にを見ると、眉を寄せていた。さっきまであんなに幸せそうな寝顔をしていたのに、良くない夢でも見ているのだろうか。手を伸ばして頬をそっと撫でる。すると、すり、と猫みたいに俺の手に頬をすり寄せた。
……何やろこの可愛い生き物。
「んー……ん、侑士?」
「起こしたか」
ぼんやりと目を開けたに笑いかけると、うん、と頷く。
「お母さんにプリン食べられる夢見た……」
悲しそうなその声につい吹き出した。堪えられず笑い声を立てると、は目を擦り口を尖らせる。
「……なに? 何で笑ってるの?」
「何でもない。起こしてすまんな。ほら寝よ」
「んん……」
は素直に枕に顔を伏せた。程無くして規則正しい寝息が聞こえてきた。その頬に唇をひとつ落として隣に潜り込む。柔らかなの体を抱き締めて、目を閉じた。
(Happy birthday to Yushi OSHITARI!!...'12.10.15)
忍足誕生日おめでとう!
タイトルは前回の「桂花爛漫」と同様に造語です。
「桂花爛漫」の中でうっかり書いたプリンネタとお付き合いのきっかけを書きたかったのでした。この二人を書くとなんか和む……。寝てる人を見て回想する、という話が好きです。
寝てる人といえば、妹その2(一緒の部屋で寝てる)は「……起きてるの?」というくらいはっきりした寝言を言うんですが、先日の寝言は「オリジナル……」(めっちゃ幸せそうな声で)でした。何の夢を見てたか気になります。
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