「……金ちゃん?」
白石蔵ノ介の声に遠山金太郎はびくりと体を震わせた。それを見ていたマネージャーのは、見ていられない、というように背を向ける。その肩は僅かにだが震えていた。
思 案 の 外
「何度言うたら分かんねや? やっぱ、」
蔵ノ介は左手の包帯に手をかける。金太郎はそれを押し止めるかのごとく両手のひらを前に出した。
「白石っ、ちょ、待って、あかんて、」
「言うこと聞かん子ぉには……こうせなあかんのかな!」
くるくると右手で左手の包帯を巻き取った蔵ノ介を見た金太郎は竦み上がる。
「ひいい、毒手嫌やあああぁ!!」
ばたーん、と大きな音を立て、ドアを開けた金太郎は部室の外に飛び出して行った。一連のやり取りを見ていた忍足謙也はため息をつく。
「……大丈夫か」
「あかん……っ」
謙也の言葉にはふるふると震えながら振り向いた。その顔には満面の笑みが浮かんでいる。
「もー、何なん!? 何で金ちゃんあないに可愛いん?!」
まくし立てたは頬を桃色に染めていた。蔵ノ介もそれを見てため息をつく。
「趣味悪……」
「何とでも」
は、うふふふふ、と弱冠気色悪い笑い声を立てた。
「お前……ほんま変態やな!」
「ユウジに言われたないなあ」
一氏ユウジの暴言もさらりと流し、鼻歌でも歌い出しそうなを見つめたまま、蔵ノ介はまたため息をつく。
……趣味悪いんは、俺か……。
テニス部マネージャーのには変わった所が一つだけあった。蔵ノ介の毒手に怯える金太郎を見ると、異様な程喜ぶのだ。本人曰く、怯える様が可愛い、と。歪んだ嗜好に引いていたレギュラー達も何度か繰り返される毎にすっかり慣れてしまっていた。
「萌えってこういうんを言うんやろなあ。胸がきゅんきゅんするー。ほんま蔵ノ介いい仕事するわあ」
は外を窺うように部室のドアを見つめうっとりと零す。
「仕事て……何やろ、褒められた気がせえへん」
「えっ。何で? めっちゃ褒め称えてんで?」
大絶賛やで? と不思議そうに目を丸くし、首を傾げる様は、先程までの発言内容が嘘みたいに愛らしかった。
「……ほんま、先輩、口開かへんかったらええのに」
携帯に視線を落としたままの、財前光の呟きを拾った謙也は告げる。
「の思考がえげつないんは何時ものことっちゅー話や」
「そお?」
結構ひどいことを言われても堪えない、歪んだ趣味の持ち主のを、それでも蔵ノ介は好きなのだ。
◇
「ちゃん、助けてえ!」
何時もの如く、蔵ノ介に叱られていた金太郎ははっとしたようにに飛び付いた。
「うぐっ」
突然金太郎に背後から抱きつかれたは呷き声を上げる。それを見た蔵ノ介は眉間に皺を寄せた。
「……金太郎、から離れんかい……」
「絶対嫌やー! 離れたら毒手のエジキにするつもりやろ!」
苦しそうには体をよじり振り返る。その顔には、やはり満面の笑みを浮かべていた。
「金ちゃん、蔵ノ介の言うこと聞かんとあかんよ」
「でもころされる……!」
「大丈夫やって。蔵ノ介はそんなことせえへん」
は優しく金太郎の頭に手を置く。それを見た蔵ノ介の眉間の皺が深くなった。金太郎は涙目でを見上げる。
「ほんまか?」
「言うこと聞いとったら、な?」
は震えそうな手で金太郎の頭を撫でた。勿論、本人言うところの“萌え”で手が震えそうなのだ。は蔵ノ介に視線を合わせた。
「せやろ、蔵ノ介?」
内情を知らなければ花のように可憐な微笑を向けられ蔵ノ介はため息をつく。解きかけた包帯を元通り巻きつけながら、口を開いた。
「……金太郎、もうせえへんな?」
「! せえへん!」
「せやったら今日は勘弁したる」
「ほんまか!? おおきに白石! ちゃんも!」
ぎゅっと力を込められは、ぐ、とくぐもった声を漏らす。珍しく部活に来ていた千歳千里が金太郎の頭に手を置いた。
「その辺でやめとかんと、ちゃんがしぬばい」
「ああっ、ちゃん! 堪忍!」
慌てて離れた金太郎には呟く。
「ち、ちょっと死んだおばあちゃんが川向こうに見えたわ……」
「わー、ちゃん死んだらアカン!」
「あはは、大丈夫やって。まだ死なれへん」
優勝するとこ見届けなあかんもん、と続けたに金太郎は笑顔になった。
「せやな! ……にしても、ちゃんやらかいなあ」
「え、そう?」
二人は気付かなかったが、蔵ノ介の眉がぴくりと上がる。金太郎は首の後ろで両手を組んで続けた。
「ええ匂いするし、おかんみたいやー」
「二歳で金ちゃんは産めへんよー」
そうやんな、あはははは、と呑気に二人は笑い合う。蔵ノ介は、やっぱ毒手でシメたろか、と金太郎に視線を向けた。それに気付いた金太郎は、ぴゃっ、と竦み上がりの後ろに隠れる。
「もー、蔵ノ介ー」
口ではそう言いつつもは満面の笑みを浮かべた。やっぱドエスや、と光が呟き、謙也が、今更やな、と返す。
「……練習始めんで。ほら金ちゃん、みんなも」
成り行きを面白そうに見守っていたメンバーがコートに出て行く後に続きながら蔵ノ介は大きく息を吐いた。
◇
「しかしお前も難儀なやっちゃなあ」
蔵ノ介が顔を上げると、謙也は顔を上げることも無く続けた。
「よりによって、何でやねん」
眉を寄せる蔵ノ介を見ることもせず、謙也は次の授業の課題を必死で解いていく。忙しなく右手を動かす謙也を見ながら、蔵ノ介は口を開いた。
「……そんだけすらすら解けんねやから、課題くらい家でして来んかい」
「こん位、休み時間でちゃちゃっと解けるっちゅーねん。授業までに解けとったらええんやから、今解いても同じやろ。これこそ無駄の無い宿題法や!」
次の授業が始まるまで五分を切っている。得意気に言い放った謙也に蔵ノ介は呆れた顔をした。
「そういうんは無駄とちゃう。謙也の場合、追い詰められんと出来へんだけやろ」
そうとも言う、と声を立てて笑った謙也は再び手元に視線を落とす。
「で、何でなん?」
律儀に声を潜める謙也が可笑しくて蔵ノ介は笑った。
「……まだそれ続いてたんか」
「おう」
「そこ、途中の式違てるで」
「うおっ、ほんまや! ……って誤魔化されへんで」
謙也は消しゴムを手に蔵ノ介を睨む。
「確かによう気ぃつくし、働くし、可愛ええ方やと思うけど、『アレ』にドン引きせえへんのか」
『アレ』、とは金太郎の怯える様に喜ぶ、光からはドエスと呼ばれる所以の行動のことだろう。
「……せん、て言うたら嘘になるな」
「せやろー。『アレ』がある限り、は無いなあ」
「……せやけど、」
「んっ?」
その時丁度チャイムが鳴った。蔵ノ介は唇の端を上げる。
「残念。タイムリミットや」
うっかり謙也が見惚れそうな位の笑顔で蔵ノ介は話を終わらせた。
◇
「……何なん、謙也」
「ん?」
はコートを向いたまま呟く。
「さっきからじろじろと……用があるなら口で言うてや」
「や、何ちゅうか……観察?」
は、はあ? と眉間に皺を寄せ、ようやく謙也を見た。コートにはまだ蔵ノ介の姿は見えない。保健委員の仕事で遅くなるということで、それをいいことに、謙也は隣に座るを凝視していたのだ。
……うーん、出来るヤツやっちゅうのは分かるねんけど。
何処に惚れてんのかさっぱり分からん、と蔵ノ介に言ったら、余計なお世話や、と返されそうなことを考える謙也に、は予定の書かれた紙を挟んだクリップボードを胸に抱き口を開く。
「観察て、見ても面白いことあらへんで。ユウジや小春みたいに面白いことも出来へんし」
「そういうんとちゃうねん」
「……今日は謙也に話通じひんな」
まあいつもか、と再びコートに顔を向けたはクリップボードに視線を落とし、立ち上がった。
「そこまでー。次、光と、謙也ー」
謙也がラケットを手に取り頷くと、面倒臭そうに光も寄ってくる。
「ええと、苦手な所でもきっちり返すことに重点置いて、とのことですー。試合やないから、ちゃんとラリー続けてな」
「りょーかい」
「分かりました」
謙也は、コートの中に向かいながら思いついてを振り向いた。いつの間にかは準備していたドリンクボトルの入ったかごを部室から持って来ている。ベンチにかごを置くと次は球拾いをしている一年に声をかけていた。白石ならば、無駄の無い、とでも評しそうな働きぶりに、謙也は感心する。
……よう働くなあ。
しみじみ思ったところに体を掠めてボールが打ち込まれた。ぎりぎりで避けた謙也はきっ、と振り返る。
「何してんねん財前!」
「謙也先輩がぼーっとしてはるから目ぇ覚ましたらんとあかんなあと」
「目ぇ覚めとるわ!」
「じゃあ目ぇ開けて寝てはったんスね。さっさとコートに入ってくださいよ」
喚く謙也を意に介さず光はしれっと告げた。謙也はラケットを握り直す。
「……吠え面かかせたる!」
「それはこっちのセリフです」
の、ひいては蔵ノ介の指示を無視して二人は打ち合い始める。それに気付いたは目を見開いた。
「ちょっ、私の言ったこと聞いとったー?!」
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('11.9.27)