図書館の海・1
どさどさ、という音がして目を開けると女子生徒が慌てて本を拾っていた。視線に気付いたのか、彼女はこちらを見て微笑む。
「ごめんなさい、起こしちゃいましたね」
「いや……構わんけど」
彼女は落とした本を抱え直し、棚に収めていく。全て片付けると何事も無かったように、書庫の階段を降りて行った。
……誰だ、あれ。
俺はズボンの埃を払いながら立ち上がる。欠伸をして、固まった体をほぐすように伸びをした。
立海の図書館は高校と同じなせいかとても広い。書庫も広く、二階の奥ともなると人の出入りは殆ど無いと言ってもいい。眠い時や一人になりたい時には好都合な場所だった。
……図書委員かね。
ぼんやりと覚め切らない頭で考える。黴臭い何処か湿った空気の中、胸ポケットに入れていた時計を見ると、部活がすでに始まっている時間だった。
……真田に叱られるのう。
そう思いながらも足を速める事無く階段を降りる。低く交わされる会話や整然と立ち並ぶ書架を擦り抜けカウンターの前を横切ろうとすると先刻の彼女が居た。慣れた手つきでカードを受け取り貸し出し処理を行なっている。見えた手がやけに白い。目を逸らし、図書館のドアを開け外に出た。
***
「なん、柳生、部活行かんの?」
テニスコートと逆方向に行こうとする友人に声を掛けた。
「図書館に本を返却したらすぐ行きますよ。先に行っていてください」
図書館、と聞いてあの白い腕の持ち主を思い出した。
「いや……連いてくわ」
「珍しいですね」
「……そうじゃね」
カウンターにはあの時の彼女が居た。
「返却をお願いします」
「はい」
「この前は有難うございました」
柳生がそう続けたので本に伸ばしかけた手を止める。
「いいえ。面白かった?」
彼女は微笑んで返す。
「はい」
「それは良かった」
「ずっと探していたんです」
「ああ……あの本にしか入ってないのがあるね」
「そうです。つい最近知りまして」
「今はあの人のを読んでるの?」
「はい」
「今度新刊が入る予定だよ。予約しておく?」
「お願い出来ますか」
「うん」
聞き耳を立てていた訳では無いが会話は耳に入った。内容から察するに彼女と柳生は親しいらしい。
……こんな子、おったかな。
じっと見ていると彼女と目が合う。彼女は微笑み、僅かに首を傾げた。
「行きましょうか」
柳生から声を掛けられ頷く。振り返って彼女の姿を確認すると、何事も無かったように本を読んでいた。
「仲良いんやね」
「……という程でも無いんですが。彼女は本に詳しいので色々教えてくださるんですよ」
「へえ」
テニスコートに向かいながら聞いた。
「何組の図書委員なん?」
「一年、B組だったかと」
「一年?」
俺は怪訝そうな表情を浮かべていたのだろう、柳生は少し笑った。
「高等部のです」
「ああ……」
……年上やったんか。
***
カウンターには彼女の姿が見えなかった。落胆しつつも足は書庫に向かう。
……落胆?
自分の思い付きに疑問を感じながら、階段を昇る。階段を昇った先には、彼女が左手に紙の束を、右手にペンを持ち書架と紙の束を見比べていた。俺に気付くと顔を向ける。目が合った、と思ったら唇の両端を上げた。
「また寝に来たの?」
「まあ……否定はせんですけど」
「この前は柳生くんと一緒に来てたね」
「部活が一緒なんです」
「ああ、テニス部?」
「はい」
彼女は紙の束を纏め階段に向かう。
「もういいんですか?」
「邪魔しちゃ、悪いから」
彼女は悪戯っぽく笑った。
「邪魔しとるんはこっちでしょう。随分熱心にしよるんですね」
「好きだからね」
さらりと言った姿に虚を衝かれ彼女から視線が外せなくなった。肩位に切り揃えられた黒髪は小さい窓から射す光に照らされ艶やかに輝く。こう言うと失礼だが、とりたてて特徴の無い顔立ちをしていた。それでも、眼差しはとても印象的だった。
「じゃあ」
彼女は階段を降りていった。足音が徐々に遠ざかる。書庫の奥の埃っぽいスペースに座り目を閉じた。目蓋の裏に残像のように彼女の手が浮かぶ。
「あ」
思わず呟いて目を開けた。
……名前訊くん忘れた。まあいい。柳生に訊けば分かるやろ。
改めて壁にもたれ目を閉じた。
('04.9.2)
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