図書館の海・2
「――――図書館のあの方ですか?」
「そう、名前何ていうんかね」
「さん、とおっしゃいます。下の名前は失念してしまいましたが」
「ふーん」
柳生は忍び笑いを漏らす。
「何や?」
「いえ、貴方が他人に興味を持つなんて珍しいなと」
「あー、ねえ」
興味。
そうかもしれない。きゃあきゃあ騒ぐ女子生徒しか最近見ていなかったせいか、彼女の眼差しは新鮮に映った。柔らかに笑う顔は悪くなかった。また、会いたいと思うほどに。
***
カウンターにも書庫にも居ないと思ったら書架の間に居た。書架の間にところどころ置かれた椅子に腰掛け、真剣な顔で膝の上の本のページを捲っている。顔に落ちかかる髪を耳に掛けた時、微かに銀色が光った。俺が近づいた気配に彼女は顔を上げる。途端、花がほころぶように微笑んだ。
「ちは」
「こんにちは」
「今日は当番やないんですか」
「そう」
「部活とかは?」
「してないの。君は部活の時間じゃないの?」
「今から行かなんです」
「そう」
「……名前」
「え?」
「下の名前何ていうんですか、さん」
彼女は面白そうに唇の両端を上げる。
「です」
「、さん」
こくり、と頷く。
「君は?」
「仁王雅治いいます」
見上げてくる瞳は射抜くように真直ぐだ。その耳朶に銀の光が覗く。
「ピアス……」
思わず、口にしていた。
「えっ」
慌てたように耳を押さえ掛けていた髪を下ろす。
「開けとるんですね」
「あ、うん」
彼女は眉尻を困ったように下げ呟いた。
「……油断してたなあ。いつもは外してるんだけど」
白い耳朶に光る何の飾りも付いてないピアスに触れながら言った。
……ただの真面目な図書委員だと思っとったら。
なかなか喰えないひとのようだ。
「内緒にしてて貰える?」
上目遣いをされて不快に感じなかったのは初めてだった。
「ええですよ。但し、」
「但し?」
「名前で呼んでも、よかですか」
口を衝いて出たのは自分でも思いがけない言葉だった。彼女は目を瞬かせた後、悪戯っぽく笑う。
「どうぞ?」
***
「こんにちは、におくん」
彼女はそう言って笑った。
さんは、猫の鳴き声みたいに俺を呼ぶ。
「――何か、その呼び方猫っぽかですね」
「そう? におくんの方が猫っぽいと思うよ。猫背だし……しっぽも有るし」
ふふ、と彼女は忍び笑いを洩らした。
凛と背筋を伸ばし本に手を遣るさんに並ぶと小さい事がよく分かる。なだらかな曲線で構成される体。加工されていない髪。近くに立つと甘い匂いがする。カートに載せた本を棚に戻していく手際は見事で、しばらく見とれていた。
……一つ上なだけでここまで違うもんかね。
顔立ちは幼いけど妙に落ち着いている。
「どうしたの?」
くるり、と振り返り問う。
「いや、何も無かです」
彼女が片付け終えるのを見計らって声をかけた。
「じゃ」
「あ、部活に行くの?」
頷くと笑って言った。
「頑張ってね」
「仁王」
「参謀。部活に行かんとか」
図書館の外に出ると柳が立っていた。
「委員会の方で呼ばれていたものでな。しかし珍しい所で会った」
「俺やって図書館ぐらい来るさ」
「俺が知る仁王雅治という男は図書館に来るような輩では無かったが?」
「データの書き換えが必要じゃね。日々情報は更新されるもんじゃ」
ふ、と柳は微かに笑う。
「そのようだな。――――お目当ての女生徒とは会えたのか?」
「……人の悪かね。見とったとやろ」
「単純な推理だよ」
そう言って柳は図書館に歩を進める。き、と微かに悲鳴を上げるドアを背に、俺は部室に向かって歩き出した。
('04.9.2)
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