図書館の海・3
人の気配がして目を開けるとさんが本を抱えて立っていた。
初めて会った時のように。
「本当に、ここ気に入ってるんだね」
笑いながら、言う。
「人が、あんまり来んでしょう」
「そうね」
頷いた彼女に、気になっていた事を訊いてみた。
「この前……好きって言ったのは図書館の事ですか、図書委員の仕事ですか」
さんは可笑しそうに返す。
「両方。図書館も好きだし、図書委員の仕事も好きだよ。ていうか、手伝わせて貰ってるの。私、司書になりたいから」
「司書」
「そう。だから早く資格を取りたくて」
「高校で取れるんですか」
「高校卒業して、短大か大学まで上がらないと無理みたい。短期で講習もあるらしいけど、それも高校卒業後じゃないとね。国家試験とかは無くて、単位を取るだけでいいらしいんだけど」
すらすらと諳んじた彼女に目を瞠った。そこまで調べているのかと。そして、納得した。
一つ上だから、大人っぽく見えるのではない。さんがしっかりして見えるのは既に先を見据えているから。きっと、迷いながらも彼女は夢を叶えるのだろう。あの、眼差しで。
さんは本を書架に収めていく。光を背にしていたわけでもないのに、その姿はひどく眩しく見えた。
「何?」
じっと凝視めていたせいか、さんは小首を傾げ問う。それに首を横に振って返した。さんは抱えていた本を片付け終えると、じゃあね、と笑って書庫の階段を降りていった。
***
「……そうなの?」
「先輩はあいかわらずですね。かなり有名な話じゃないですか」
一つ奥の書架の間から漏れ聞こえた声に立ち止まった。思わず聞き耳を立ててしまう。
……さんと、後輩といったところか。
「柳生くんも仁王くんも凄く人気があるんですよ」
「へえ」
興味無さ気な返事をさんは返す。
「最近仁王くんよく来ますよねー」
「そうね」
ぱら、と紙を捲る音がした。
「もー、先輩は興味無いんですか?」
「興味無い訳でも無いけど」
「あんなに格好良いのにー」
「ああ……確かに、におくんは綺麗というか、端整な顔立ちをしているね」
胸の鼓動が速くなった気がした。容姿を褒められ、こんなに嬉しくなるとは思わなかった。
「あたしは柳生くんの方が好みですけど」
「どうして?」
「仁王くんて何か底知れない感じがしませんか」
「そうかな」
さんはくすくす笑って続けた。
「におくんて、猫みたいじゃない?」
「猫ぉ?」
「そう。あ、美歌ちゃん、その棚にある右から3番目の本取って」
「え、これですか」
「有難う。……済み、と。後はやっておくからいいわよ。お疲れ様」
「はい、お疲れ様でした」
慌てて陰に隠れ後輩らしき少女を遣り過ごす。足音が遠ざかるのを確認すると、思わずその場にしゃがみこんだ。緊張していたのか、大きく息を吐く。
……何だ、これ。
何時に無く速い鼓動はおさまりそうに無かった。
***
さんは脚立の上にちょこんと座り本に集中していた。
「さん」
「え? ……ああ、におくん。こんにちは」
「大丈夫ですか、そんな所で読んで」
「本が取れたからつい読み耽っちゃって。それに高い所好きなの。煙とナントカは高い所が好き、って言うでしょ」
にやり、と面白そうに笑う。
「……あ、こうしてると、におくんよりも高いね」
楽しそうに見下ろす彼女に笑って見せた。
「さて、貸し出ししてもらうかな」
さんはそう言って、脚立から降りようとした。しかし、スカートが脚立に引っ掛かり、彼女はバランスを崩す。息を呑み、咄嗟に手を伸ばし彼女の腕を掴み、傾いだ体を支えた。
「っぶなー……」
さんは、ほっとしたように呟く。
「……本当ですよ。何しとるんですか」
「うん、びっくりした」
落ちかけたというのにさんは本を手放していなかった。呆れて見遣ると、脚立から降り立ち、スカートの埃を払う。
「本当に有難う、におくん」
微笑んだ彼女に頷くと、カウンターに歩いて行く。
手にはさんの柔らかい二の腕の感触が残っていた。ふいに何かの本で見た記述を思い出す。曰く、二の腕の柔らかさは胸の柔らかさに似ていると。
……やべ。
今更ながら初めて触れた事に気付き動揺した。書架に凭れ宥めるように深呼吸を繰り返す。
ちりちりと頭上で蛍光灯が音を立てた。時間がゆるりと流れるようなこの場所で彼女はいつも何を考えているのだろう。彼女の視線の先には本しか存在しないようだった。それは心地良いと同時に、歯痒かった。テニス部だとか詐欺師だとかそういうラベルを貼らず俺を認識してくれる事が。
俺を見ているようで……見ていない事が。
('04.9.9)
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