

呼称の問題 ―図書館の海―
「さん、何で仁王のこと名前で呼ばねえの」
「―――え?」
私は棚に本を戻そうとしていた手を止める。丸井くんは、ガムを膨らませた。それを見て苦笑する。
「丸井くん、図書館ではガム駄目だよ?」
「あ、そうだった」
持っていた包み紙にガムを出し、丸井くんは笑う。こういう風にちゃんとしているので何だか憎めない。
「で、何で」
……名前、というと、苗字でなく、ってことだよね。
「あ、えと、うん。……何でかな?」
「いや、訊いてるのオレだし」
私は、持っていた本をカートに置いた。
丸井くんは仁王くんと同じテニス部で、最近本をよく借りに来る。……というか、遊びに来る。
「さん、ですよね」
「はい?」
わあ、赤い髪だ……というのが第一印象。私より少し高いくらいの身長の彼は、に、と笑った。その笑顔が可愛くて私も微笑んだ。
「仁王と付き合ってるんでしょ」
唐突に出てきた名前に、私は焦って頷く。
「は、はい」
「オレ、テニス部なんです」
「あ、そうなんだ。どうも」
ぺこり、と頭を下げると可笑しそうに笑った。
それ以来、よく図書館に来る。
「そういや仁王も、さん付けで呼ぶよね」
「そうだねー」
カートの上の本を片付けながら私は返事をする。
「気になんねえの?」
「何が?」
私が問い返すと、丸井くんは呆気に取られた顔をした。
「いや、だってさ……」
「……余計なお世話じゃ」
「仁王」
「におくん」
仁王くんは傍まで歩いて来ると、私の肩を抱き寄せる。あまり表情に変化は無いが、何となく、不機嫌そうに見えた。
「ブン太、何しよるん?」
「ただ話してただけだよっ。てゆっか、仁王、何でさんの事、さん付けで呼ぶわけ?」
仁王くんは少し考えて、言う。
「……慣れ?」
「あ、私もそうかもしれない」
仁王くんの腕の中で私は呟いた。
「慣れって、そんな……おかしくね? 敬語で喋るしさぁ」
「ずっとそう呼んどるし、敬語で喋るのに慣れとるからのう。それに……さんの俺の呼び方好きだしな」
「「え?」」
思わず丸井君と声が重なった。
「何か、猫みたいじゃろ」
くつくつ笑って言う。既視感を覚える言葉に仁王くんを見上げると仁王くんは微笑んだ。
「へー? ……ま、いっか。じゃオレ先に部活行くな。……あっ、真田がキレないウチに来いよ!」
「おう」
「……におくん」
「何ですか」
「あの、仕事の続きをしたいんですけど」
仁王くんは、あ、と言って解放してくれた。私は取り繕うように、カートの上の本を手に取る。深呼吸して作業を再開しようとすると、仁王くんは呟くように言った。
「……やっぱ、さんも気になります?」
私はその言葉に首を横に振る。
「その……におくんこそ、気になる? 私は、名前で呼ばれてるけど、におくんのことは、苗字で呼んでるから」
私の言葉に彼は小さく笑った。
「さっき言ったでしょう。その呼ばれ方好きなんですよ。……さん以外そんな呼び方しないし。それに、」
仁王くんは私の耳に唇を寄せる。
「どんな呼び方でも、俺を呼んでくれるだけでいい」
囁くように告げられた言葉に顔が赤くなった。仁王くんは楽しげに笑って私を見下ろしている。
「あ、うん……、そ、そうだね」
しどろもどろに返すと、私の頬に手を這わせた。突然触れられて体が震える。
「な、何、におくん」
「」
背中がぞくり、とした。響きは一緒なのに、ただ名前を呼ばれただけなのに。
「……そんな顔せんでも」
仁王くんは、今度こそ動きを止めた私を見て肩を揺らす。
……からかわれた。
口惜しくて、私は口を開いた。
「ま、雅治、くん」
口ごもりながら言った私を見て、仁王くんも動きを止める。仁王くんを見つめていると、僅かに頬を染めた仁王くんは口元を覆って溜め息をついた。
「……参った」
いつもは見せないその表情に、私は頬を緩める。
「……私も」
私の言葉に、仁王くんは不思議そうな顔をした。
「あ」
「え?」
「時間、大丈夫?」
「あ、そろそろ、ヤバい、かな」
柱の時計に目を走らせて仁王くんは呟くように言った。
「頑張ってね」
ふ、と唇に笑みを乗せ、仁王くんは答える。
「じゃあ、後で」
「うん、後で」
去っていく仁王くんの背中を見送りながら、私は作業を再開した。
仁王くんの言った通り、本当は呼び方なんてどうでもいいのだ。例え、さん、と呼ばれていても、私は嬉しいだろう。だって私を呼んでくれるだけで。仁王くんを呼んで、仁王くんが笑ってくれるだけで。
嬉しいと、思うのだから。
('05.6.9)
ええと、呼び方なんてどうでもいいよね、と。……単に私が気に入ってるだけなんですが(赤也やブン太は名前で呼ぶけど、仁王の事は 仁王と呼んでいるせいかもしれません……)。
最初の英文はロミジュリから(カーソル合わせると日本語訳が出ます)。有名ですよね。「GO」の最初にも使われてたし。舞台で鈴木杏ちゃんが演じているのを観た時、「わあ、あのセリフ……!」と、どきどきしました。可愛かったなあ。
ついでに、未来とか書いてみた。砂糖増量で宜しければ→◇
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