図書館の海・5
図書館のドアを開けようとしたら、急に開いたので立ち止まる。中から出てきたのはさんだった。
「あ、におくん」
「もう帰るんですか」
「うん。今日は友達と遊びに行くの」
「そうですか」
「じゃあね」
すい、と横を擦り抜け彼女は歩いて行く。背筋を伸ばし、真っ直ぐに。片手を挙げ、図書館前の庭のベンチの女子生徒に合図する。
「ごめん、!」
「いいよー。それよりどこ行こうか?」
朗らかな笑い声を上げて、二人は校門に向かう。
「――――あれか」
突然聞こえた声に体を震わせると、そこには柳が本を片手に立っていた。
「。去年の中等部図書委員長だな」
「へえ?」
「懸賞論文や感想文コンクール受賞の常連で、よく表彰されていた」
そして微かに笑う。
「意外と言えば意外な相手だな」
「やけん、そういうんじゃ無かて」
「じゃあ、何だ?」
問われて、言葉に詰まった。
「さあ……。俺にもよう分からん」
柳は鼻で笑う。
「まあ、いいさ。部活には遅れるなよ、弦一郎がうるさいんでな」
***
「ちは」
声を掛けるとさんは顔を上げ、唇を弛ませた。
「こんにちは」
「テスト勉強ですか」
「そう。家だと集中出来なくて」
「邪魔、ですか。ひょっとして」
「少しなら、いいよ?」
さんはくすくす笑ってノートを閉じる。閲覧机はテスト前なせいか、殆ど生徒で埋まっていた。いつも以上に声を潜め、話す。
「この前聞いたんですけど、作文得意らしかですね」
「得意って……。何を聞いたの?」
「よう表彰されとったって」
さんは、はにかんで頬を染めた。
「まあ、嫌いじゃないからね。あ、そう言えば私も聞いたよ。におくんや柳生くんが凄く人気があるって」
「はあ……」
ついでのように言った彼女の言葉には、何の意味も込められていなかった。
「テニス部が有名なのは知っていたんだけど、どうもそういう話には疎くて」
照れたように笑う姿を見て、唐突に閃いた。さんは俺を全く、意識していない。図書館で会う後輩、もしくは懐いた野良猫くらいにしか思っていない。分かっていたつもりだったのに、ひどく落胆した。そして、落胆したその事実に、愕然とした。
「におくん? どうかした?」
「あ……別に何も。じゃ、失礼しました」
彼女の傍を離れ、書庫に向かった。階段を昇り、いつもの場所に座り込む。
……何で動揺するんだ。そういうんじゃないんだろ。
その日、いつまで経っても眠りは訪れなかった。
***
「仁王くん」
机に入っていた手紙の指定された場所に向かうと隣のクラスの女子生徒が顔を赤くして待っていた。
「あの、付き合って、欲しいんです」
そこで言葉を切り、俯いて続ける。
「私を好きじゃなくても、いいの」
またか、と思った。
「悪かけど、」
うんざりしつつ口を開く。
「今はそういう気分になれん」
「……だって、今までは」
「ごめんな」
「……先輩が、好きなの?」
「……何て?」
突然出てきた名前に彼女を見据えた。彼女は少し怯んだようにして、それでも続ける。
「……だって皆言ってる。仁王くんは先輩に会いに図書館に通ってるって」
***
「どうしました、仁王くん」
「何が?」
「今日は調子が悪いようですが」
「ああ……うん。すまんかったな」
俺はタオルを被り、がしがしと乱暴に拭く。
練習試合の結果は散々だった。いつもはしないようなミスを重ね、辛うじて勝ったものの納得いかない内容だった。真田から怒鳴られても、ぼんやりしていた。
「何か、ありましたか」
「……なあ、俺はさんを好きなんやろうか」
柳生は虚を衝かれたような顔をして、眼鏡に手をやる。
「……私は仁王くんではありませんから何とも言えませんが、」
つ、と眼鏡を上げて続けた。
「そういう事を考えてる時点で好きと証明しているようなものではありませんか」
……確かに。
何故名前を聞いた? 何故図書館に通う?
認めたくなくて考え付く小難しい理屈を取り払えば理由は明白だ。彼女が気になるからだ。近づきたいからだ。あの眼差しで見る景色に入りたかった。さんに、もっと”触れて”みたかった。
絡まる糸が解けていくように自覚する。
「そうやね……」
「珍しく弱気ですね。さんに関わるようになってから」
「やって、あの人、俺の事どうも思っとらんから」
「嫌われていないとお見受けしますが?」
「嫌いや無かけんて好きとは限らんじゃろ」
苛々するように言ってから、思った。これでは自分の事ではないかと。言葉は、想いは、廻り廻って自分に返って来るのだ。
「まあ、そうですが。ここで私に言っても仕方の無い事だとも思います」
「やね……」
深いため息と一緒に、そう返した。
('04.9.21)
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