図書館の海・6
「――――は?」
こめかみに垂れて来る汗を拭って訊き返した。柳は涼しげな顔をして、再び言う。
「それは、好奇心から来るものじゃないか、と訊いたんだ」
「……何や、それ」
「彼女はお前の事をそういう対象として見ていない。だから、気になるんじゃないのか。こっちを向いていないからこそ、振り向かせたいだけで。振り向いたら、お前は興味を失くすんじゃないか?」
確かに、俺に興味が無いからこそ、さんに興味を持ったのは事実だった。それだけでは無くなってしまったのだけど、言うのは癪なので黙り込む。その様子を見ていた柳は薄く笑った。
「まあ、恋愛なんてそもそもが勘違いだからな」
「勘違い?」
むっと来て問い返すと可笑しそうに答える。
「何故怒る?」
「……お前、分かってやりようとやろ」
不貞腐れて言うと、柳は朗らかに笑った。
「普段は取らせない詐欺師のデータを、採取出来るとなったら張り切るのは当然だろう?」
「趣味の悪か……」
***
書庫のドアを開け外に出ると、さんが居た。
「また寝てたの?」
苦笑して言う彼女に笑って見せる。
「じゃあ」
「あ、におくん待って」
腕に触れた手は冷たかった。急に心拍数が上がる。
「……手、冷えてますね」
「私、冷え症だから。エアコンが効いている所だとこうなるの」
さんは両手を擦り合わせるようにして笑う。小さな手の先の爪は短く切り揃えられていた。
「で、何ですか」
「部活に行くなら、これ、柳生くんに渡してほしいの」
「分かりました」
「有難う」
言い置いて彼女は司書室に向かう。渡すように頼まれた紙は本のリストのようだった。見覚えの無い作者名と書名の並んだそれを折り畳む。図書館を出て、部室に向かう。部室のドアを開けると柳生が着替えていた。
「柳生これ」
「え? ああ、有難うございます」
さっき頼まれたプリントを柳生に手渡すと、柳生は俺を見て笑った。
「何じゃ?」
「いえ。あなたのそういう顔は初めて見たなと」
「そういうて、どんなん?」
「面白くない、と書いてありますよ」
確かに面白くなかった。
……おお、これが嫉妬というものか。
俺の分からない世界をさんと共有している柳生が妬ましかった。
体は何より正直だ。触れられただけで上がる心拍数も、柳生に言伝を頼まれ眉間に寄る皺も。計算ではどうにもならない。
「俺もまだまだじゃね……」
呟くと柳生は顔を向ける。
「何がです?」
「詐欺師形無しって事」
柳生はきょとんとした顔をして着替える手を止めた。
***
「珍しい」
くす、と忍び笑いをさんは漏らす。書架の間で適当な本を手に取っていたところだった。
「レポート提出せないけんから」
「あ、環境問題のでしょ? 私も去年書いたもの」
「どんなん書きました?」
「ええと、温暖化現象について書いたよ」
「じゃあ、俺もそうしよう」
言うと彼女は破顔した。
「それなら、使った本を教えてあげる」
手招きされるまま、ついて行った書架で何冊か見繕ってくれる。
「これは薄い割に参考にし易いから」
そう言って顔を上げたさんを見つめた。さんは目を逸らす事無く、見つめ返してくる。目は大きくも無く小さくも無い。表情豊かな頬。自然な桃色の唇。凝視していると問うように首を傾げる。細い首、薄い肩。本を持つ手と指は小さく。全てに、触れてみたかった。
「……あ、有難うございます」
受け取り礼を言うとさんは微笑んだ。
「いいえ。頑張ってね」
すいと脇を擦り抜け書庫の方角に歩いて行く彼女の背中を見送った。
***
「あ」
小さく呟くとさんは顔を上げる。
「え?」
その日、さんは眼鏡をかけていた。
「目、悪かったんですか?」
「うん。普段はコンタクトなんだけど今日は調子が悪くて」
細い銀縁の眼鏡のブリッジを軽く押し上げ笑う。眼鏡をかけているとまた印象が違って、らしくも無く鼓動が速くなった。もっと色んなさんを見たい。知りたい。欲求には果てが無いものだと、知った。
「……あれ、」
よく見ると彼女はバッグを肩にかけていた。
「さんは、もう帰るんですか」
「うん。におくんこそ部活は?」
「休みです。……途中まで一緒に帰って良かですか」
自分にしては勇気を振り絞って言ったつもりだったのだが、彼女は軽く頷いた。
「うん」
並んで駅まで歩いていると雨が突然降りだした。バケツを一気に引っ繰り返したような雨は体を濡らしていく。近くのバス停に逃げ込み一息ついた。濡れた髪を掻き上げ、さんを見るとハンカチで顔や腕を拭っている。その背中を見て瞠目した。雨で制服が張り付き体のラインがあらわになっている。慌ててタオルをバッグから取り出し彼女の肩に掛けてやった。
「使うてませんから」
「でも、におくんが」
「良かです。躰冷やさんごと、よう拭かんといけんですよ」
顔に垂れた雫を拭ってやりながら言うと、さんは眼鏡を外し笑った。
「有難う」
……ほら、こんな事をしても動揺しない。
何とも思われてない証拠を突き付けられがっかりする。
ひとしきり顔を拭いていた彼女は、眼鏡をかけ直す。髪を耳に掛けため息をついた。ほくろみたいなピアスホールが覗く。
……触れてみたい。
触れたら、さすがに気付いてくれるかもしれない。不穏な思いつきに一人、笑った。
「どうしたの?」
「え」
「笑ってたから。何かあった?」
「まあ、そうとも言うような」
「何?」
笑ってはぐらかすとさんも曖昧に笑う。そしてハンカチを持った手をこちらに伸ばす。
「な、」
俺のこめかみ辺りにハンカチを滑らせ、言う。
「顔、濡れてたから」
「……有難う、ございます」
―――全く。
動揺させたいのに自分が動揺してどうする。
('04.9.26)
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