◇夏2

借りてきた鍵でドアを開けた園芸部の部室から延長ホースを取ってきて、蛇口にセットする。からからと伸ばしながら花壇まで行くと、花壇近くの校舎の壁に、仁王くんが目を閉じてもたれていた。驚きに手を滑らせ、ホースを離す。手元で調節出来るようにホースの先に付けたシャワー口が地面に当たって乾いた音を立てた。窺ってみたが、仁王くんが起きる気配は無い。胸を撫で下ろし、花壇の花に水やりを始めた。葉の上で跳ねる水しぶきは太陽の光を受けてきらきらと輝く。こう暑いと私も一緒に水をかぶりたい気分だった。勿論そんなことはしないけれど。思い付いて、ぎらぎらと照りつける太陽を見上げると目が眩んだ。慌てて視線を逸らしても、瞬きする度に紫に縁取られた緑の点が目蓋の裏に映る。汗がじわりと湧くように溢れ、珠を作るのが分かった。堪えきれなくなったそれが肌を伝う。ため息をついてタオルで拭っていると、視線を感じた。振り返ると、仁王くんが立てた片膝を抱えるように胡座をかいてこちらを見ている。

「ご苦労なことじゃの」

日射しと高い気温に眩暈を起こしそうな程暑いのに、その声はどこか涼しげだ。

「……この炎天下でテニスをしている仁王くんの方がご苦労なことだと思うけど」
「確かに」

そう言って仁王くんは可笑しそうに笑う。その声に背を向けた。容赦なく照りつける陽光は熱いというより痛く感じる。それに負けないくらいに肌を灼く視線に耐えきれず口を開いた。

「……でも今はサボり?」
「休憩時間」

ふうん、と唸るように返して手元のボタンを止める。延長ホースを動かして、もう一つの花壇にも水やりをする。

「……訊かんの?」
「何を?」

わんわんと耳の中に響き渡る蝉の声の間をすり抜けるように仁王くんの声が届く。遅れて、ざり、と砂を踏む音がした。ゆっくりと音の方向に視線を移す。

「どうして私を見るの、って」

隣に並んだ仁王くんは、花壇の花に視線を落として告げた。至近距離の仁王くんの姿に、胸の奥がざわめく。銀色の髪、切れ長の目、薄い唇、その口許のほくろ、と何度も見たことがある人なのに、初めて見るような気分だった。

「……水、やり過ぎじゃないと?」

はっとして花壇を見ると一箇所に当て過ぎていたせいで土に穴が空きそうになっている。慌てて角度を変えた。

「……危なかった、有難う」

それだけ言うと、仁王くんはつまらなさそうな顔をする。後ろに結んだ髪に触れながら私を見つめた。目が合った時にうっすらと浮かべる笑みではないことに何だかほっとする。

「……気にならんと?」
「気になるよ」

即答して見上げると、一瞬だけ目を丸くした。そしてその唇はすぐに綺麗な弧を描く。目を逸らし、花壇に視線をやる。満遍なく水を与えられるように。

「気にならない訳が、ない」

白昼夢、ってこんな感じだろうか。風がほとんど無いせいで蒸発しきれない汗は、不快感をくれるばかりで私の体温を奪っていってくれない。帽子なんて物ともしない太陽は私を直撃して思考力を鈍らせる、弛ませる。酩酊にも似た気怠さの中、『彼』が教えてくれた単語を口にした。

「でも、未必の故意、なんでしょう?」
「……最初はな」
「……え?」
「今は、コイじゃ」

弾かれたように仁王くんを見上げる。仁王くんは私を真っ直ぐ見つめていた。
……故意? それとも、
背中で受けるばかりだったその視線は強くて、息が止まりそうだった。こくり、と咽喉が音を立てる。

「……わざと、ってこと?」

ようやく絞り出した声はかすれていた。

「どっちも」

仁王くんは困ったようにため息をつく。よく分からなくて見つめていると、私に手を伸ばしてきた。思わず身を竦めると持っていたホースを奪い、かちりとボタンを押して水を止める。

「熱射病になりそうじゃから、日陰に行かんか」
「え……じゃあ、水を止めてくる」

平静を装って言ったけれど、手が震えそうだった。蛇口を締めて戻ると、来た時と同じ場所に仁王くんは座り込んでいる。

「戻らなくていいの」

右手首にはめた腕時計を指して言うと、仁王くんはちらりとそれに視線を落とした。

「まあ、いつものことじゃ」

端から見れば穏やかに話しているようだけど、さっきから脈拍が上がりっぱなしだった。どきどきどころじゃなく鼓動が速くて、心臓がこわれてしまいそう。

仁王くんが背を預けている壁の近くにそっともたれる。ひやりと冷たいコンクリートの感触に少しだけ呼吸が楽になった。

「……寝ている方が有難い」

ぽつりと仁王くんは零す。幸村くんと温室で話した時のことか。眠り込んでいるとばかり、思っていたのに。

「そう言うたお前さんが気になってな、何となく、見るようになったんじゃ」
「……気に障った?」
「それもあるかな。ああ、別にムカついた、とかそういうんやなくて……うん」

ひとりで納得するように頷いて言葉を濁す。

「でもはなかなか気付かんかったし、気付いた後は怒ったように睨んでくるし気付かんふりするし」
「だって、」

反論しようとした私を遮って仁王くんは続けた。

「うん、まあ訳分からんよな、見られるだけやったら。それでも構わんと思うとった」
「……そう、なの」

毒気を抜かれたようにそれだけ返すと、仁王くんは僅かに唇の端を上げる。

「でも告白されたところ、見られたじゃろ」
「……うん」
「あん時思うたんじゃ、誤解されたくないって」
「え?」
「……実は未だによう分からん。ただ、気付かんかなあ、と思うようになった」

日陰に入って涼しく感じていたのに顔に熱が集まるのを感じた。仁王くんは顔を上げ、壁に、立ってもたれていた私を見上げる。

「ま、そういう訳じゃ」
「……どういう訳」

くくく、と仁王くんは咽喉の奥で笑った。

「そろそろ行かんとな」

立ち上がった仁王くんは、ズボンについた砂を払う。何も言えずにそれを見守っていると、私に視線を寄越した。

「なあ、気になる?」
「……何が?」
「全部」

面白がるような、煙に巻くような問いに苛立ちを覚えながら、首を横に振る。本当は、言われた通りだった。仁王くんは引き結んでいた唇を綻ばせる。

「じゃあ気にして」
「……は、」
「またな

ひらひらと片手を振って仁王くんは去って行った。遠ざかる背中が陽炎みたいに歪む。
……ああ、まだ白昼夢の中に居るのかもしれない。
気にして、なんて言われなくてもすっかり落ちてしまっている。制御出来ない感情を持て余しながら、見えなくなるまでその背中を見送った。




('12.10.21)
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もやもや〜としたお話にお付き合い有難うございました。「未必の故意」はこれで完結ですが、仁王編もあります。今ぽちぽち打ってるので近いうちに……(やっぱりヒロイン視点にするとキャラ視点書きたくなる)。
Soweluの「He is not for me」という歌が好きで、こういう歌詞の話をと思って書いたのですが、何だか違うものに……。見つめられる、という状態は書けたかな、と。
当初タイトルは「未必の恋」にするつもりだったんですが、間違ってるよー、と言われるのが嫌な小心者なのでそのままにしました。でも故意、って言葉良いよね……(言葉フェチなので)。
時系列で言えば、秋→冬→春→夏→夏2、なのでした。何でこういう構成にしたのかは定かではありません……(通常運転)。たぶん暑かったんだと思います。
春編、話す相手は柳生のつもりでしたけど気付くと入れ替わっていました、びっくり。いかに入れ替わりネタが好きなのか分かりますね!
仁王さんがはっきりしないままですみません……そ、そこらへんを仁王編で書けたらいいなと思います(作文風)。