◇春
桜の花びらが散るのを見ていると心がざわざわする。陽光の中、雪のように降る花びらは夢の中の景色みたいで、毎年のことなのに毎年はっとさせられる。温かくて過ごしやすい季節の筈なのに春は落ち着かない。新しいクラス、立場についていくのがやっとだ。時間は等しく流れているのに、感じるそれは伸び縮みしている。落ち着かないと言えば依然として仁王くんの視線を感じていた。半ば意固地になって知らないふりを決め込んでいるが、意識しています、と全身で語っているようで癪に触る。冬、花壇の近くで言葉を交わして以降、接点は無い。なのに仁王くんは私を見ている。苛々するのとは違う、心を粟立たせる感覚は春の心地と相まって、私を疲弊させていた。
「……さん?」
「あ……ごめんなさい、何?」
慌てて返事をすると、いえいえ、と柳生くんは笑う。三年になって風紀委員に就いた誼で、同じ委員の柳生くんとも話すようになった。柳生くんはいつも穏やかに、丁寧な口調で話しかけてくる。今日も彼に頼まれて、風紀委員から配る冊子作りを手伝うことになった。
「五回目でしたから」
「五回目?」
「ため息です。本当は何か用事があったのではありませんか」
ぱちん、ぱちん、と規則正しくホチキスを鳴らしながら冊子を留めていく柳生くんに首を振る。
「何も無いよ。集中してなくてごめんなさい」
「いえ、手伝って頂いて申し訳ないのはこちらの方です。それより、」
「はい?」
柳生くんはホチキス留めの手を止め私を見た。
「何かありましたか? 話を伺うことくらいなら出来ると思いますよ?」
並べたプリントを順に取って、机にとん、と一回打ち付けて一冊分に整える。またため息をつきそうになったけど飲み込んだ。
「……自分でもよく分からないから抽象的な話でもいい?」
「構いませんよ」
再びホチキス留めを開始した柳生くんの手元を見ながら口を開く。
「……人が人を見つめるのって、見つめる人の意志がそこにはあって、更にエネルギーが要ることだと思うの」
柳生くんは面食らったように何度か瞬きを繰り返した。
「それが何度も続くようならそれは偶然ではないと思うんだけど、」
そうですね、と気を取り直し柳生くんは柔らかい相槌を打つ。そこまで言って、机に潰れるように伏せた。
「こんな風に思うのも……私の自惚れかもしれない」
そう、その言葉で全て片が付くだけの事象なのだ。私が気にしすぎているだけ、という。
「だって見つめる人の真意が分からないの。接点が無いし、話したのは一度だけしかないから」
「……ですが、少しでもそう思うのなら、それは気のせいではないのではないでしょうか」
ゆるゆると顔を上げると、柳生くんは微かに笑う。
「未必の故意、ってご存知ですか」
「みひつのこい?」
「実害の発生を積極的に願うものではないけれど、自分の行為により実害が発生しても構わないという、行為者の心理状態のことです」
すらすらと諳じられた内容に、今度は私がぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「ええと……よく、」
「恐らく彼は、さんに何か伝えたいことがあるのでしょう。でもそれは伝わっても、伝わらなくても構わないのかもしれません。貴女が意識しても、意識しなくてもいいと。……まあそれは無意識と呼んでいいことなのかもしれませんが、突き詰めれば意図するところは同じことでしょう」
「どうして……彼って……」
ぽかんと口を開けて見ていると、柳生くんはホチキスを持ち直して忍び笑いを漏らす。
「おや、違いますか?」
「……違わないけど」
柳生くんがホチキス留めを再開したので、私も残っていたプリントを慌てて整え始めた。出来た冊子を束ねてクラス毎に分ける。三年の分だけだが、結構な山が出来た。
「これで終わりですね、有難うございました」
「ううん……」
持ってきていた段ボール箱に出来た冊子を詰め終えた柳生くんは、そっと眼鏡を上げる。
「彼は、貴女に気にして欲しいだけなのかもしれません」
「……え?」
「ただそれだけで、深い意味はないのかもしれませんね」
柳生くんは唇の端を僅かに上げる。その笑い方は、仁王くんに似ていた。
「……柳生くん?」
柳生くんは右手首にはめた腕時計を見て呟く。
「さて部活に行かなければ。さん、本当に有難うございました。このお礼はいつか必ず」
柳生くんは軽々と段ボール箱を抱え上げる。
「え、いいよ、そんな。私も風紀委員なんだし」
「そうですか。ではまた」
にこり、と笑って柳生くんは教室を出て行った。
……ああ、やはり春は落ち着かなくて、好きじゃない。
('12.10.4)
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