◇冬
幸村くんが入院したという話は、すぐに校内を駆け巡った。温室に水やり当番で上がる度に、そのことを、幸村くんと話した時のことを思い出す。格別親しかった訳じゃないけど男子の中ではよく話す人だと思うので、早く良くなればいいなあと思っていた。
園芸部が水やりや草むしりなどの世話をしているのは屋上の温室だけではない。裏庭にも花壇が有って、そちらの世話もしていた。冬はあまり水やりの必要は無いが、全くやらなくていい訳でも無い。陽射しは暖かいけど吸い込んだ空気はやはり冷えていて体を震わせた。吐く息も、白い。マフラーをしっかり巻き直し、落ちないように首の後ろで軽く結んでいると花壇に近付くにつれ、人の声が聞こえてきた。裏庭は人目につきにくいせいか、よく恋人たちの逢瀬の場所になっている。その日もそんなところかと当たりをつけ、近寄っていくと、どうも違うらしい。金切り声とまではいかないが、女子が声を張り上げていた。気不味い場面に出食わしてしまった、と歩む速度を緩めると、相手をしているのはどうやら仁王くんらしい。喚くように言葉をぶつける女子に、普段と変わりのないような、気のない返事をしていた。
……困ったな。
ため息をつき足を止める。その時、大きくはない声だったのに、仁王くんが告げた科白が明瞭に聞き取れた。
「そんなのお前さんの勝手な意見じゃろ。押し付けられても困る」
「……ひどい」
「ひどいのはそっちじゃ。つまらんことで煩わせんでくれんか」
ひく、としゃくり上げるような響きの後、砂を蹴るような音がする。恐らく女子の方が走り去ったのだろう。恐る恐る覗いてみると仁王くんが項垂れるようにして立っていた。足音に気付いたのか、素早くこちらに視線を寄越す。
「……ああ、。水やりか?」
言葉を交わすのは初めてのことだった。とても自然に名前を呼ばれたことに驚きながら頷く。
「邪魔してすまんかったな」
「……告白?」
思わず口を衝いた言葉に仁王くんは目を丸くした。でもそれは一瞬で、すぐに唇の両端を引き上げる。
「……みたいなもんかの」
さらりと告げる態度に、何だか苛立ちを覚えた。
「……ああいう言い方はないと思う」
「……へえ?」
仁王くんは嘲るように笑う。
「あんな酷い言い方、良くないよ……」
「じゃあ曖昧に返事せろて言うんか。勝手に付き合うてるて思うとった相手に」
仁王くんは吐き捨てるように言った。
「下手な優しさは相手のためにならんじゃろ」
納得は出来る。一方的な想いをぶつけられても困惑するだけだろう。ましてや付き合っていると思い込んでいた相手からならば。でもそんな風に思わせてしまった仁王くんにも非があるのではないだろうか。それを見透かしたように仁王くんは零す。
「曖昧にしとったばっかりに、こんな目に遭うとるんじゃからの」
「でも、」
「でも、何じゃ? 好きでもないもんを好きとは言えんじゃろ」
「そうじゃなくて、」
舌の上に乗せようとした言葉に自分で驚き口を閉ざした。仁王くんは怪訝そうに私を見つめる。
……勿体ないよ、なんて。
誤解されかねない科白は、唇を、思考を凍らせた。
勿論告白を断るのが勿体ない訳じゃない。酷い言葉を告げて欲しくなかった。酷い態度をとって欲しくなかった。噂は噂で、本当は優しい人なんだと思いたかった。眠る彼や目が合った時に微笑む彼が、そんな酷い人だと思いたくなかった。でもこれも勝手な思い込みだ。本当の仁王くんがどういう人なのかも知らない私が言えることじゃない。
「……ごめんなさい」
「……何で謝るんじゃ」
少し焦ったように仁王くんは訊いた。何も言えずに、ただふるふると首を横に振る。
「あー……こっちこそ、邪魔してすまんかったのう」
「……ううん。じゃあ」
水やりは放課後にしよう、と踵を返す。とにかく彼の前から立ち去りたくて仕方なかった。足許の枯葉が踏む度にかしかしと音を立てる。吹き付けてきた冷たい風が熱を持った頭と頬を冷ますようで心地良かった。
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