◇秋

……また居る。
水やり当番で温室に来てみると、中に置かれたベンチに仁王くんが横になっていた。十月に入り涼しくなってきたけど、温室内は温かい空気に満たされているのだから、眠ってしまうのも分かる気がする。空は青く澄み渡り、日差しも夏のそれより柔らかくなってきているから尚更だ。いつものようにホースを用意していると、屋上のドアが開いた。部員かと思って振り返ると訪問者は優美な笑顔を浮かべる。

「やあさん」
「幸村くん」

男子テニス部部長の彼は、意外なことに、ガーデニングが趣味だそうで温室をよく訪れていた。だが落ち着いた口調や穏やかな物腰には納得させるものもある。園芸部の部長とも仲が良く、ここで会ううちに私も言葉を交わすようになった。

「おや仁王まで居る。……ひょっとして邪魔をした?」
「いいえ」
「そうなんだ。よく来るの?」
「二年になってから、よく見かける」

蛇口を捻り水道をあける。タイムラグの後噴き出す水を温室内の植物に与えていく。そうしながら、目だけでベンチを見た。

「いつもそこで寝ているの」
「ふうん。相変わらず猫みたいな奴だな」
「猫?」

訊き返すと幸村くんは小さく笑う。

「猫は居心地の良い場所を知ってるって言うだろう」
「居心地、良いのかしら」

世話をした花を観てもらう訳でもなくても、居心地の良い場所になっているなら何よりだ。

「俺は良いと思うけど。仁王はこういう昼寝場所とか探すのうまいんだ」
「……話したことはないから、よく分からない」
「そうなの?」

よほど眠りが深いのか、水やりをしている間に彼が起きたことはない。

「いつも寝ているし。……それに、」
「それに?」

零した呟きを幸村くんが掬った。小さく息を吸って続ける。

「……緊張するから寝ていてくれた方が有難い」
「仁王だから?」

確かに、詐欺師と呼ばれているとか年上の女性と付き合ってるとか来るもの拒まずとか、仁王くんに関する噂はあやしいものばかりだった。それを鵜呑みにしている訳では無いが、クラスも違うし、簡単に話しかけられる雰囲気の人でもない。端整な顔立ちと彼の纏う気配、それに男子テニス部レギュラーという肩書きは何となく近寄り難いものを私に与えていた。

「……元々人見知りだしね、私」
「俺とはこうして話してるじゃないか」
「幸村くんと話すのも初めは緊張してたよ」
「ふうん。でも噂ほど変わった奴じゃないよ」
「そうなの?」

水を止めようと蛇口を捻りながら問うと、幸村くんは仁王くんを見遣りながら返す。

「うん。面白い奴だよ」
「……そう。でも寝てるのを起こすのも悪いから」

それもそうだね、と幸村くんは笑った。





そんな会話を幸村くんとしてから。

仁王くんと目が合うようになった。目敏い方でも無いし、最初は気のせいだと思っていた。見られている、だなんて、自惚れていると恥ずかしくなったくらいだ。クラスは違うから廊下を歩いている時や集会の、大勢が集まっている時などに視線を感じるようになった。その視線の許を辿ると仁王くんが居た。目が合った、と思うと目を細め僅かに唇を微笑の形に象る。
……三日月みたいだ。
何時もはすぐに逸らしてしまっていたけど、ある日思い立って見つめ返してみた。仁王くんは微かに笑んだ後、視線を逸らす。その仕種にわざとらしさは無かった。視線を逸らされたことに、肩の力が抜ける。拍子抜けしたのではなく、緊張していたのだと気づいた。
……やっぱり、見られて、いた。
気のせいではない、確かに仁王くんは私を見ていた。だがそれが分かったところで何故見るのかまでは分からない。私は彼に何かしたのだろうか。でも話したこともない相手に、何かしでかしているとは思えない。目立たないし面白いことをする訳でもない私を見る理由なんて思い付かなかった。
……面白がられている?
そう思い付いて勝手にむっとする。
……だとしたら……反応する訳にはいかない。
それからは意地になって、気付かないふりをしていた。


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