陥り眩む音の底 #3:埋める
翌日、授業を受けながらも仁王くんの事で頭が一杯だった。
……どうしてまた会いたいだなんて言ってしまったのだろう。
今まで人を好きになるには相手の事を多少知らないと駄目だと思っていた。たとえば、話してて楽しかったり、音楽や本の趣味が似ていたりするような人が気になったりするだろうと思っていたのだ。
事実、私はそうだったから。彼氏も、委員会が同じだった事がきっかけで話すようになった。話していると楽しかったし、何というか、安心出来たから、告白された時、嬉しくて頷いたのだけど。
仁王くんは、違った。頭で考えるより先に、口は言葉を紡いでいた。会いたいと言われて、歓喜で胸の奥が震えた。仁王くんがどんな人なのかも分からない。知っている事と言ったら、立海のテニス部で、あとは名前と携帯電話のナンバだけ。それでもこの感情は膨らみ、行き場を求めて暴れている。
見た目は確かに格好良かったけど、そんな単純な理由じゃないと思った。私は面食いじゃないし、容姿で好きになったと言うなら、跡部くんや忍足くんの事を好きになっていてもおかしくない。
それなら、何故だろう。何故彼と目が合った瞬間、世界が消えてしまったのだろう―――何が、この目を、心を奪ったの。
自分で自分が分からない。誰かに聞いて回りたいくらいだ。
これは、この感情は何なのかと。
「、今日部活休みだから、一緒に帰ろうよ」
「あ……うん」
私は携帯をポケットに仕舞いながら、頷く。その仕種には笑った。
「最近ずっと、携帯を気にしてるのね」
「え……っ?」
「気付いてない? 、休み時間のたびに携帯取り出して確認してたよ」
「そう……かな」
「うん。珍しいよね、が携帯を気にするなんて」
友人の指摘に嘆息する。
ひょっとしたら、と思って、事ある毎に、マナーモードにしてある携帯を確かめずには居られなかった。
は悪戯っぽく笑う。
「誰からの電話を待ってるのよ。それとも、メール?」
「……待ってなんて」
居ない、と言いたかったけど、言葉にならなかった。それは、嘘だから。代わりに、私は曖昧に笑って見せた。その時、携帯が震えた。慌てて液晶を確認すると、仁王くんの名前が表示されている。
「は、はいっ」
―――?
あの時以来の彼の声に涙が出そうだった。携帯越しでもこんなに愛しく思うなんて。
「そう、です」
―――今から、……駅まで来れるか?
「うん」
―――じゃあ、北口で待ってる。
「分かった」
短い会話を終了して、駅に向かおうとすると、が怪訝な顔をしていた。
「どうしたの、。誰からの電話?」
「ー!」
その声の方を向くと、教室の入り口に付き合っている彼が立っていた。私を呼んだクラスメイトが笑って続ける。
「彼氏が呼んでるぜ」
私はバッグを掴み、に向き直る。
「ごめん、、今日は一緒に帰れない」
「え?」
「本当に、ごめん。明日、話すから」
何か言いかけたに背を向け、入り口に急いだ。後ろめたく感じながら彼を見上げる。
「どうしたの?」
「いや、今日、一緒に帰らないかと思って」
笑顔の彼に、胸が痛んだ。
……私は、何をしようとしているの。
胸の痛みとは裏腹に、すらすらと嘘を吐いていた。
「ごめんなさい、今日は用事があって」
「え?」
「急いでるの。ごめんなさい」
「!?」
彼の横を擦り抜け、駆け出した。
***
北口の改札を出ると、仁王くんが居た。壁に寄りかかるようにして立っていた仁王くんは、私を認めると微笑む。
「ごめんなさい、遅くなって」
今日は謝ってばかりだ、と思った。そしてこの先も謝ることばかりなのだろう。それは予感などという生易しいものでなく確信に近かった。それは憂える未来の筈なのに、会えた喜びの前では塵に等しい。
「いいんよ、来てくれたから」
仁王くんは私に手を差し伸べる。誘うように伸ばされた手に、自然と手を重ねていた。
「……どうしてじゃろ」
「え?」
不思議そうに落とされた呟きに問い返すと、私の手を引いた。
「言葉が出てこん」
私の体を引き寄せ、抱き締める。抵抗する事も無く、彼の腕の中に納まった。
「私、も」
付き合っている彼と、触れ合った事が無い訳じゃない。それでも、今こうして、仁王くんに抱き締められているのは今まで感じた事が無いほど胸が痛んだ。幸せで目が眩みそうだった。私も彼の背に手を回す。
……この人が、好きだ。
会うのは二度目だけど、一目惚れなんて有り得ないと思っていたけど、仁王くんのことが好きだという感情しか湧いてこない。抱き締められて嬉しくて、泣きそうで、彼の胸に頬を寄せる。
「好きじゃ」
「好き」
お互い呟いた言葉に、顔を見合わせる。そして微笑みあった。
どうして体なんてあるんだろう。抱き合っても、まだ境界線があるような気がして身を寄せる。仁王くんも私の体に回した腕に力を込めた。
('05.11.21)
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