陥り眩む音の底 #2:交わす
結局その試合に跡部くんが出ることは無く、氷帝は駒を進めた。忍足くんの予言が当たった事になる。
……午後からの試合も、観て行くべきだろうか。
途中にトーナメントの書かれたボードがあったので、試合結果を確認しながら、迷っていた。
……そう言えば。
さっきのあれは何だったのだろう。ただすれ違っただけなのに言葉を失くすなんて。目を閉じても、目蓋の裏には彼の姿が灼きついていた。
端整な顔立ちをしていたのは認めよう。こう言うと偉そうだが、跡部くんや忍足くんと比べて、遜色ない美形だった。氷帝の男子テニス部レギュラーは、ホスト集団と陰で言われている。それ位、レギュラー陣は、整った顔立ちをしている人達ばかりなのだ。
……そういう人達が身近に居るから、見慣れているつもりだったんだけど。
そんな事を考えながら佇んでいると、周囲がざわついた。不思議に思って周囲の視線を辿ると辛子色のジャージを着た人達が歩いて来ている。
「……立海大附属だ」
誰かが囁く声に、あれが立海のユニフォームなのね、と得心していると、彷徨わせていた視線が止まる。
……あ。
その中に、彼が居た。
彼を呼んだ赤い髪の人と、眼鏡をかけた人と何か話しながら、こちらに歩いて来る。
……確か、ニオウ、と呼ばれていた。
銀色の髪を結わえ、猫背気味に歩いていた彼は顔を上げ、私と目が合った。
……どうして。
その時胸に溢れた感情は、説明できない。ただ、今直ぐ泣いてしまいそうになった。彼は目を伏せ通り過ぎる。その姿を追う事はしなかった。彼の姿が視界から消えた時、ようやく息を止めていた事に気付いた私は、深呼吸をするので一杯だったから。
その時、携帯が鳴った。着信を知らせる音楽に慌ててボタンを押す。
「はい」
―――、何処におるん?
流れてきた声は、忍足くんのものだった。
「ええと、トーナメントボードの前」
―――ああ、分かった。
「え、」
ぽん、と肩を軽く叩かれ振り向くと忍足くんと向日くんが居た。
「よー、!」
「向日くん、忍足くん。どうしたの」
「午後からの試合も観てくんやろか思て」
「……どうしようかと思っていたところ」
「何だよ、折角来たんだから、観て行けよ」
向日くんは楽しげに言う。
「そう、だね。ああ、そう言えば」
私は二つ折りの携帯を閉じながら訊いてみた。
「立海に、ニオウって人居る?」
「仁王? 居るぜ。銀髪のやつだろ?」
向日くんの言葉に頷くと、不思議そうな顔をした。
「でも、何で知ってんの?」
「……さっき、トーナメントボード見てたら話してた人が居て、珍しい名前だなって」
「あー、なるほどな。何かされたんか思たわ」
「される訳無いじゃない……可愛い子ならともかく」
忍足くんは、困ったように嘆息して言う。
「一人でおったら、危ないで。さんはどうしたん?」
忍足くんは私の友人の名を挙げた。
「来てないよ。も、部活だから。私は帰宅部だしね」
「ああ、そうか。ほんま、気ぃつけなあかんよ。良うない連中もおるんやから」
「……分かりました」
たまに忍足くんはこうして私を子ども扱いする。弟妹が居ないせいもあるのだろうか、それでも嫌味に感じないし、気にかけて貰えるのは嬉しいので素直に頷いた。
***
結局、午後からの試合も観戦した。
部員の応援も凄かったけど、テニス部のファンの女の子達の応援も凄くて、圧倒された。今更ながら、従兄弟殿は人気がある人なのだなあと思う。
挨拶して帰った方がいいだろうとは思ったのだけど、時間が取れないだろうし、ファンの子達が怖いので黙って帰る事にした。
「……おった」
その声に私は立ち止まる。
そこには、植え込みを囲う煉瓦に腰掛け微笑んでいる仁王くんが居た。
「……に、おうくん」
初めて、彼の名を呼んだ。呼んだだけで、胸が痛くなった。
甘い痛みに思わず胸を抑えると、彼は少し目を丸くした後、また笑顔を浮かべる。
「俺の名前、何で知っとうと?」
「さっき、そう呼ばれてたでしょう?」
ああ、と彼は頷いた。
「俺は仁王雅治。あんたの名前は?」
「……。、」
「」
背中がぞくぞくして、鳥肌が立った。
……こんなに、こんなに私の名前はいいものだった?
「携帯番号、教えて」
「う、うん」
携帯を取り出し、自番号を表示させる。熱に浮かされているようだった。普段の私ならこんな事はしない。番号を知っているのは家族と、限られた友人達だけだ。彼は自分の携帯に私の番号を登録する。すぐに、私の携帯が鳴った。慌てて確認すると知らない番号が並んでいた。
「それ、俺の」
「う、ん」
「今日は時間が無いから、また」
「……また?」
「そう。……また、会いたい」
「……私も」
するりと口を衝いて出た言葉に、自分で驚く。
彼は笑って立ち上がった。背の高い人だと、改めて思った。
「じゃあ」
「うん」
遠くなる背中を見つめながら、思った。
……どうしよう。
彼の瞳を、声を思い出すだけで、胸は高鳴った。あの人を見て居たかった。もっと声を聴きたい。出来るなら、触れてみたい。
そう考えて愕然とした。
……彼氏が居るくせに何を考えているの。
でも、あの人に対して持った事の無い感情を抱いた事は確かで、それは、明らかな裏切りで。
「……最低」
それでも、この気持ちに蓋をする事なんて出来そうに無かった。
('05.11.14)
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