陥り眩む音の底 #5:壊す
「私と、別れてください」
「……、何、言ってるんだ?」
呆気に取られたように呟いた彼に、私は大きく息をして告げる。
「好きな人が出来たの」
「な、」
「どうしても、その人じゃないと駄目なの」
「……納得、出来ない」
聞いた事も無い低い声で彼は言った。それはそうだろう。私だって納得出来ない。未だにこんな事を口にしているのが信じられないくらいなのだから。私は目を伏せた。
「ごめんなさい……」
「……この前、お前が、他校の男子と抱き合ってるのを見たって言うのを聞いたんだけど、」
その言葉に息を呑むと、彼は嘆息した。
「……他人の空似だろ、って、そんな訳無いだろ、って思ってたけど……そうなんだな」
私を見据えた彼から目を逸らす事も出来ず、頷いた。逸らしてはいけないと思った。
「ごめんなさい……殴るなりなんなり、してくれていい。でも、もう、あなたと一緒に居る事は、出来ない」
彼は手を振り上げる。私は身を堅くして目を閉じた。
何時まで経っても来ない衝撃に、目を開けると、彼はつらそうな顔をしていた。
「……出来る訳、無いだろ……。俺はお前が好きなんだよ」
「……ごめん、なさい」
泣くべきじゃないと思っていたけど、涙が零れた。
傷付けた。これ以上無いほど、傷付けてしまった。それでも、もう、後戻り出来ないし、しない。
「……もう、いい。分かった」
「……ごめんなさい」
彼は背を向け、立ち去った。その背中が涙でぼやける。堪えても漏れる嗚咽で苦しくなった。
「……」
唐突に聞こえた声に顔を上げると、そこには忍足くんが立って居た。
「……お、したりくん?」
「ごめんな、立ち聞きするつもり、無かってんけど」
その言葉に首を横に振る。いずれは、知られる事だから。
「……本当に、殴られるつもりやったんやろう」
頷くと、忍足くんはため息をついた。
気の済むようにして欲しかった。それだけの事を、私はしたのだから。勝手だとは思うけど、それ以上私が出来る事は無いのだから。
「そんなに、好きなんや」
「うん……」
「……仁王か?」
忍足くんの言葉に驚いて、目を見開いた。
「どうして……」
「この前、試合観に来た時、仁王の名前出したやろ」
……覚えていたの。
彼は苦々しい表情を浮かべ、続けた。
「あいつ、ええ噂聞かんで」
「……それでも、いいの」
「でも、」
言い募ろうとした忍足くんの言葉を遮るように口を開く。
「どんな人かも、どうなるのかも分からないけど、好きで仕方が無くて、どうしようもないの……」
忍足くんは、虚を衝かれたような顔をした後、呟いた。
「……何か、意外」
「え……っ?」
「て、実は情熱的な人やったんやね」
訳が分からなくて見上げていると、彼は苦笑する。
「そんな激しい感情持っとるなんて、思いもせんかった」
「……私も、そう思ってた」
仁王くんと会ってから、感情のコントロールが効かなくなった。抑えられない衝動に突き動かされるようだった。
「……前、、言うてたやろ」
「え、何を?」
「自分が跡部の従兄弟だから気にかけてくれるんでしょ、て」
「……そんな事、言ったっけ」
全く記憶に無かったけど、自分が言いそうな事だとは思った。
「そう、言うたんよ。けど、ちゃうからな」
「え?」
「そういうんが全く無いとは言わんよ。知っとるもんは、しゃあないからな。でもそれとは関係無く、俺はを気に入っとる」
「……忍足くん」
「あ、レンアイとかそういうのとはちゃうで。何やろ、友情、とか、そういう感じ……やから、」
忍足くんは私を見据えて言う。
「心配は、する。騙されとるんやないかって。でも、余計なお世話みたいやんな」
「そんな事、」
「分かっとるんよ、そういう感情があるって事も」
そう口にして、彼は微かに笑った。
「……さすが経験豊富なだけあるね」
「茶化す余裕があるんなら大丈夫やな」
私は涙を拭って笑って見せた。そうしてないと、立って居られそうに無かった。
('05.12.12)
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