―――被害者はこっちの方なんよ。
(立海大附属三年・仁王雅治談)










受難/前編










「――柳生、は?」
「おや、いらっしゃいませんね」

柳生のクラスを訪れた俺に柳生はのんびりと言った。思わず舌打ちする。

「……また逃げられたか」
「逃げられた、なんて何をしたんですか」

非難するような口振りに、違う、と手を振って見せた。

「人聞きの悪かこと言うな。……それに俺は“された”方じゃ」
「はあ?」
「……また来る」

が逃げ続けてもう三日になる。







その日は、遅くまでDVDを観ていたせいで眠くて仕方が無かった。どうにも耐えられず授業をサボって屋上で寝ていると突然屋上のドアが開いた。そこに立って居たのは柳生のクラスの、。話したことこそ無かったが、真っ直ぐな眼差しが印象的で密かにチェックしていたのだ。
起き抜けの気怠い感覚そのままに寝たふりをしていると、は両手両膝を床について俺ににじり寄ってきた。そのまま、しげしげと俺の顔を観察している。
気になる相手から一方的に見られているというのはどうにも居心地が悪かった。しかし、寝たふりを始めてしまった手前、目を開ける訳にもいかない。薄目を開けて起きる機会を窺っていると、は俺の髪に手を伸ばしてきた。細い指が俺の髪に触れる様はそこはかとなく扇情的で、体を動かしてしまいそうになるのを必死で堪える。顔を前に出せば触れられる位置で俺を観察し続けているは、俺から目を逸らさない。
そろそろ目を開けるべきか、そう迷った時、突然は俺に口付けた。柔らかな感触の後、の髪がおまけのように俺の頬を撫でていく。もう、無理だと思った。

「……ん?」

は驚いたように目を見開いていた。自分でしてしまったことが信じられない、とでも言うように。信じられないのは、こっちだ。

「……?」

黙っていたせいか、掠れた声しか出なかった。は弾かれたように立ち上がる。

「……っ、ごめんなさいっ!」
「待っ、」

校舎に逃げ込んだを慌てて追いかけたのに、見当たらなかった。上がった呼吸を抑えるように深呼吸しながら自分の唇に触れる。唇に残る柔らかな感触は、あやふやだった感情を形あるものにしてくれた。しっかりと、胸に繋ぎ止めた。唇の端が自然と上がっていく。
……これは、訳を訊かんといかんなぁ。

―――そしてもう一度。







それから休み時間の度にを探しに来ているのだが何処に隠れたものか、会うことが出来ないでいた。なかなか手強い。

「仁王、」

声に振り返ると幸村が立って居た。いつも微笑を浮かべている幸村の真意は柳と違った意味で読めない。

「……何じゃ?」
「お姫様、捕まえた?」

黙っていると幸村は楽しそうに忍び笑いを洩らす。

「やるなあ。さん、だっけ」

幸村の笑顔を見ながら、昨日の部活の後のことを思い出していた。







「仁王、を追っかけてんだって?」

丸井はにやにや笑いながら言う。俺は返事をせずにネクタイを締めた。丸井は頓着していないようでシャツの釦を留めかけたまま続ける。

「何日で捕まえられるか賭けようぜ。確か、今日で二日だろ」

こういうことに関しては耳聡い。半ば呆れながら沈黙を守っていると、オレ、五日! と赤也が調子に乗って叫んだ。柳生はやれやれ、とため息をつく。

「じゃ、俺、四日な。ジャッカル、お前は?」
「俺の参加は決定なのかよ……」

ぐったりしたように呟いたジャッカルに、当たり前だろぃ、と丸井が返すと幸村が笑った。

「じゃあ、俺は三日で」
「お、幸村も参加すんの?」

幸村は頷き、さっさと部室を出ようとしていた俺の方を向く。

「明日で三日なんだろ?」

肩を竦めて見せると底の見えない微笑を浮かべた。

「仁王にしては、珍しいよね」

……これは、煽られとるんか、それともプレッシャーをかけられとるんか。
どちらにしてもこのままで済ませる気は無いので適当に頷いておいた。







「柳生、相談があるんじゃけど」
「……何です?」

昼休み、学食で一緒に昼食をとっている時にそう切り出すと柳生は怪しむように眉を寄せた。続けた俺の言葉を聞くとますます眉間に皺を寄せる。しばらく思案していた柳生は箸を置いてため息をついた。

「まあ、一度ちゃんと話した方が良いとは思いますしね。さんを裏切るようで申し訳無いんですが」
「すまんな」
「……本当に、何かした訳じゃないんですよね?」

未だ訝るように俺を見る柳生に頷いて見せる。そんなに俺は信用無いのか。

「俺は被害者じゃ、て言うとるじゃろうが」
「そもそもそれがおかしいんですよ……」
「失礼やの」
「今までの所業を省みてから言いたまえ」

柳生は眼鏡を押し上げながら即答した。


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('07.7.18)