5*bright
「あ……すまん」
靴を履き替える時も、校門を出てからも、雅治は一言も喋らなかった。コンパスの違う私は雅治について行くのが精一杯で、何も喋ることが出来ない。そんな私にようやく気付いた彼は歩調を落としてくれた。並んだ雅治を見上げても、その表情は窺えない。何を言われるのだろう。今直ぐ逃げ出したい。でも、出来ない。
沈黙が怖くて私は口を開いた。
「……雅治、大丈夫?」
「何が?」
「柳生くんが、具合悪そうだった、って」
ああ、と雅治は頷いた後、ちょっとな、と呟く。それきりまた雅治は黙ってしまった。再びの沈黙の中、ただついて歩いて行っていると、唐突に雅治は言った。
「……怖かったんじゃ」
「え?」
「情けなかろ?」
立ち止まった雅治は苦笑を浮かべる。私は雅治を見つめ続きを待った。
「……が、俺を好きなんは分かっとった」
突然名前を挙げられ心臓が跳ねる。
「嬉しかったよ、正直。好きな女が自分を好きなんやから」
好きな女、という言葉に鼓動がますます速くなった。思わず持っていたバッグの持ち手を握り締める。
「……けど、いや、だからこそ、付き合いたくは、無かった」
「ど……して……」
「いつか俺を好きじゃなくなって離れていくのが、怖かった。……違うな、いや、違わんけど、俺も、を好きじゃなくなってしまったらどうしよう、って思ってた」
言葉をそうっと手探りで紡ぐ雅治の姿に私は驚いていた。いつもの雅治は言い直したり、言い澱んだりなんてしない。言葉少なに、でも、的確に相手を衝く言葉を吐くのに。
「それも、嫌だった。でももし付き合ったらそんな日が来るのかもしれん」
「そんなこと、」
「分からんじゃろ、何が起こるか。……だから、確認せずには居られんかった。はまだ俺を好きか、俺は、まだ、を好きか」
何て酷い、何て狡い、人。
「が悲しそうに頷くのを見る度、辛かったけど嬉しくもあった。こんな顔をさせるならまだ大丈夫だって」
「……雅治の、馬鹿」
「……分かっとうよ」
「分かってない! 全然分かってないよ!」
「?」
私は雅治の頬に手を伸ばす。男のくせに滑らかな肌に触れて収まりかけた鼓動がまた速くなる。
「私、怒ってるんだからね」
「うん」
雅治は手を振り払いもせずに素直に頷いた。
「私がどれだけ雅治のことを好きだと思ってるの。そんなことを聞かされても、まだ雅治を好きなんだよ?」
雅治は驚いたように目を見開く。
「普通の女だったら呆れてるよ。そんな先のことばかり考えて今を台無しにして」
身勝手な言い分を聞いても雅治を好きだという気持ちは揺るがなかった。こんなに残酷で、我儘で、嘘つきな男なのに。
「それでも前と同じように、出逢った時からずっと、雅治を好きだよ。嘘はつきたくないし、先は分からないから、この先ずっとなんて言わないけど、今まで好きで居続けたんだもん。これからだって、雅治が私を好きじゃなくなったって、多分、好きで居続けるよ……」
く、と雅治は咽喉の奥で笑った。くつくつと肩を揺らし笑い続ける。
「……もう、逃げられんみたいじゃのう」
「そうよ、覚悟して。私、執念深いことにかけては誰にも負けない自信があるんだから」
「執念深いとかやのうて、」
雅治は頬に触れた私の手に自分のそれを重ねる。
「は一途なんじゃ。……知っとった筈なのにな」
「……馬鹿雅治」
「すんません」
おどけて頭を下げた雅治に、私もふきだした。雅治は頬に触れた私の手を取って歩き出す。大きな手の感触と温もりは私を緊張させるけど、その手を振り払おうとは思わなかった。深呼吸しながら空を見上げると、既にオレンジ、紫を通り越して藍色になりかけている。
「……なあ、俺のこと、好き?」
雅治はしっかりと手を握り直して呟いた。私は空を見上げたまま頷く。
「雅治は? 雅治は私のこと、好き?」
空から雅治に視線を移すと、雅治の唇は綺麗な弧を描いた。
「……好いとうよ」
放たれた言葉の矢は私の胸にやわらかく刺さる。痛くはないのに何だか涙が出そうになって、私はまた、空を見上げた。
('07.1.2)
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タイトルは、坂本真綾ちゃんの「ベクトル」という曲からです。書いている内にぴったりかも、と思いまして。章毎のタイトルは、光る、とか、輝く、という意味の英単語です。どうしてこれで統一しようと思ったのかは忘れてしまったのですが(しっかり!)、合っている気もします。
以下、蛇足です。
最初の「平行世界の私達は、離れ離れになってしまっているのだろうか。」という一文が降りてきたので書き始めたのですがこんな話になるなんて(何度目だ)。
書き始めてからずっと、どうして仁王はこんなことをする(した)んだろう、と悩み続けていました。自分が書いた話なのにね。何度も書いてますが、話を創るというより掘り起こすという書き方をしているのでこういう壁にぶち当たります。
この前に書いていた日吉連作のヒロインが感情をあまり出さない子だったので、今回は、これでもか! というくらい感情面をがっつり書きました。だから会話が少ないのだね。
あと書いている内に、ブン太はヒロインを好きなのかな、と思いました(自分で書いておきながら)。お話の展開上狂言回しが必要で、それがブン太だったのですが、出来上がってから読み直すとどうもそれっぽく見える。意図して書いた訳では無いのですが(そんな器用なことは出来ない)、それは読んだ方にご判断を委ねようと思います。