変わったのは俺だけじゃない。
草に吹く風・1
神奈川に引っ越して来た事をはとても喜んでいた。東京に住んでいるとあんまり会えない、と同い年のいとこはいつも不満そうだったから。そのせいか、大切な友人に黙って引っ越した罪悪感も和らいだ気がする。
(しかし、あの件に関しては黙っていた、というより、言うと辛くなるので言えなかった、というのが正しい)
他のいとこ達とは歳が離れているせいか、とは仲が良かった。親戚の集まりなどで会うと、必ずは俺と一緒に居た。を探すなら蓮二を探せ、と言われていた位に。それとは関係無く、楽しそうに話すの話を聞くのが好きだった。こちらが話す時は、じい、と目を見つめ、嬉しそうに聞いている。そして、傍に居ても、気を遣わずに居られた。
が「蓮ちゃん」と呼ばなくなった境の日の事を、俺ははっきり覚えている。
出来てきた中学の制服を着て見せ合おう、とが言った。どっちにしろ一度は着てみておかなければならなかったので頷いた。ネクタイを締めようとしていると、軽い足音が階段を上がってくる。
「ねー、もう、着てみ、た?」
ノックも無しに開けたはそのまま固まった。初めて結ぶネクタイに苦戦していた俺は顔を上げる。そして、の制服姿に息を呑んだ。すらりと伸びた足がスカートから覗き、ブレザーのせいか、大人びて見えて。
「……、せめてノックくらいはしろ」
動揺を隠すように言ったのだけど、は上の空だった。俺もの制服姿には驚かされたのだが、彼女はそれ以上に衝撃を受けたようだった。
その日以来、は俺を「蓮二くん」と呼ぶ。学校では「柳くん」と。
呼称なんてどうでもいいと思っていたけど残念だった。少し鼻にかかった声で「蓮ちゃん」と甘えるように呼ぶのは気に入っていたのに。
***
中学に上がってしばらくは、と話さなかった。部活を始めた事で時間が無かった事もあるが、何よりが俺を避けていた。は、学校で擦れ違う事が合っても俯いて他人のふりをしていた。
それは、の事を考えれば好都合だった。何しろ、テニス部には熱狂的なファンがついている。その標的になるのはどうしても避けたかった。
だが、面白くはなかった。まるで今までの事が嘘だったみたいに、振る舞うの態度が。半ば意地になって、自分もそうしていたように思う。
ふとしたきっかけで、また、話すようになったのだが、以前とは心持ちが違ってしまっていた。
昔から、は大事な”いとこ”だった。兄妹のように育ったし、それに近い感情を抱いていた。
……筈だった。
そのいとこが大事な”女の子”になってしまったのは何時からだろう。妙なところで聡いくせに、自分の事となると疎いはそれに気付いていない。まあ、また話せるようになっただけでもよしとしなけらばならないのだが。
***
「お帰り、蓮ちゃん」
は、読んでいた本を閉じて言った。その声が甘く響くのは俺の気のせいだろうか。
はうちに来ると、いつも座敷に居た。庭を臨む座敷で本を読んで俺を待っている。祖母と母が手入れしている庭を見ながら読書するのが好きなのだそうだ。
「どうした? また姉さんに引き止められたのか」
そう言った時、姉が麦茶を載せたトレイを運んで来た。
「失礼ね。……はい、ちゃん、咽喉渇いたでしょう」
は笑ってグラスを受け取る。妹が欲しかった姉はを可愛がっていて、お遣いで来るをよく引き止めていた。
「用があるからって、蓮二を待ってたのよ。ねえ?」
「そうなの。宿題で分からない所があったから、教えて欲しくて」
傍らのバッグから問題集を取り出し開く。姉はトレイをテーブルに置き、座敷を出て行った。
「ここなんだけど」
「これか」
書きながら説明してやるとは頷いた。
「あー、そうかあ。ここで代入するのね! 有難う、蓮ちゃん」
「分かったなら、良かった」
姉が出してくれた麦茶のグラスはうっすらと汗をかいていた。一口飲んで、庭を見遣る。草を揺らす僅かな風が心地良い。陽射しに負けないくらい濃い緑が目に眩しかった。蝉の声ばかり耳につく。蝉採りにはついて来ていたくせに蝉が苦手なは、蝉の声に顔をしかめた。
「……部活、大変そうだね。土曜日なのに」
「まあ、仕方ないさ。大会前だからな」
「今年は、試合を観に行ってみたいな」
去年も一昨年も行けなかったし、と呟いて俯く。
「観に来ればいい」
「……うん」
は顔を上げて微笑んだ。
「ねえ、蓮ちゃん。明日も来ていい?」
「明日は、」
「あ、何か用事があるの?」
「用事、というか、明日も部活で遅くなるんだが」
「じゃあ、待ってる」
嬉しそうにが笑ったのでつられて笑った。
('04.10.19)
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