陽炎、稲妻、水の月・3











今日は三年の登校日だ。久々に会う訳でも無いのに、昨日の夜から落ち着かなかった。朝練を終えて着替えていると携帯が鳴る。短い着信音はメールの合図、俺はネクタイを締めて携帯を取り出した。
――昼休み、図書館で。
素っ気ない本文の後のの署名に、思わず頬が弛んでしまいそうになる。

「そういや今日、三年の登校日だね」

隣で着替えていた鳳が何の気無しに言う。見透かされたようで何だか腹立たしく俺は返事をしなかった。

「先輩達、来るかなあ」
「……さあな」

わざと音を立ててロッカーを閉めると、鳳は驚いたように肩を震わせた。



***



「若」

俺の姿を認めたは俺の名を呼び、笑った。制服姿の彼女を見るのは久しぶりのことかもしれない。―――そしてもうすぐ、本当に見ることは無くなるのだ。
胸が詰まりそうになるのを振り切るように口を開く。

「悪い、遅くなった」
「ううん、呼び出してごめんなさい。メールでも済むことだったんだけど、」

開いていた本を閉じ、書架に戻しながら彼女は言う。

「何だよ」
「放課後まで図書館に居るから一緒に帰らない?」
「ああ、それは構わないけど」
「……まだ痛い?」

は低く笑い俺の腕に触れた。制服越しに自身の付けた傷を撫でる。その仕種は嫌でも最中のことを思い出させた。細い腰、たわわとまではいかないが、柔らかな膨らみ、しなやかに背中に回される手の先の、薄い爪。それらが一度に蘇り、促すように吐かれる息を一瞬耳に感じた気がして思わず耳を手で払う。顔が赤くなりそうなのを堪え、返した。

「……そういうことを言うな」
「だって面白いから」
「俺は面白くない」

くすりと忍び笑いを漏らすの頭を撫でながら言うと彼女は微笑んだ。

「じゃあ、また後で」
「ああ」



***



「卒業まであと少しだな」
「そうね」

部活を終え、を迎えに行く頃には外はすっかり暗くなっていた。口を開く度に白い息が空に昇っていく。いつもは生徒が溢れる校門までの道も、ほとんどの生徒が帰宅してしまった今では二人分の足音しかしなかった。
卒業を前には志望校の合格通知を手に入れていた。あとは卒業式を迎えるのみだ。今までエスカレーター式の氷帝の生活を過ごしてきたくせに彼女は、新生活への不安や、緊張などといったものは感じていないようだった。寒さに頬を紅潮させ、笑う。

「早く勉強したい。そのために頑張って来たんだもん」

そう言ったに落胆した。勝手な言い分だとは思うけど、何でそんな風に笑うんだ、と思ってしまった。
寂しいと思っているのは俺ばかりで、気持ちが通じ合ったと思っているのも、俺ばかりで。苛々する。気付くとの腕を掴んでいた。

「何か……卒業出来てせいせいする、って感じだな」

は俺を真っすぐに見据えた。悲しみの色を湛えた瞳にたじろぐ。そっと顔を伏せたのを見て、後悔した。傍から見れば、何も動揺していないように見えるけど、平気そうな顔をしているからって、傷付いていない訳じゃないのだ。今なら分かる。は、傷付いていた。顔を上げた彼女は、僅かに険のある眼差しで言い放つ。

「卒業なんて、どうでもいいもの」
「な、んだよ、それ……」

はふいと顔を背けた。

「……やっぱり一人で帰る」

それはの最上級の悲しみの表現。
悲しんでいる姿を見られることを嫌う彼女は、言葉は悪いけど、すぐ逃げる。

「待てって」
「帰る」
「話を聞け」
「聞かない。帰る」

単語だけで喋るのはよっぽど機嫌が悪い時だ。泣いたり暴れたり、分かり易い不機嫌さを出さない代わりに、彼女は黙る。


「……ねえ、若のために進学先を変えるような私がいい? 違うよね。そういうことする私なら、要らないでしょう?」

口惜しいが全くその通りだった。
何者にも流されない、に惹かれたのだから。

「……そういうんじゃなくて、」
「それに卒業出来てせいせいするなんて言ってないし、言わない。……どうせ若とは一緒に卒業出来ないんだから、どうでもいいって言ってるの」

珍しく饒舌な彼女の台詞に呆気に取られて手の力が緩む。その隙に、はするりと俺の腕を解き俺に背を向けた。今、何て言った? 
―――どうせ若とは一緒に卒業出来ないんだから。
不貞腐れたように放たれた言葉は胸に刺さり、自惚れてしまいそうだった。あまり自分の考えを語らないし、表情も変えないが感情を露にしただけで、こんなにも嬉しい。付き合うようになってしばらく経つけどまだ見てない部分があるのだ。俺は、いつもより確かに速い足取りで歩いて行く背中を追い掛け、再び腕を掴んだ。

「悪かった」
「……悪かったと言う割にどうして笑ってるの」

は俺を見上げ眉を寄せる。

「いや……嬉しくて」
「私は嬉しくないし……面白くない」

拗ねたように言い募る彼女の頬を撫でても笑みを見せることは無かった。手を振り解かないことに安堵しながら抱き寄せる。は、抵抗しなかった。

「……若、逃げないから、離して」
「もう少し」

彼女は小さくため息を吐く。

「若がこんな性格だとは知らなかった」
「俺もだ」

堪えようとしても溢れる笑みに、は怪訝そうな顔をした。

水に映る月を掬おうとしても指の間から零れ落ちる。目に見えているのに触れることは叶わない。どんなに乞うても、叶いはしない。それでもそこに何も無い訳じゃない。有ると思いたい。この体温を、信じたい。

「……わーかーしー、苦しい、んだけど」

困ったように呟くは、それでも俺の腕を解いたりはしなかった。


('06.12.5 Happy Birthday to Wakashi Hiyoshi !)


BACK









タイトルは「見ることは出来るのに触れられないもの」の例え。
とりあえず、「陽炎、稲妻、水の月」はここで完結。表記してませんが高校生設定ということでひとつ(だって書いてる途中で「あれ、これって高校生じゃね?」と思ったんだもの……。<だからまとめて書かなきゃなんだよ……)


以下、蛇足。

最初の短歌は「声に出して読みたい日本語」で知ったものです。凄い歌だな……と思ったのですが、好きで。このヒロインに合うような気がして使いました。意味は、

この男は、必ず私を喰い尽くす。
(ならば)眼を開けたまま喰われてやろう。

という感じです。うわあ……。改めて訳すと凄いな。

「音叉」を書いた当初はこんな話になると思っていなかったのです。でも続きを考えていたら後半の「陽炎、稲妻、水の月」の骨格が浮かび上がってきて、「ええー?!」と自分でも思いました(それくらい頭の中でストーリーが勝手に進んで行った)。ちなみに後半のテーマソングはスガさんの「19才」です(笑)。

今回わざと、ヒロインの感情をあまり出さずに書きました(それは夢小説と言えるのか?)。企画に提出した「揺曳」もそうですが、ミステリっぽい感じにしたかったのです。叙述ミステリ?(成功したかはともかく)そしたら日吉がへたれになってしまったような気がします。振り回される日吉……(不憫な)。「陽炎、稲妻、水の月」三話目が甘いのはそのせいかもしれません。少しくらいは反撃しないとね(笑)。