1 オレンジ色の線 (神さまの気まぐれ)
……飲み過ぎたな。
ゼミの飲み会の帰り、店を出てから真っ直ぐ歩けない。私はため息をついて立ち止まり、バッグからシガレットケースを出した。一本銜え左手で覆いながら火を点ける。白い煙はゆらゆらと立ち昇り消えていく。
……なんで紫煙っていうのかしらね。
こんなにも、白いのに。
一本、吸い終えると、さっきより頭がクリアになった気がした。あくまで、さっきより、だが。私は携帯灰皿に吸殻を入れ、再び歩き出した。
私は喫煙者なのだが、煙草の匂いがあまり好きではない。ただ、夜、外で吸う煙草の匂いだけは好きだった。つらい思い出とセットの筈なのに不思議だなあと思う。
初めて煙草を吸ったのは、高校から付き合っていた彼氏と別れた時だ。もうどうしようもないというのに未練たらしく彼と同じ銘柄の煙草を買ってみた。咽喉が痛いし口の中は苦いし気持ち悪いのに。何も考えて無いのに溢れる涙と同様、吸うのを止められなかった。部屋に匂いがつくのが嫌で、ベランダで月を見上げながら体が冷えるまでそうしていた。涙で前が見えなくて拭おうとした手には煙草。
その時鼻先をかすめた匂いは、嫌じゃなかった。
***
……おお、星が綺麗。
ベランダに干し忘れていたタオルを取り込もうと窓を開けると、星が綺麗だった。春になるとは言え、まだ夜になると冷える。私はコートを着込み、シガレットケースと携帯灰皿を手にベランダに出た。
冷たいけど、コンクリートの手摺りに凭れ火を点ける。漆黒の闇に伸びていく白い煙。瞬く星空を見ながら、深く吸い込んだ。澄んだ空気の中では煙草が美味しい気がする。
「……なあ」
突然声がして、私は持っていた煙草から手を離してしまった。オレンジの線を描いて煙草は地面に消えていく。
「……ああー」
「びっくりさせてもうたか?」
ひょこ、とベランダの、隣との境から顔を出し隣人は言った。長めの髪、丸眼鏡のその人は穏やかに笑う。
「……しましたよ」
「いや、煙が見えたから気になってな」
寮を出てここに暮らして一年近く経つが隣人に会ったのは初めてだった。関西の出身なのだろうか、特徴的なイントネーションと柔らかい口調に私は警戒するのも忘れ笑う。
「部屋に匂いがつくの嫌なんで」
「やからホタル族かい。……こない寒いのに」
「寒空の下吸う煙草が美味しいんですよ」
新たに煙草を取り出し銜える。銀色のライターで火を点け、ゆっくり煙を吐き出した。
「一本貰えんやろか。切れてしもたんよ」
「いいですよ。これで良ければ」
シガレットケースを揺すり差し出すと、長い指が一本攫って行く。
「有難うな。自分、幾つなん?」
「成人式は先月でしたよ」
私はライターを渡しながら言う。彼の手が僅かに私の手に触れた。
「やったら、同い年やな」
「えっ?! もっと上かと思った」
「ジブンこそ、成人しとるようには見えんで」
彼はくすくす笑って煙草に火を点ける。その仕種はとても綺麗で、私は一瞬見惚れてしまった。彼は固まった私を訝しげに見る。
「なん?」
「いや、色っぽいなーと。もてるでしょう」
「まあ、不自由した事は無いなあ」
しれっと言ったそのセリフも、嫌味とか自慢に聞こえなかった。この端整な顔立ちならば、それもそうだろう、と素直に思える。私は煙草を消し、彼に声をかけた。
「じゃあ、」
「ああ」
彼は、笑って片手を上げて見せた。
('05.9.4)
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