2 瞳を攫うもの (奪われる)





「「あ」」

声が重なったのが可笑しくて笑うと、彼も笑う。私の目の前には隣人が立っていた。明るい所で見ても、彼は端整な顔立ちをしている。

「奇遇やな。……ってまあ、近いんやから当然か」

夕飯の買い物に向かった近所のスーパーでの事だった。

「そうですね。夕飯の買い物ですか、えと……」

名前を呼ぼうとして気付いたけど、私は彼の名前を知らない。私が眉を寄せていると、彼は微笑を浮かべた。

「オシタリ、や。さん」

私は知らなかったのに、彼の口からは私の名前が出た。

「何で、名前……」

驚いて見つめていると、彼は目を細めた。

「自分、表札出しとるやろ。あれ、危ないで」
「ああ、そうか。いや、不便かと思って」

何とはなしに彼の持つかごの中身に視線を落とす。かごの中にはインスタント食品以外にも、豆腐や野菜が入っていた。
……ちゃんと自炊してるんだなあ。
意外とまめそう、と顔を上げると、オシタリくんはまた、笑った。

「じゃ」
「あ、はい」



レジを済ませ外に出ると、前方にオシタリくんの背中が見えた。目的地は同じだから、自然と後をつけているみたいになる。猫背気味の広い背中、襟にかかる黒い髪。
……歩いているだけで、絵になる人って居るんだなあ。
歩く速度が速い方では無いので、その差はどんどん開いていく。私は足を速める事も無くその背中を見送った。


***


次に見つけた時、オシタリくんは女の人と居た。顔を窺う事は出来なかったけど、細いヒールのミュールを履いた足が綺麗な人だった。
……あら。
残念、とか思ってしまって、自分でおかしかった。ちょっといいな、と思っていたから。
……そりゃ、あれだけ格好良ければカノジョくらい居るよね。
でも、微かに感じたときめきは悪くなかった。お気に入りの俳優やアイドルが出るテレビを追いかけて観るみたいに、わくわくする。確かに存在するけど、私とは関係ない世界の人を見ているような。


***


「こんばんは、さん」
「……こんばんは」

隣との境から顔を覗かせたオシタリくんは笑う。私は持っていた煙草の灰を、携帯灰皿に落とす。今日は彼も、煙草を持っていた。その髪の毛が濡れているように見えて口を開く。

「お風呂入った?」
「は?」
「何か、髪が濡れてるみたい」
「ああ。さっきシャワー浴びたけど」
「風邪ひくよ。ちゃんと乾かさないと」

オシタリくんは驚いたように目を見開いた後、笑った。

「おかんみたいやね」
「経験談ですよ」

お風呂上りに煙草が突然吸いたくなって、髪を乾かさないまま外に出て風邪をひいた事がある、と言うと彼は可笑しそうに肩を揺らした。そして細く煙を吐いた後、私を見据える。

「……書店」

大学の近くの書店の名前を彼は挙げた。

「……え?」
さん、三日前くらいやったかな、そこにおったやろ」

驚いて、また煙草を落としてしまいそうになった。オシタリくんは、にやり、と楽しげに唇の両端を上げ、続ける。

「見かけた」
「あ……そうなんだ。びっくりした。あそこ、大学の近くだから、よく行くんだ」
「大学? 何処なん?」
「氷帝です」
「え。……でも高校は違うよな?」
「そう。受けてみたい講義があって上京したの」
「へー。珍しいなあ。大学から氷帝って」
「まあ、そうだね。そういうオシタリくんは?」

オシタリくんは笑顔のまま、医大、と言った。

「高校までは氷帝やってんけど」
「じゃあ、入れ違いだ」
「やね」

くくく、と咽喉の奥で笑う彼に、見惚れた。
……やっぱり格好良いなあ。
穏やかに笑う姿は、目を奪う。奪われてしまう。そしてふいに思い出した。

「そう言えば、私もオシタリくんを見かけたよ」
「え、何処で」
「駅。綺麗な人と一緒だったね」

オシタリくんは一瞬困ったような表情をしたけど、すぐに笑う。

「あー……。何や、意外と遭遇しとるもんなんやな」

しみじみといった口調が可笑しくて小さく笑った。

「そうだねえ」

私は煙草を携帯灰皿に押し付け火を消す。

「……じゃあ、お先に」
「ああ。……おやすみ、さん」

その返答に、きゅ、と胸の奥が甘く疼いた。


('05.9.10)


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