3 真名の呪文  (視界、遮断)





「オシタリ、って、オシタリユウシの事? うーん、でも、同い年だったらあの忍足くんしか居ないか」
「知ってるの? え、ユウシ、って言うんだ。どんな字?」

は、持っていたルーズリーフにさらさらと忍足侑士、と書いて見せる。こういう字で忍足というのか、と、そのルーズリーフを眺めながら思った。

「氷帝って、生徒数多いって聞いてたけど」
「忍足くん、有名だったもん」

大学に入って出来た、幼稚舎から氷帝に通っている友人のは何でもないように返す。

「そうなんだ」
「だってね、……あ、宍戸くん!」

は、通りがかったゼミが同じの宍戸くんを呼びとめる。

「何だよ
「最近、忍足くんと連絡取ってる?」
「いや。あいつも忙しいみたいだからな」
「……宍戸くん、忍足くんと仲良いの?」

そう言うと、宍戸くんは怪訝そうな顔をしてを見た。

「……どういうことだ?」
「あのね、。氷帝男子テニス部っていったら、結構有名なのよ。宍戸くんも、忍足くんもそれに所属していたって訳」
「そうなんだ?」
「何だよ、。外部入学なのに、忍足のこと知ってんのか」
「うん。最近お知り合いになったんだけどね、お隣さんなの」
「え?! そうなの?!」
「うん」

私の言葉には目を見開く。

「ん? でも最近ってどういうこと?」
「引っ越ししてきた時にご挨拶しようと思って伺ったけど、留守だったから。その後も会わなかったしね」
「そういうもんなの?」
「みたいだね」

都会はそうしたものだと聞いていたけど、まさにその通りで。私は食後のコーヒーを飲みながらひとり納得する。

「そうか、有名だったんだ」
「忍足、元気か?」

宍戸くんはテキストを抱え直しながら言った。

「たぶん。私もそう会う訳じゃないけど」
「そっか」

笑って答えた宍戸くんに、私も笑って見せた。


***


「……宍戸? え、一緒の学部なん?」
「ゼミが一緒なの」
「へー。世の中狭いなあ」

忍足くんは可笑しそうに呟く。

「有名だった、って聞いたよ」
「何やの、それ……。ところでさんて、」
「はい?」

忍足くんは、とん、と灰皿に煙草を打ちつけ灰を落とす。その仕種も綺麗で目が離せない。

「下の名前、なんていうん?」
と申します」

煙を吐いて名乗ると、ふうん、と彼は唸るように返事をした。

ちゃんか」

小さく、彼は私の名前を呼んだ。
……うわ。
その響きはきらきらと胸に落ちて。暗闇の中でも視界がクリアになった気がした。

「ええ名前やな」
「あ……、有難う」
「や、聞いたこと無かったなあて思て」
「……そうだねえ」
「俺は、」
「忍足侑士くん、でしょ?」

彼のフルネームを言うと、彼は目を瞠った後、笑う。

「ああ……、宍戸に聞いたんか」
「ううん、友達に。忍び足、で忍足くんなんだね」
「ちょっと珍しいやろ」
「あ、でも、女優さんで居るらしいよ」
「そうなん?」

私がベランダで煙草を吸っていると、結構な割合で忍足くんもベランダに現れる。些細な事を話し、煙草を吸うだけなのだが、ちょっとした楽しみになっていた。
……彼の端整な顔立ちを眺めるだけでも楽しいし。
友達、とも言えない、微妙な関係。それは、煩わしい事が一切無く、居心地が良かった。


***


ベランダに出ると、隣から紫煙が流れてきていた。窓を開けた音で気付いたのか、忍足くんが顔を出す。

「こんばんは、ちゃん」

あの夜から、忍足くんは私の事を名前で呼ぶようになった。くすぐったいけど、悪い気はしないので何も言わない。

「こんばんは。最近、よく会うね」

何の気無しにそう言うと、彼は低く笑った。

「ああ。……別れてしもたから、暇になってん」
「え、本当に?! どうして?!」

問うと、忍足くんは口に持って行きかけた手を止める。不思議に思って見ていると、ゆっくり顔をこちらに向けた。

「……それを訊くか?」
「あ! ご、ごめん、無神経な事聞いて……」

慌てて返すと、彼はため息みたいに煙を吐く。

「別に、ええけど。何やろ……合わんくなったとしか言いようがないねん」
「そう……なんだ」

ゆらゆら揺れる煙を見ながら呟いた。
まだ知り合って少ししか経ってないけど、忍足くんは何時もと変わらないように見える。淡々と事実を告げる彼は、悲しんでる、というより、困惑しているようだった。それは、柔らかい紗を通して見ているかのよう。まるで他人事の様に、彼が言うから。

「それより、自分は? 彼氏とかおらんの?」

忍足くんは、話題を変えるように言った。

「私? 居ないよ」
「そうなん? 可愛いのに勿体無いなあ」
「お世辞でも嬉しいな」

煙草を取り出し火を点けると、彼は忍び笑いを漏らした。

「本当やって」
「ありがと」

社交辞令だとしても、こんなに格好良い人から言われると気分が良いものだ。闇に煙を吐きながら、私は頬が緩んでいくのが止められなかった。


('05.9.16)


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