7 物語の始まり (見出した結末)
闇に白い煙が細く流れているのが見えたので、シガレットケースと携帯灰皿を手にベランダに出た。
「おー、ちゃん。久しぶりやな」
いつものように顔を覗かせ、屈託なく笑う彼に胸が騒ぐ。
「……そうだね」
笑って見せ、銜えた煙草に火を点けようとすると、緊張して手が震えた。
「禁煙したんやろかー、と思てたんやけど、」
忍足くんは私の手の煙草を見て笑う。
「違うみたいやんな」
から誕生日に貰った、帆布で出来たシガレットケースを戯れに撫でた。
……やっぱり駄目みたいだよ、。
意識した途端話せなくなるなんて、高校生の時みたいだ。
「でも……ベランダに出るの、止めるかもしれない」
「そらまたどうして」
私は一口吸っただけの煙草を携帯灰皿に押しつけ火を消す。手摺りに凭れ、下を見下ろしながら返した。
「うん……色々と」
今まで気付かないふりをしていた感情の波に襲われて、くらくらする。
「何や、元気無いなあ? 何かあったんか?」
忍足くんは、身を乗り出さんばかりにこちらを覗き込んでいた。
「忍足くんが、」
「ん?」
心配そうに私を窺うその仕種に、優しい声音に、胸が騒ぐ。気持ちが抑えられなくて、口にした。
「……私、忍足くんが好き」
「……え」
忍足くんの長い指から、煙草がオレンジ色の線を描いて滑り落ちる。初めて言葉を交わした時のような光景に胸が締め付けられた。
「ごめん、驚かせた?」
「や……。ええ?」
困惑したように私を見つめるから、目を逸らす。
「驚かせた、より、困らせた、だよね。困らせるつもりは無かったんだけど」
……告白するつもりも、無かったんだけど。
どうして口にしてしまったんだろう。口にしなければ、今までどおり穏やかな時間を共有出来たかもしれないのに。こうして言葉をかけてくれるのも、隣人だから、というだけなのに。それでも、気持ちが溢れて告げずには居られなかった。この感情に気付いた時から、平静では居られなくなった。私は手摺りを握り締め、深呼吸する。これでいい、と思った。壊れそうなら、いっそ壊してしまった方が諦めも付く、と口を開いた。
「だから、もう止める。こんな気持ちのまま、忍足くんと話したり、もう、出来ないもの……」
「え、ちゃん!? ちょ、待ちぃや、」
「今まで楽しかった。有難う」
返事は、無かった。
私は大きく息を吐く。微かに残る、煙草の煙が目に染みて、涙が滲んだ。今にも零れそうな目尻をこすり、部屋に戻ろうとすると玄関のチャイムが鳴る。こんな時に、と慌てて玄関を開けた。
「……お、したりくん……」
そこには忍足くんが立っていた。息を切らせた彼は、私を見据える。
「もっと早うこうしたら良かったわ。こんなに近いんやから」
「え、あの」
「大体ちゃん、せっかち過ぎやで。俺、何も言うとらんのに」
記憶の中の彼はいつも横顔で、正面からその端整な顔を見つめる事は少なかったから、居た堪れなくて目を伏せた。
「だ、って」
「返事くらい、させろや」
「……ごめん」
怒ったように発せられた声に項垂れる。
「何で謝るん? さっき言うたんは嘘やったんか?」
その言葉に勢い良く顔を上げた。
「違う、嘘なんかじゃ」
彼は微笑み、胸の奥が音を立てる。
「良かった、俺の勘違いとちゃうねんな。俺もちゃんの事好きやで」
「えっ! でも、」
「ああ焦ったー。もう止めるとか言うから、嫌われたんか思た」
「な、ちょ、ちょっと待って忍足くん!」
「うん?」
「その、私が言ったのは、……特別とか、そういう意味で、あの、」
何と言葉を続けていいか分からなくて黙ると、忍足くんの後ろでドアが閉まった。力強い腕の感触と温もりで目が回りそう。気付くと、私は忍足くんに抱き締められていた。
「俺もやけど」
「う、嘘」
「嘘ちゃうわ。何で嘘つかなあかんの」
「だって、私の事、何も知らないでしょう」
私の頭を撫でながら耳許で囁いた。
「知りたいから、付き合いたい思うてんけど、」
そう言って私の顔を覗き込み、笑う。
「あかん?」
「で、でも私、綺麗じゃないし、」
「そんなん関係ないやろ。ちゃんは、俺の顔だけ、好きなん?」
「違うよ! 話してて、もっと話してみたくなって、」
「せやろ? 俺もちゃんともっと話してみたなってん……それだけじゃ、足らん?」
急展開ってこんな感じだろうか。言われた言葉がぐるぐる頭の中で回る。
「……足らなくない」
どさくさ紛れに忍足くんの胸に頬を寄せた。広い胸はそれだけで心を溶かす。
「……大体、好きでも無い子と手ぇ繋いだりせんよ」
笑う声が忍足くんの胸を伝って耳に響いた。
「え?」
「この前。めっちゃどきどきした」
頬を擦り寄せ抱き締める力を強める彼に思わず笑う。
……そうか、彼も、どきどきしていたんだ。
さっきまでの暗澹たる想いは掻き消えていた。厄介な事になったと思いながらも、胸はさざめく。
……どうしよう。
こんな風に期待と不安がないまぜな感情をまた持つようになるなんて思いもしなかった。顔を上げると忍足くんは優しく微笑む。
「えと、忍足くん」
「ん?」
「……とりあえず、上がる?」
玄関口だし、と続けると彼は首を横に振った。がっかりした顔をしたのが分かったのだろう、忍足くんは困ったように笑う。
「あんな、窓開けっ放し、電気点けっ放しで、来てしもたんよ」
「……え?」
「いやー、焦って飛び出してきたからなあ」
私がくすくす笑うと決まり悪そうな表情をした。
「ちょっと戸締りして来るわ」
「うん」
「……そしたら、また来てもええか?」
「……うん」
忍足くんは微笑んで、玄関を出て行った。私は、力が抜けて、上がり框に座り込む。
……嘘みたいなんですけど。
誰に言うでもなく、頭の中にそんな言葉が浮かんだ。
これからどうなるか分からない。ひょっとしたら、踏み込ませては貰えないかもしれない。それでも、の言葉じゃないけど、始めてみないと分かりはしないのだ。この先うまく行くのか、行かないのかも。
私はため息をついて立ち上がり、部屋の中が、散らかってないか確かめた。その時チャイムが鳴る。逸る鼓動を抑え、私はドアを開けた。
('05.10.15)
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「たしかな偶然」というタイトルは遊佐未森さんの歌からです(洗剤のCMで使われてた)。
以下、蛇足。
ベランダで煙草を吸ってて声を掛けられて煙草を落とす、というシーンが浮かんでしまったので書いたものです(素敵なお題も見つけたし)。
ちなみに、書き上げた時の感想は、そうか、こう落ち着いたか、でした。何しろ、あらすじと言えば上のエピソードだけだったので。
えーと、後日談を書けたらいいなと思っています(時間かかりそうなんですけど)。>それが「偶然の発見」になります。
昔は、ハッピーエンドよりもせつなく終わる話が好きでした。今は、幸せになって欲しいなあ、と思います。うまくいかないより、やっぱりうまくいって欲しい。何だろ、年取ったからかな(笑)。甘いと言われそうですが。
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