6 伝わらない温度 (この手を取って)





「じゃ、お先に〜。また明日ね!」
「うん」

近くの駅まで迎えに来てもらう、というを見送り、深呼吸していると声をかけられた。

「……ちゃん?」
「え……、お、忍足くん?」

思いもかけなかった出会いに、ただ驚いていると宍戸くんに呼ばれる。

、もう帰るか……って、忍足? 何で居るんだよ?」

怪訝そうな宍戸くんの言葉に、忍足くんは笑った。

「さっきまでそこで大学の奴らと飲んでてん。場所移そうか、って話になったんやけど……、何や、ちゃん帰るんか?」
「う、うん」
「せやったら、俺も帰ろかな」

その言葉に宍戸くんは、にやり、と笑う。

「よしを送って行け。但し、送り狼にはなるなよ」
「宍戸くん?!」

私は思わず宍戸くんを見上げた。忍足くんは苦笑を浮かべる。

「お前も失礼やんなぁ」
「うるせえよ、お前を知ってるから言ってるんだ」
「え、宍戸くんはどうするの」
「先輩が二次会行くって言うから、付き合ってくる。じゃあ忍足、を頼んだぞ」
「えええ?! 宍戸くーん!」
「おう、任せとき。ほな帰ろか、ちゃん」

忍足くんはそう言って、私の背を軽く押して促した。


***


「酔うてはおらんの?」
「どっちかと言うと、食べる事に専念してたから」

忍足くんは私の答を聞いて笑う。実際、飲み過ぎより食べ過ぎで苦しかったのだ。そのせいか、頭がうまく回らない気がした。
日付が変わりそうな時間を共に過ごした事が無い訳じゃない。でもそれは、自分の部屋のベランダで、私と忍足くんの間にはプラスティックの仕切りがあった。
……今、並んで歩いているなんて嘘みたい。
それだけで、夜は色を変える。今日はあまり飲んでない筈なのに、足元がふわふわした。

「普段はイケる口なん?」

遅い歩調に合わせてくれる彼の声が頭の上から降って来る。

「まあまあ、かな」

動揺を感じさせないように、俯いて答えた。

「飲むの好きなんや?」
「うん。……好きだよ」

私の言葉に低く笑う。少し猫背気味に歩いている姿を目にするだけで、私の胸は音を立てる。並んで歩いているだけなのに速い鼓動が、紛れもない事実なのだと私に思い知らせた。自覚してしまった今では、どんな風に言葉を交わしていたのかすら思い出せない。
どうして私、平気だったんだろう。
それでも元には戻れないし、胸に生まれた感情を忘れることは出来ない。ため息を押し殺し顔を上げると、雲の無い空に月だけが浮かんでいた。ぞっとするほどに綺麗な月に言葉がするりと出る。

「今日の月は、いつもより大きいね」
「あれは、建物の位置とかでそう見えるだけやで」

何でもない風に言った忍足くんを見上げる。

「そうなの?」

彼は、くすり、と忍び笑いを漏らした。

「そう」

私は月に視線を移し、月を見つめたまま歩を進める。月明かりのせいか、空は藍色、紺色を重ねたみたいな色をしていた。浮かぶクリーム色の月は陰までもはっきりと見える。

「そう、なんだ……」

視点を変えれば見方が変わる。それは、人の気持ちみたいだと思った。

「……あっ!」
ちゃん!」

転びかけた私の腕を掴み、忍足くんはため息をつく。

「足に来とるやん……」
「ち、違うよ。側溝に躓いたの!」
「どっちにしても一緒や。ほら」

忍足くんはそう言って手を差し伸べた。私は思わず立ち止まる。忍足くんも立ち止まり、訝るように私を見下ろした。

「だ、大丈夫だよ? 本当に酔ってないし」
「酔うてても、酔うてへんでも、関係あらへんよ」

私の手を取り、歩き出す。

「ちゃあんと送り届けな、宍戸にどつかれるからなあ」

低く笑った彼に、引き摺られるようについて行く。繋がれた手から、ただでさえ速い鼓動が伝わってしまうんじゃないかと心配したのに。

ちゃん、手ぇ熱いで。やっぱ飲み過ぎたんとちゃうの」

忍足くんは気付いていないようで、くすくす笑う。

「そう、かな……」

仕方なく、合わせて笑ってみた。偶然のことながらも、手を繋いでいることは嬉しい。
……でもあれだ。
それは、はぐれないように手を引かれる子供みたいで。彼はきっと保護者のような感覚なのだろう。ひどく落胆して、それでも顔が赤くなっていくのを止められなくて、部屋に帰り着くまで、顔を上げる事が出来なかった。

***

「ねえねえ、この前忍足くんに送って貰ったんだって?!」
「あ、うん……」

次の講義のテキストを用意しながら答えると、は途端につまらなさそうな顔をした。

「なーによー、何か進展があったのかと思ったのに」
「進展、というか、自覚はしたよ」
「え?」

その言葉にきらりと瞳を輝かせる。は微笑んだまま、声を潜めた。

「好きになっちゃったんだ?」
「好きになっちゃったみたいですね」

ため息をついて苦笑すると、は口を尖らせる。

「どうして浮かない顔してるのよ?」
「うーん……、戸惑ってるのかな。久々の事だし」
「ふーん? で、その後は? 何かベランダで話した?」
「話してないよ」
「どうして?!」
「だって……、会わないし」

送ってもらった日から、ベランダに出なくなっていた。出る時は、忍足くんに会わないように、こっそりと出ていたし。
失恋は人を成長させるとか言うけど、臆病にさせるだけじゃないかと思う。話したいと思いながらも、どんな顔をしていいか分からなかった。
何時の間に、私はこんなに意気地無しになったのだろう。好きだという気持ちはあってもそれに飛び込むのが怖いという気持ちが先に立つ。
ため息をついた私には言った。

「勿体無いなあ。チャンスは生かさなきゃ」
「チャンスって何よ」
「お隣だって事。……あのねえ、。欲しいものは欲しいって手を伸ばさなくちゃ、駄目なんだよ」
「ほ、欲しいって」

その言葉に面食らっている私をよそに続けた。

「格好つけてたらね、タイミングを逃して後悔するばかりなんだから」
「……でも、動いて後悔する事もあるんじゃないの?」

私の問いには笑った。

「それでも、動かないでする後悔よりましだと思うけどな」

その言葉はすとん、と胸に落ちた。もっともだ、と思ってしまった。

「……そうかな」
「そうだよ。考えるなって言っても無理だろうけど、今のままじゃ何も変わらないじゃない? とりあえず、動いてみないとね」
「そう、ね……」

人事だから、簡単に言えるのかもしれない。きっと、私がの立場だったらそう言うに違いないから。それでも、の言葉は、ぐずぐず悩む私の背を押すには十分な響きを持っていた。


('05.10.11)


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