静かに降る雨はあの人のことを思い出させる。










3.優しい雨










登校する時に濡れたスカートは未だにしっとりとしていて気持ち悪いし、肌にまとわりつくような湿度に浮かない気分になる。晴れていたら晴れていたで陽射しを浴びるのが嫌になるくせに、勝手なものだ。

窓ガラスに手をつけて空を見上げた。この雨では今日はテニス部もお休みだろうか。いや、室内で筋トレとかなのかもしれない。幸村くんなら休みになんてしないだろう。人当たりは良いけど実は真田くんよりも厳しい彼のことだから。
……本当は違う人のことを考えているくせに。
指の輪郭をなぞるように曇る窓ガラスを見ながら、思いを馳せる。穏やかに笑う彼を思い出すだけで胸の奥がぎゅっと締め付けられるようだった。

何時好きになったのかなんて思い出せない。気付くと、柳生くんのことを見ていた。見ているだけで両胸の間が痛んだ。なのに不思議と胸は満たされていった。
そんなわたしの様子にいち早く気付いたのは仁王だ。も普通の女子やったんやね、と、とても失礼なことを言ってのけたけど、自分でも驚いたのだから当然かもしれない。それまでのわたしと来たら、恋愛なんてものが自分に降りかかってくるとは思えないで居たのだから。
あの日貰った飴も、結局食べることが出来ずにポーチに入れたままだ。早く何とかしないと溶けてしまうけど、とっておきたい。以前読んだ小説のように樹脂で固めるとかどうだろう。樹脂なんて何処で売っているのか分からないけど。

、」
「……何」

ぼんやりしていると何時の間に来たのか仁王が立っていた。何時ものことだけど、仁王は足音を立てずに忍び寄るから心臓に悪い。

「たそがれとるとこ悪かけど、辞書貸して」
「たそがれてるって……え、辞書? 何の?」
「英和」

バッグから辞書を取り出しているとクラスの女子が苦々しい表情を浮かべてわたしを見ていた。また色々言われるのかな。男友達が居ない人は男友達の存在を否定したがる。間に恋愛しか置くことが出来ないなんて勿体無いと思うんだけど。
女の子相手にしか通用しない話があるように、男の子相手の方が分かって貰えるような内容もあると思う。男の子は好きな相手以外には優しくないけど、女の子みたいに裏や含みがあまり無いから付き合い易い。

英和辞典を渡すと仁王は受け取りつつ口を開いた。

「サンキュ。放課後返さんといかん?」
「明日でも構わないわよ。明日は英語無いし、今日の放課後は委員会に出なきゃだから。雨だけど仁王は部活でしょう?」
「あー、多分な。……筋トレとか基礎練も大事やけど単調で敵わん」

うんざりしたような調子で言う仁王が可笑しくて少し笑ってしまった。

「それはそうと、委員会て遅くまであると?」
「え?」

普通の人が言うならおかしくない科白も、仁王が口にするだけで胡散臭く聞こえる。普段の仁王が口にしないような問いに自分でも眉が寄るのが分かった。

「……会議の後に、作業もあるらしいから」
「なるほど」
「どうしたの?」
「何が?」
「……胡散臭いんだけど」

我慢出来ずに告げると仁王は肩を揺らす。不敵に口の端を上げ言い放った。

「よう言われる」



***



会議も作業も終わって教室に戻ると誰も残っていなかった。まだ降り続ける雨のせいか明かりが点いていても薄暗い。帰り支度を整えていると足音が近付いてきたので顔を上げる。そこには、予想もしなかった人が立っていていた。

「……間に合いましたね」

目が合った彼は、柳生くんは微かに笑う。仁王が変装しているのかと思ったけど、仁王じゃない。確かに、柳生くんだ。柳生くんは手にしていたバッグから英和辞典を取り出しわたしに差し出す。

「……え?」
「仁王くんから頼まれたんです」
「仁王に?」
「ええ」

両手で受け取りながらお礼を言っていないことに気付き慌てて告げた。

「有難う、あの……わざわざごめんなさい」
「いいえ、ノートを取りに来たついでですからお気になさらず」
「ノート?」
「仁王くんに貸していたんですが、予習に必要だったもので」

嘆息しながら柳生くんは言う。

「……仁王に」

辞書を貸した時の違和感と結びつき合点がいった。仁王が理由も無く予習に必要なノートを返し忘れる筈が無い。この前のことといい、仁王にしては珍しいお節介だ。落ち着かない心を切り替えるように口を開く。

「も、もう部活は終わったの?」
「ええ」
「大変だね、雨でも部活が休みじゃないなんて」
「部活自体は苦にはならないのですが……基礎練習というのは単調で面白みに欠けますね」

思わず笑ってしまった。柳生くんが不思議そうに瞳を瞬かせる。

「ごめんなさい、仁王も同じようなことを言っていたから可笑しくて」
「……さんは、」
「え?」
「いえ……何でもありません。帰りましょうか」

それは一緒に帰ってもいいということだろうか。じっと柳生くんを見上げると僅かに首を傾げる。

「帰らないのですか?」
「帰るけど……柳生くんは、電車?」
「ええ。さんもでしょう? 駅までお送りしますよ」

その言葉で胸の鼓動が更に速くなった気がした。


('07.9.8)


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