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「比呂くん」
階段を二段ほど降りたところで名前を呼ばれ振り返ると踊り場に居た声の持ち主は微笑んだ。
「……さん。今帰りですか」
「そう。比呂くんは今から部活?」
頷いて見せると、さんは含み笑いをする。
「どうしました?」
「前は、」
目を細め、何処か懐かしむような口調で彼女は続けた。
「前は、こんなだったのにね」
「え?」
私は怪訝そうな顔をしたのだろう、それが可笑しかったのかさんは唇の端をきゅっと上げる。
「目線。すっかり追い抜かされてしまった」
いくら身長を追い抜かしても、彼女との年齢差は変わらないのだ。厳然たる事実に歯噛みするしか出来ない。それを振り切るように身を乗り出すさんに声をかけた。
「……危ないですよ、身を乗り出すと」
「え、あっ、」
足を踏み出したさんの足は空を踏む。階段を踏み外した彼女に咄嗟に手を伸ばした。
「さん!」
伸ばした手は、触れたさんの腕の細さに、柔らかさに驚き掴むことを忘れる。するりと手を擦り抜けたさんは重力に逆らう事無く小さな叫び声を上げ、
―――落ちた。
「……さん!」
「……痛た……」
……何て、ことを。
だが呆然としている暇は無かった。
「比呂くん!?」
「保健室に行きましょう」
掬い上げるようにしてさんを抱き上げ、なるべく揺らさないように保健室までの道のりを急いだ。さんは腕の中で身動ぐ。
「じ、自分で、」
「いけません!」
遮って口にした言葉は思いがけず強く響いて彼女は驚いたように口を噤んだ。
「……すぐですから、大人しくしていてください」
さんは小さく頷き私のシャツを遠慮がちに掴む。密着している事実に心を躍らせる余裕など、無かった。
*
「打ち身と擦り傷ってとこね。真っ青な顔して飛び込んで来たから何事かと思ったわよ」
消毒綿を捨てながら養護教諭は笑う。酷い怪我ではないことに安堵のため息をつくとさんは膝に貼られた湿布を撫でながら照れたように笑った。
「階段、踏み外しちゃって」
締め付けられたかのように胸が痛む。踏み外したのは事実だが私が彼女の手さえ掴んでいたらこんなことにはならなかった。
「歩ける? 捻挫はしていないようだけど」
「大丈夫ですよー。あざと擦り傷が出来たくらいですし」
「そうね。柳生くんの方が顔色悪いわね」
からかうように笑った養護教諭に何と返していいか分からなかった。さんは私を見上げ微笑む。
「連れてきてくれて有難う、比呂くん」
「私がっ……」
「大丈夫だから」
ね、と尚も微笑んで見せる彼女に、子どものように頷くしか出来なかった。
……情けない。
「あ! 大変!」
「どうしました」
「比呂くん、部活遅れちゃったね」
「ああ……構いません」
さんは困ったように眉を寄せる。
「構わないってことは無いでしょう」
「いいんです」
貴女の方が大切です、とは続けられなかった。養護教諭に礼を述べて立ち上がった彼女は、足を僅かに引き摺りながら保健室を出て行こうとする。慌てて後を追い、支えようと手を伸ばすと、さんはやんわりとそれを断った。
「大丈夫」
「……私が、手を掴んでいたら、」
「違うよ。比呂くんは注意してくれたじゃない」
「ですが、」
さんは静かに首を横に振る。
「気にしないで―――部活に行って?」
反論を許さない笑顔は、はっきりと私を拒んでいた。