仁王とは今も昔も躰でしか繋がってない。





2.血 と 屋 上










父親の転勤で、私を除く家族は父親の転勤場所に引っ越して行った。私は丁度大学に上がるところだったので、残って一人暮らしをしている。このまま就職まで家を出ることは無いだろうと思っていたので予想外だった。
でも、予想外なのはそれだけじゃない。合コンで行った店の帰りに会ってから、仁王はうちに来るようになった。あの時雨が降らなかったら、父親の転勤について行っていたら、どうなっていたのだろうか。それは今でも分からない。







私の躰を辿る指はすっかり慣れて、心地好いと感じるところに的確に触れていく。冷たい手。何度触れられても私はきがくるいそうになる。ぎゅっと目を閉じると仁王の口から低く笑い声が零れた。目を閉じても弧を描く仁王の唇が目蓋の裏に映っている。酷薄そうな笑い方は私を安心させる。安心して、一つの感覚だけ追うことが出来る。たぶん、これが気持ちがいいということなんだろう。他の人としたことが無いし、他の人の感覚は分かりようも無いから、たぶんとしか言いようが無いんだけど。

私は仁王としかしたことが無い。初体験の相手も仁王だし、それ以降、他の人とする機会は無かった。付き合ったことはあったのに、その人とはしないまま別れてしまったから。



◆ ◆ ◆



本を抱え階段を昇っていくと、目的地に蹲る人影が見えた。自然と眉が寄る。足音はしていた筈なのに動かない人影を怪訝に思いながら近寄っていくと、屋上へのドアの前に座り込んでいた仁王雅治は目を閉じていた。
……おお、有名人が居る。
テニス部レギュラーを校内で知らない人は居ないだろう。そういうことに興味の無い私ですらフルネームを知っているのだから。眠っているのだろうか、ぴくりとも動かない。ならば他を探そう、と踵を返しかけた時小さく声が聞こえた。振り返ると仁王は目蓋をこすりながら私を見据えている。

「……誰じゃ?」
「……E組の、です」

へえ、とか、ふうん、とかそのようなことをもごもごと口の中で呟いた仁王は欠伸をした。

「何か用?」
「用、というか、ここで本を読もうかと思ったの」

仁王に抱えていた本を見せると不審そうに眉を寄せる。

「……ここで?」
「ここで。ここ、居心地がいいでしょう」

天気の良い日は、ドアに付いている摺りガラスの窓から陽光が差し込んで、薄暗いのに何だか居心地が良いのだ。

「……ああ、何か分かる。この閉塞感が良かよな」

そう言って笑った仁王の髪に光が降っている。その髪の色のせいか、きらきらの光の塊のようだった。
……触れたい。
興味など無かった。友達が仁王くんが、丸井くんが、というようなことを話しているのを聞いても違う世界の話のようだと感じていた。だが今、こうして言葉を交わすのは初めてなのに、暴力的なまでにある感情が一気に押し寄せてくる。
……この人と、
胸の奥は痛み、足の間が生理の時みたいになるのが分かった。

「仁王、私として」
「……何を?」

不審そうに眉を寄せた仁王に、躊躇いも無く言い放つ。

「セックス」

飄々として見えていた仁王も、さすがに目を見開いた。そりゃそうだろう。初めて言葉を交わした、何の個性も持たない女子生徒から言われるセリフでは無い。私は髪だって染めてないし、化粧ひとつしていない。いわゆる”遊んでる”ような女子からなら仁王も冗談じゃろ、なんて言ってかわしたのかもしれない。

「俺は構わんけど……また随分とストレートな物言いじゃね」
「うん」
「……本気なん?」
「本気じゃないならこんなこと言わないよ」
「そうじゃな」

あっさりと仁王は頷いた。



階段の一番上に腰掛けた仁王は膝の上に私を乗せる。体重をかけるのが申し訳無くてそろそろと腰を落とすと、顎をつかまれ口付けられた。驚きで身を強張らせると仁王はすぐに唇を離す。

「ん、キスは止めといた方が良かったか」
「……ううん」

首を横に振って今度は私から口付けた。ぬるい体温。仁王の舌が唇を割って口内に差し入れられると、背中を衝動が駆け上がる。

立海の制服が憎く感じたのは初めてだった。全部脱ぐ訳にも行かないのでジャンパースカートのサイドにあるファスナーを開け、そこからタイを解きブラウスの釦を外す。

「……本当に、いいんか」
「うん」

触って、としか考えられなかった。触って欲しくてきがくるいそうだった。外気に触れた脇腹に鳥肌が立つ。仁王の大きな手のひらは、簡単に下着の下に滑り込み、胸をつぶし先を弾く。全身に電流が走るってこういう感じだろうか。走ってもいないのに呼吸が乱れる。自然と出そうになる声を堪えていると、サイドから手を入れていた仁王はその手を出し、スカートの下に手を入れてきた。腰を撫で、足の間に手を伸ばした仁王は咽喉の奥で笑う。

「濡れとる」
「……う、ん」

……生理になってしまったのかと思ったくらいだもの。
下着をずらし、仁王の指が私の中をかき回す。その度に水が跳ねるような音が洩れて体が震えた。戦慄きは微かに感じる痛みを陵駕して、覆って。

「ちょっと腰上げて」
「……え、このまま?」

下にならないといけないものでは無いのだろうか。小さく仁王が笑う。

「下やと痛かろう?」

いつも持っているのか、ゴムを着けた仁王は、両手で私の腰をずらし、位置を合わせた。

「そのまま、腰落として」
「……っい、」

痛い、と口に出さないように唇を噛む。出したら、仁王は止めてしまうんじゃないかと思ったから。そこは、誰にも侵入を許したことが無かった。

「……動けるか?」
「む、り」

痛みで気が遠くなりそうなのに、そんなことが出来る訳が無い。私の返事を聞いた仁王は腰を掴んだまま下から突いてきた。自分の手を噛んで洩れそうな声を堪えていると、その手を取られる。

「ほら、」

差し出された仁王の手。訳が分からなくて見ていると、口内に指が差し入れられた。発熱してる時みたいに頭が躰が熱くてぼうっとする。

「噛むなら、こっちにしときいよ」

冷んやりとしていた空間が熱を孕んでいく。歯に当たる皮膚の下の骨の感触、裂けるような足の間の痛み、私の身に起こっていることなのに全てが夢の中のことみたい。揺さぶられながら、忍び寄ってくる快楽を全身で追い求めていると、固く目を閉じ眉根を寄せる仁王のこめかみに一筋伝う汗が目に入って、背中がぞくぞくした。腰に回されていた仁王の手が私の手首を掴む。痺れたみたいに広がっていくのは、経験したことが無い感覚で。

「……も、出していいか?」
「ん、んんっ」

最後に深く刺して、仁王は動きを止めた。

「ご、めん……」

私の唾液で濡れた仁王の手にはしっかりと歯型が付いている。それを手で拭いながら謝ると仁王は笑った。

「構わんよ」

力が抜けそうな膝を鼓舞し立ち上がると、太腿を濡れた感触が伝う。それを見た仁王が再び目を見開いた。

「……初めてやったんか」

膝まで到達せずに乾いたそれは、肌をひきつらせる。

「そうだよ」
「まさか、とは思ったけど……なん、俺のこと好きと?」
「よく、分からない、けど……」

仁王に近付いてみたかった。他の誰よりも、近付いて欲しかった。
―――ただ、それだけで。

「してみたかったの」

ポケットからティッシュを取り出し仁王にも渡す。
……するのって後処理まであるんだな。
拭っても腿には薄く赤い筋が残った。これは濡らして拭かないと駄目かもしれない。ため息をついて、乱れた着衣を直した。

「……じゃあ、」
「……ああ、」

すぐに踵を返したから、仁王がどんな表情を浮かべていたかは分からない。本当は見たくなかっただけかもしれないけれど。



教室に戻る道すがら、本を小脇に抱えタイを整えていると、手首に残る跡に気付いた。うっすらと鬱血したこれは、仁王の指の跡だろうか。気付いたと同時に手首にも痛みを覚える。怪我をした猫が傷口を舐めて労るように、手首に唇を寄せた。



◆ ◆ ◆



それ以降、話したことは無かった。同じクラスになったことも無い。ただ、廊下ですれ違う時などに、ほんの僅かな間、目が合うことはあった。その瞳には何の感情も映っていなくて、ひどく安堵したのを覚えている。

「……何考えとる?」

目を開けると真上に仁王の顔があった。そのこめかみを伝う汗が涙みたいに私に落ちてくる。既視感を覚える光景に、小さく笑った。

「……何、も?」

仁王はふうんと唸って、再び動き出す。

指の跡も、痛みも、数日後には消えてしまった。きっと今こうしていることも、数日後には薄れて消えてしまうのだろう。いや、
……消えて、しまえ。


('08.1.31)


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