痛みの予習を繰り返していた。
4.光 と 銀 糸
ちらっと銀色が見えたのは気のせいだったのか。人がたくさん居る場所に来るとつい仁王の姿を探してしまう。
割り箸を割って今日のランチのハンバーグに箸を伸ばすと、そういえばね、とは顔を輝かせた。何となく嫌な予感がして眉が寄ってしまうのを止められない。
「今度合コンあるんだけど、、どう?」
「……もういいってば」
仕方なく行った合コンのことを思い出しながら言うと、はため息をついた。
「まーたそんなこと言って。どうしてそう消極的かなー」
「どうしていいか分からなくなるんだもん。向いてない」
「恋愛しないと女性ホルモンが出なくなって老化にも繋がるんだよ?」
女性誌に書いてありそうなことを言っても割り箸を割る。一緒に居た他の友人達もそう思ったようで、何処でそんなの読んだの、と茶化した。
「何よー、みんなまでー」
「だからって無理矢理恋愛しなくても、」
「何、、好きな人でも居るの?」
箸を止めそうになったのを何とか堪える。小さく割ったハンバーグを口に入れて顔を上げると興味津々といった様子で見られていた。
「……居ませんが?」
「そうなの? 最近雰囲気変わったから、ねえ?」
の言葉に他の友人達も頷く。口の中のハンバーグを飲み込んでため息をついて首を横に振っただけに留めた。
仁王とのことは誰にも話していない。にさえも。
◆ ◆ ◆
仁王は私にも腕枕をする。初めて仁王が泊まった夜、咽喉の乾きを覚え目を覚ました私の頭は仁王の腕の上にあって驚いた。こういうことは彼女にしかしないものではないかと思っていたから。付き合ったことがあるといっても、ほんの数ヶ月の上、その相手とはすることも無いまま別れたので私の経験値は恐ろしく低い。それに加えて、仁王に腕枕は似合わない気がした。仁王は、あまりべたべたするのを好まないような印象がある。
その日も、目を覚ますと私の頭は仁王の腕の上にあった。起き上がり、安らかな寝息を立てている仁王を見ると私は途方に暮れる。誘ったのは私だけど、こんなに続くとは思っていなかった。すぐに私に飽きて来なくなる、そう思っていたのに。仁王にはれっきとした彼女が居るし、私みたいな容姿も普通で面白みの無い女じゃなくても相手は選び放題だろう。昔から仁王の周りには女の影が常にあったから。そっと頬に触れると睫毛が震える。慌てて手を離すより先に手を掴まれた。
「……どした」
「ごめん、起こした?」
欠伸をした仁王は掴んだ手を引く。バランスを崩し倒れかかった私の躰を抱き締めた仁王は耳元で囁いた。
「眠れんと?」
何だか涙が湧きそうになる。奥歯を噛んで堪えた。最近の仁王はこんな風に私を気遣う発言をする。
「……ううん」
「じゃあもう寝んしゃい。一限からなんじゃろ?」
頷いて仁王の胸に頬をつけると、仁王は私の頭を撫でた。まるで彼女にするかのように。どうしてそんな風にするの、どうして一限からなんて覚えているの、幾つも疑問符が浮かんだけど、かき消すようにぎゅっと目を閉じた。
――――考えたら、いけない。
◆ ◆ ◆
授業が終わってすぐ、買い物もせずにアパートに帰って横になった。貧血のせいか、とても眠い。天井の壁紙を見ながらため息をついた。避妊はしていても生理が来るとほっとする。ただれた私の精神と違って、毎月毎月ちゃんと機能してくれる私の躰はえらいと思う。痛みと眠気で、毛布をかぶってうとうとしていると、チャイムが鳴った。渋々目を開けると何時の間にか外はすっかり暗くなっている。立ち上がり、カーテンを引いて明かりを点けた。玄関に向かいドアスコープから外を覗くと仁王が立っている。一瞬迷ったけど、ドアを開けた。私の顔を見た仁王は眉をひそめる。
「……何じゃ、具合悪いんか」
「……うん、ちょっと」
生理の時に来たことは無かったのに。舌打ちしてしまいそうになるのを堪え仁王を見上げた。
「だから、今日は、」
「ん。何もせんよ」
「……どうして、」
「どうしてって……具合悪いんじゃろ?」
「そうじゃなくて!」
思ったより大きな声が出て自分でも驚いた。胃の底がむかむかする。気持ち悪い。咽喉が、渇いていく。仁王は私の額にぺたりと手を当てた。冷たい手。いつもなら躰の奥底を震わせる手も、今日は邪魔に思えて仕方が無かった。
「風邪か? 結構熱かけど」
「違うの、風邪じゃなくて……」
ああ、と仁王は納得したように頷き、私を抱える。
「仁王?!」
後ろでドアが音を立てて閉まった。仁王は私を抱えたまま靴を脱ぎ、部屋の中に歩を進める。
「生理じゃろ。きついんなら寝ときんしゃい」
ゆっくりと私の躰をベッドに下ろした仁王は、私のお腹を撫でた。
「薬は? 無いなら買って来るけど」
いたわるような触れ方に今にも叫んでしまいたくなる。
「……どうして、」
「ん? うちの姉貴もよう苦しんどるからの」
「そうじゃ、無いんだってば……」
気付くと涙が溢れていて、両手で目を覆った。仁王が息を呑んだ気配がする。
「どうして、こんなこと、するの?」
頭が痛い。お腹も痛い。ふらふらする感情は涙を押し出すばかりで。
「お、おかしいでしょ、だって、仁王は、」
「……俺は?」
続きは嗚咽で言葉にならなかった。しゃくりあげていると、仁王がベッドの端に腰を下ろしたのか、ゆるくベッドが沈む。
「俺がお前の心配したらおかしいと?」
仁王は私の髪を梳きながら言った。涙は目尻を伝って枕に落ちる。
「だ、て、私、私は……仁王の彼女でも、何でも、無い」
自分でもまずいと分かっているのに止まらない。
「友達でも、無いのに、どうして、優しく……するの?」
それは、口にしてはいけないことだった。口にした瞬間、全てが壊れると分かっていたから。言わないように飲み込んだ言葉はお腹の底で暴れたけど、壊してしまうことの方が怖かった。
「……じゃあ、何では俺を受け入れるんじゃ」
「し……したかった、から、で、」
「するだけやったら、俺じゃ無くてもいいじゃろ」
「それは……」
言葉が咽喉につかえるのは涙のせいだけじゃない。
「答えられんと?」
黙っていると仁王はため息をついた。
「何で……彼女と別れようとした時焦った?」
どうして今日は追い詰めることばかり言うのだろう。今まで何も言わなかったのに。
「ひ……人のものだから、欲しいと思った、のに、別れたら、意味が、無い、でしょ?」
わざと傷付けるような蓮っ葉な言葉を吐いた。お願い、どうか幻滅して。嫌になって―――もうこれ以上、私を暴かないで。
「やけん、俺を誘ったって?」
「そ、うだよ」
「……俺以外に抱かれたこと、無いとに?」
びくり、と肩が震える。
……気付かれて、いたのか。
「そ、そういうことだって、あるでしょう?」
「分からんけど……じゃあ何でそんなに泣きよると?」
一度出口を見つけたせいか、涙が止め処無く溢れて息が詰まる。吸うのが精一杯で吐くことが出来なかった。
「そんなに泣くと、目が融けるぞ」
仁王は枕元のタオルで私の顔を拭った。
「なあ……本当は、俺のことをどう思っとうと?」
その優しい声音に涙がまた滲む。ゆっくりと息を吐いた。
「ずっと……ずっと、好きだった……」
仁王のことをどう思っているか、考えないようにしていた。考えてはいけなかった。考えれば答えはすぐに出るからだ。
仁王を――――好きだと。
あの時、陽光を受けて輝いていた仁王を見た瞬間から、ずっと、ずっと仁王のことが好きだった。だけどそれはすぐに心の奥底に仕舞い込んだ。開けられないように封をして、躰だけだと思わせるような行動をとった。私なんかが相手をしてもらうには、それしか無いと思ったから。
期待なんてしたく無かった。私は物事を考える時、常に最悪な場合を考える。そうして受ける痛みを少しでも減らそうとしていた。期待して傷付くのは二重に苦しいから。期待しなければその分の痛みは受けずに済む。だから、仁王が別れるかもしれないと言った時も、一瞬喜びかけた心を期待しないように戒めた。期待して傷付くのは自分だと。どうせすぐに私のところには来なくなるのだからと。そう何度も自分に言い聞かせていた筈なのに、痛いことに変わりは無かった。何のために予習していたんだか。きっとこれで駄目になる。もう仁王は、来ない。
「……そうか」
生理のせいで熱っぽい躰と裏腹に胸の奥は冷えていった。どうしようもないこの感情を、絶望と呼ぶのだろうか。躰どころか今居る場所さえもがらがらと崩れ落ちていきそうだ。沈黙を破るように仁王が口を開く。
「……あの時はどうも思っとらんやったけど、今はお前が気になる、て言うたら都合良か?」
「……え?」
思わず身を起こそうとすると、仁王は手を貸してくれた。起き上がると血が下がって頭がくらくらする。その余波でぼうっとしていると頬にかかった髪を耳にかけてくれた。
「あの後、結局別れたんじゃ」
「……どうして。私のせ、」
「いや……俺の問題」
俯いて唇を噛むと、仁王は隣に座った私の肩を抱き寄せる。
「……なあ、さっきのアレ、過去形?」
さっき聞こえた言葉は夢だろうか。でも、夢でもいい、と思った。仁王に騙されるなら―――本望だ。
「……過去形じゃ、無いよ」
仁王の肩に頭を預けると、私の手を取りそっと撫でた。
('08.4.2)
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