きれいな感情・3










「どういうとこが、好きなん?」

俺の言葉には目を瞬かせる。少し考え込んだ後、ため息をつくように言った。

「どういうって……一言では言えないよ。だって、傍に居るだけで、どきどきするんだもん。胸の間がきゅっと、痛くなるの。仁王くんはそういう事、無い?」
「無いことも、無いけど」
「こういうのって、理屈じゃないでしょう。ここが、」

そう言って、自分の胸を押さえる。

がいいって、言うんだよ。どうしようも、無いんだよ」

どうしようも無い、気持ち。
……うつってしもうたみたいじゃ。
それは、今に感じる気持ちと同じだろうか。見ていると痛々しいのに目を逸らせない。同情や憐憫の情とは違う。そんな単純じゃない。
そう―――、出来るなら彼女の目を覆ってしまいたい。
泣きそうな顔で笑わないで済むように。

「じゃあ、言うつもりは無いと?」
「……言ってどうするの」

呆れたようには言う。

は柳生くんが好きなのよ。傍に居たから、知ってる。……誰よりもね」

苦いものでも飲み込んだみたいに顔を歪めは口にした。

「でも、」
「あのね、私はが好きだけど、には幸せで居て欲しいと、思ってるんだよ。……そりゃあ、たまに別れちゃえばいいのにとか思うけど?」

冗談めかして告げたに俺も笑みを漏らす。

「思うとるんか」

冗談として受け取らないと、泣いてしまう気がした。

昼間見かける彼女からは想像も出来ない。俺の前に居る彼女はひびの入ったガラスのようだった。そんな気持ちなら捨ててしまえと思うけど、きっと彼女はしない。痛みさえも飲み込んで、ゆっくりと恋を葬るのだろう。ただ微笑んで風化するのを待つのだろう。
俺は思わず手を伸ばしかけ、その手を下ろした。
そんな事、は望んでない。は、俺の手を望んでなどいない。俺はあくまでも傍観者で、彼女の視界の隅にも引っ掛からない。それが、腹立たしい。腹立たしいと思うこと自体も。



* * *



「柳生くん? ……じゃない、仁王くん?」

虚を衝かれ思わず動きを止めた。

「……何で分かった?」
「雰囲気が全く違うわよ」

は可笑しそうに笑う。俺は眼鏡を取り、彼女の前の机に腰掛けた。はノートやアンケートの束を広げている。

「バレん自信があったんじゃけど」

俺を見上げたは首を傾げた。黒目がちな目は、柳生を見る時のように歪んでいない。

「何でそんなことをしているの?」

そんなこと、つまり柳生の変装を指して彼女は問う。

「部活でな」

誤魔化すように返すと、は眉間に皺を寄せた。

「……部活で変装が必要なの?」
「色々と」

テニス部って謎、と呟いてノートにシャーペンを走らせる。

「今日はは」
「用事があるって先に帰った。多分、ピアノだと思う」
「ふーん」

は、突然くすくすと笑い声を立てた。

「……変な感じ。見た目は柳生くんなのに、話したら仁王くんなんだもの」

笑顔を見せた事に安堵する。俺はきっちりと締めたネクタイを緩めた。
アンケートの束を捲る音、シャーペンの走る音。そんな音の中、仕事をこなしていくを見下ろしていた。俯いた拍子に見えるうなじは白く、触れてみたい、と思った。ふう、とため息をついては顔を上げる。

「終わったー」
「お疲れさん」

俺の言葉に微笑み、彼女はノートを閉じた。

「……仁王くん、部活行かなくていいの?」
「も少ししたら行く。なん、俺がおると邪魔?」
「そうじゃなくて……。あの、まだ部活に行かないなら、お願いがあるんだけど」
「何?」
「すっごい、変だと思われることは承知してるんだけど」
「……はあ?」

意を決したように彼女は顔を上げ、俺を見つめた。

「ぎゅーって抱き締めてくれる?」

俺が呆気に取られていると、違う、とは首を振った。

の気分を、味わってみたいの」
「……気分?」
「そう。今、仁王くん、柳生くんの格好してるでしょ?」

その言葉で納得がいく。
……追体験、ちゅうやつか。
俺が黙っていると、は呻くように言った。

「……あー、でもやっぱり変だよね。嫌ならきっぱり断って?」
「いや、それは……全然構わんけど」

どうぞ、と手を伸ばすと、は椅子から立ち上がる。椅子を引いた音は、やけに大きく響いて聞こえた。おずおずと歩み寄ってくるを両手を開いて待つ。顔を伏せて近寄ってきた彼女の腕を取って、抱き締めた。鼻先に漂う花のような香りはシャンプーだろうか。香水の類ではない、いい香りがする。
は女にしては身長は高いけど、つくりは華奢で、容易く、腕の中に閉じ込める事が出来た。腕に余る細い腰、胸に当たる柔らかな感触は、女を知らない訳ではないのに鼓動を速める。腕の中のはぽつりと呟いた。

「……は、こんな風にものを見ているのかしら」
「……さあ」

を抱き締めながら俺は、の事を考えていた。の気分を味わうではなく、強そうで脆い彼女の事を。
こんなに近くに居るのに、遠い。
互いの吐息が伝わる距離なのに、ひどく遠い。
俺が、俺の腕が彼女を抱き締めているのに、彼女は俺の事など見ていない。今、の頭の中に俺のパーソナリティなど無いに等しいだろう。

それでも、そう分かっていても、おかしくなりそうだった。


('05.4.20)


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