空に飛ぶ雲・2
朝ご飯を食べていると電話が鳴った。母が呼ぶので替わると、蓮ちゃんのお母さまで、私には、伯母にあたるその人からだった。
「え、鍵?」
――そう。蓮二に伝えるのを忘れていて。
何でも、今日はご両親もお姉さんも揃って帰りが遅くなるらしく。だというのに蓮ちゃんに鍵を持たせるのを忘れていたというのだ。気付いたのは蓮ちゃんが朝練に行った後だと言う。
――悪いけど、ちゃんお遣いして貰えないかしら。
そこで私に白羽の矢が立ったという訳か。断れる筈も無く学校に行く前に蓮ちゃんの家に寄った。
***
「うわぁ……」
テニスコートの周りの人だかりに私は嘆息した。知ってはいたけど間近で見るとすごい。きゃあきゃあと黄色い声援が飛んでいた。
……テレビで見たアイドルのコンサート会場みたい。
本当は、授業の合間か、昼休みに渡しに行こうと思っていたのだ。でも移動教室のある授業や日直だった事が重なって、気付いた時には放課後だった。仕方無くテニスコートに来てみれば、これだ。この人だかりを越えて蓮ちゃんに近付く勇気は無い。
……どうしよ。
私はポケットの鍵を握り締めた。
……でも、渡さないと蓮ちゃんが困るし。
屈み込んで唸っていると、影が落ちた。不思議に思って見上げると、テニス部のマネージャーさんだった。
「どうしたの、さん」
クラスメイトでもある彼女は、ボトルの入ったかごを抱え、にこ、と笑う。彼女に頼めば良いんだ、と閃き私は口を開いた。
「あ、あのっ、柳くんに、」
「ああ……分かった。一緒に行こうか」
「……は?」
「いとこなんだよね? 何か用事でしょ」
「あ、え、うん」
何故、知っているんだろう。そんな疑問が浮かんだけど、さくさく歩いて行く彼女の背を追う。
「えと、あの、半分持つよ」
「そう? じゃあお願いしてもいいかな。今日、もう一人の子が休みでね」
ふ、と嘆息しつつ彼女は言う。片方のかごを受け取ると、ありがとう、と彼女は微笑んだ。彼女の背中を追いかけ人波を擦り抜けると、視線が痛かった。
……ご、ごめんなさい。
マネージャーでも無いのに何、という気配がひしひしと伝わってくる。部室に入るとほっとして肩の力が抜けた。
「埃っぽくて申し訳無いんだけど、待ってて?」
パイプ椅子を出して来て彼女は言う。
「え」
「あと少ししたら、終わるから」
よいしょ、と両手にかごを持ち、彼女は出て行ってしまった。
……どうしてこんな事に。
突っ立っていても仕方無いので、とりあえず椅子に腰掛けた。
ぐるり、と周囲を見渡すとトロフィーやら、表彰状の額やらが所狭しと並んでいる。並ぶロッカーに目を遣ると、柳、とネームプレートの付いたロッカーが目に付いた。
……置いてく、って訳にもいかないよねえ。
勝手に開ける訳にもいかないし。落ち着かなくて、膝の上で鍵を弄んでいると、部室のドアが開く。
「」
蓮ちゃんは、珍しく息を切らせていた。
「……柳くん」
私が口を開くと、蓮ちゃんは微かに眉間に皺を寄せた。私は鍵を差し出す。
「伯母さん達、帰りが遅くなるんだって」
そう言うと、察しの良い彼は嘆息しつつ頷いた。
「それで、に頼んだという訳か。わざわざ済まなかったな」
「ううん」
「では、着替えるから待っててくれ」
「はあ?」
間抜けな返答をした私に、蓮ちゃんは続ける。
「送って行く」
「な、何で。一人で大丈夫だよ」
「そんな訳にもいかないだろう」
「そんな訳ってどんななの」
困ったように私を見下ろする蓮ちゃんに、私も困ってしまった。
……そんなところを見られたら、あの怖い人達に何て思われるか……っていうか、緊張するから無理。
逡巡していると、部室のドアが勢い良く開かれた。
「おわ! 柳が逢引きしてる!」
丸井くんの叫びに後ろに居た真田くんは眉を寄せた。
「いとこじゃろ」
「え? マジ?」
「ああ」
蓮ちゃんが頷くと、今度は丸井くんが眉を寄せる。
「何で仁王は知ってるんだよ」
「聞いたから」
けろり、と仁王くんは答えた。
「え、知らなかったのってオレだけ?」
「俺も初めて聞いたぜ」
「私もです」
桑原くんと柳生くんが言うと、丸井くんは口を尖らせる。
「柳、何で言わないんだよー」
「聞かれなかったからな。……、着替えるまで待っていてくれ」
「で、でも」
「さん、みんな着替えるみたいだから、こっちに」
マネージャーさんが、にっこり笑って言った。
「え、あの、」
「行こ」
二人並んで部室の外に出た。彼女は、私も着替えてくるから、と何処か行ってしまう。
……何だか済し崩しに話が纏まってしまった気がするんだけど。
私は壁に凭れため息をついた。
('04.10.5)
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