2:真空










いつも気遣うように声を発する人だった。声だけで安心出来るような。それがどうだろう、そんなの微塵も感じられない。

「正直、扱い易い思てたんやけどなあ……とんだ見込み違いや。誰かの入れ知恵か?」
「ちが、う」

豹変した侑士の態度に呆然としたまま告げた。未だに信じられない。さっきまでの優しい素振りが嘘みたいに酷薄な笑顔を浮かべた侑士がそこには居た。

「じゃあ自分で気付いたんか。ただの馬鹿とはちゃうかってんや」
「……馬鹿って!」
「ああ訂正する。お前はそこまで馬鹿でも阿呆でもない。……俺も甘なったもんやな」
「ど、して……そこまで喋るの」

侑士は私に視線を寄越す。何の感情も籠っていない眼差しは私の上を通り過ぎるだけ。

「別れる前に言うといたろ思て」
「わ、別れるの!?」
「お前が欲しかったんは優しい、優秀な彼氏やろ。俺もお前の言葉を借りて言うなら、お飾りやないお前に用は無い」

侑士は傷をつける言葉を的確に紡ぐ。

「……私が、本当のことを話すとか思わないの」
「お前のセリフと俺のセリフ、周りはどっちを信じるやろなァ?」

く、と侑士は咽喉の奥で笑った。

「俺は、自信あるで」

嫌な言い方だ。私が騒いでも周りは相手にしない、と言いたいのか。

「……これまで通り、続ければいい」
「はあ?」

苛立たしげに侑士は問う。大きく息を吸って、吐いた。

「私は、別れる気は無い」
「……何や、本の読み過ぎなんちゃう?」
「え?」

侑士は眼鏡の奥の瞳を眇める。

「自分やったら変えられる、とかそんなん考えとるんやったら間違いやで。俺は変わらへん」
「……そんな大それたことは考えてないよ」
「そうやな、お前は力不足や」

何処までも馬鹿にした物言いだが不思議と腹は立たなかった。

「そうだね、私には無理。だけど黙ってることは出来る。私は何も言うつもりは無い」
「お前のメリットは何や? ……何も無いやろ。そんなん信用出来るか」
「メリットならあるでしょ。優しい、自慢出来る彼氏が居るというステイタス。これは……取引だよ」

侑士は探るように目を細め、私を見据えた。負けないように見つめ返すと、侑士はため息をつく。

「お前の言う通りやな。また探すのも簡単やけど、」

そこで侑士は言葉を切った。蔑むような冷ややかな笑みを頬に乗せる。

「取引、な。うまいこと言うわ。知られるんは少ない方がええ」
「交渉成立、だね」

ずきり、と胸の奥が痛んだ。昨日までの幸せな私は居ない。
……でも。

「ああ」

冷たく笑う侑士から、目が離せなかった。







それから、侑士と二人だけで過ごす時間は減った。いや、無くなったと言っていいだろう。人前では優しく私に声をかけ、触れる彼も、二人きりになると、用は済んだとばかりに沈黙するようになってしまったから。



部活が終わるのを待つのは、つらい時間だった。コートに立つ彼は私の姿を認めるとにこやかに笑って手を振る。そして跡部くんに怒られたりする。向日くんにからかわれたりする。でもそれが全て演技だと、誰が分かるだろう。私も笑って手を振り返すけどちゃんと笑えているか、心配だった。

「おつかれさま」
「おー。待たせたな」

侑士が着替えて部室を出てきたので立ち上がると、侑士は微かに笑った。横を向日くんが笑いながら通り過ぎて行く。

「見せつけてんじゃねえぞ、侑士!」
「何や羨ましいんか、岳人」

ばーか、と笑う向日くんに侑士は笑って手を振った。そして私の方に向き直る。

「……行くか」
「うん」

私の方に向き直った侑士からは笑顔は消えていた。とぼとぼと帰途を辿っていると、黙っていた侑士が口を開く。

「……ジブン、さっき顔ひきつってたで」
「えっ」
「困るなァ、ちゃんとしてもらわんと」

ごめん、と呟くと、ん、という短い返事が返ってきた。隣でため息なんて、つけない。そんなことしたら、何て言われるか分からない。胸が痛い。息苦しい。もう止めてしまえばいいと思うのに。

「じゃあ、また明日」
「……うん」

背を向ける侑士に、私は終わりを口に出来ない。


('09.5.3)


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